恋愛短歌小説~三十一文字から始まる物語。この短歌、恋愛小説にしてみました~

【短歌】
 狭い部屋すれ違うたび肩が触れごめんと笑う君が愛しい



【短歌をテーマにした物語】
 新しい部屋は、思っていたよりも狭かった。

「……ねえ、これ、本当に二人で暮らせるかな?」

 段ボール箱に囲まれたリビングで、私は思わずつぶやいた。

 彼――悠斗は、組み立て途中の棚を前にして首をかしげた。

「大丈夫だろ。寝る場所もあるし、冷蔵庫も入ったし」

「でも、テーブルを置いたら、もういっぱいだよ?」

「じゃあ、テーブルを小さくする?」

「それじゃ、ご飯が乗らないよ」

「じゃあ、俺が小さくなる」

「どうやって?」

「……頑張って」

 真剣な顔で言うものだから、私は吹き出してしまった。

「もう、悠斗ってば!」

 笑い声が、まだ家具の少ない部屋に響いた。

 私たちが同棲を始めたのは、三日前。

 付き合って一年半。お互いに仕事が忙しく、会えるのは週末が中心だった。それでも、帰り道に少しだけ電話をしたり、眠る前にメッセージを送り合ったりして、二人の時間を大切にしてきた。

 いつか一緒に暮らしたい。

 そんな話を初めてしたのは、冬の帰り道だった。

 駅前のイルミネーションを眺めながら、悠斗が何気なく言ったのだ。

『毎日、美咲に会えたらいいのにな』

 その言葉が嬉しくて、私は何度も思い返した。

 だから、二人で暮らすことが決まったときは、本当に幸せだった。

 ただし。

 現実の部屋探しは、想像以上に大変だった。

 家賃、駅からの距離、日当たり、収納。

 条件を増やすたびに予算を超え、予算を守ろうとすると駅から遠くなり、ようやく見つけたこの部屋は、二人で暮らすには少し小さかった。

 それでも、窓から見える夕焼けがきれいだったことと、悠斗が「ここなら二人で頑張れそうだね」と笑ったことが決め手になった。

 そして今。

 私たちは、さっそく狭さという問題に直面していた。

     *

「美咲、そこのドライバー取って」

「はいはい」

 私は段ボールの隙間を通り抜け、悠斗のところへ向かった。

 ところが、ちょうど彼も立ち上がった。

「あっ」

 肩がぶつかった。

「ごめん!」

「ごめん!」

 二人の声が重なる。

 顔を見合わせた瞬間、どちらからともなく笑い出した。

「狭いね、ここ」

「うん。さっきから何回ぶつかってるんだろう」

「数えたら十回は超えてるよ」

「そんなに?」

「だって、悠斗がいつも急に動くから」

「美咲だって、後ろから突然来るじゃん」

「それは……そうだけど」

 私は頬を膨らませた。

 悠斗は笑いながら、私の頭をぽんと軽く撫でた。

「まあ、慣れるよ」

 その何気ない仕草に、胸がくすぐったくなる。

 付き合っているときも、彼は優しかった。

 重い荷物を持ってくれたり、疲れている私に温かい飲み物を買ってきてくれたり。

 けれど、同じ家で暮らすようになってから、知らなかった一面をたくさん見つけた。

 朝は思った以上に寝起きが悪いこと。

 靴下を脱ぐと、なぜか片方だけ行方不明になること。

 料理をするときは妙に真剣なのに、後片づけは少し苦手なこと。

 そして、私が疲れているときには、何も聞かずにそばにいてくれること。

 知らなかったことを知るたびに、好きという気持ちが少しずつ増えていく。

 こんなふうに、毎日一緒にいることで。

     *

 その日の夕方、ようやく段ボールの山が片づいた。

 私たちは小さなテーブルを挟んで、買ってきたお弁当を食べていた。

「疲れたねえ」

「疲れた」

「明日、筋肉痛になりそう」

「俺はもう腕が痛い」

「おじいちゃんみたい」

「ひどいな」

 悠斗が笑う。

 私も笑った。

 食事を終えると、私は空になった容器をまとめてキッチンへ向かった。

 ところが、背後から悠斗もやってきた。

「あ、ごめん」

 また肩が触れた。

「ふふっ」

「何?」

「今日、何回目かなと思って」

「もう数えるのやめようよ」

「そうだね」

 私は容器を流し台に置いた。

 悠斗が隣に立ち、二人で洗い物を始める。

 狭いキッチンだから、片方が振り向くだけで、もう片方とぶつかってしまう。

 それでも、どちらも相手に場所を譲ろうとして、結局同じ方向へ動いてしまった。

「あ、ごめん」

「こっちこそ、ごめん」

 また笑った。

 そのとき、ふと気づいた。

 私は今日、一度も「狭くて嫌だ」と思っていなかった。

 確かに、動きづらい。

 収納も足りないし、もう少し広い部屋だったら便利だろう。

 けれど、この狭さのおかげで、悠斗と何度も目が合う。

 すれ違うたびに肩が触れて、自然に笑い合える。

 離れた場所から声をかける必要もない。

 すぐ隣に、彼がいる。

 そのことが、たまらなく嬉しかった。

「ねえ、悠斗」

「ん?」

「この部屋、狭いね」

「……うん。今さら?」

「でも、私、結構好きかも」

 悠斗は手を止めた。

「この部屋が?」

「うん」

 私は少し考えてから、正直に言った。

「悠斗と近くにいられるから」

 言った瞬間、顔が熱くなった。

 恥ずかしくなって、慌てて洗い物に目を戻す。

「……今の、忘れて」

「なんで?」

「だって、恥ずかしいもん」

「俺は嬉しかったけど」

 悠斗の声が、いつもより柔らかくなった。

「俺も、この部屋でよかったと思ってる」

「本当?」

「うん。美咲がすぐ近くにいるし」

 彼はそう言って、私の肩に自分の肩を軽くぶつけた。

「ほら」

「もう!」

 私は笑いながら、彼の肩を押し返した。

 すると今度は、悠斗が私の手を取った。

「ねえ、美咲」

「何?」

「これからも、よろしくね」

 たったそれだけの言葉だった。

 でも、私は胸がいっぱいになった。

 これから先、きっと楽しいことばかりではない。

 仕事で疲れて、余裕がなくなる日もあるだろう。

 家事の分担で揉めたり、生活の違いに戸惑ったりすることもあるかもしれない。

 それでも、今日みたいに「ごめん」と笑い合える二人でいたい。

 狭い部屋の中で、何度もぶつかりながら。

 何度も言葉を交わしながら。

 少しずつ、お互いにとって居心地のいい場所をつくっていきたい。

「こちらこそ、よろしくね」

 私は彼の手を握り返した。

     *

 夜。

 ベッドに入ろうとした私は、枕を抱えたまま立ち止まった。

「……ねえ、悠斗」

「どうした?」

「やっぱり、ちょっと狭くない?」

 悠斗はベッドを見て、それから私を見た。

「うん。狭いね」

「だよね」

「でも、こうすればいいんじゃない?」

 彼は布団を少し持ち上げて、自分の隣をぽんぽんと叩いた。

「こっち、おいでよ」

 私は笑った。

「最初から、そのつもりだったくせに」

「ばれた?」

「ばればれ」

 隣に腰を下ろすと、肩が触れた。

 今日、何度目だろう。

 もう、数える気にもならなかった。

 悠斗が私の手を握る。

「美咲」

「ん?」

「この部屋、狭いけどさ」

「うん」

「二人で暮らすには、ちょうどいい気がする」

 私は彼の肩に頭を預けた。

「……私も、そう思う」

 窓の外では、夜風が静かに吹いていた。

 明日もきっと、何度も肩がぶつかるだろう。

 そのたびに「ごめん」と言って、二人で笑うのだろう。

 そんな何気ない毎日が、これからずっと続いていけばいい。

 広い家に住む夢は、いつか叶えたい。

 けれど今は、この小さな部屋が好きだった。

 だって、すれ違うたびに肩が触れる距離に、君がいる。

 そして、そのたびに思うのだ。

 ごめんと笑う君が、どうしようもなく愛しい、と。