恋愛短歌小説~三十一文字から始まる物語。この短歌、恋愛小説にしてみました~

【短歌】
 目覚めれば隣に君の寝顔あり夢ではないと頬つねる朝

 
【短歌をテーマにした物語】
 目覚めれば、隣に君がいた。

 カーテンの隙間から、柔らかな朝日が差し込んでいる。

 見慣れない天井。昨日運び込んだ段ボール箱。床に置かれたままの旅行鞄。

 そして、すぐ隣で眠る君。

「……うそ」

 私は思わず、小さな声を漏らした。

 黒い髪が少しだけ乱れて、いつもはきりっとしている眉も、今は力が抜けている。規則正しい寝息を立てるその顔は、会社で見る姿とも、デートのときの姿とも違っていた。

 無防備で、穏やかで。

 何より、こんなに近い。

「本当に……一緒に暮らしてるんだ」

 昨日、私たちは同棲を始めた。

 付き合って二年。

 休日に出かけたり、仕事帰りに待ち合わせて食事をしたり。そんな時間を重ねてきた私たちが、とうとう同じ家で暮らすことになったのだ。

 新しい部屋を探して、家具を選んで、食器を二人分そろえて。

 昨日は荷物の整理に追われて、夕飯は買ってきたお弁当だった。

 それでも、彼と向かい合って食べるだけで、いつものお弁当が特別なごちそうに思えた。

 食後には、どちらが食器を洗うかで少し揉めた。

「今日は俺がやるよ」

「引っ越しの荷ほどき、ほとんど私がやったんだから、食器くらい洗わせて」

「じゃあ、半分ずつ」

「お皿を半分ずつ洗うの?」

「……それ、結構難しいな」

 二人で笑った。

 そんな何でもない時間が、嬉しかった。

 そして夜。

 同じベッドに入った私たちは、妙に緊張してしまった。

「なんか、変な感じだね」

 私が言うと、彼は天井を見つめたまま頷いた。

「うん。隣にいるのに、会いに来たって感じがしない」

「当たり前でしょ。これからは、帰ってくれば会えるんだから」

「……そうだな」

 その声が少しだけ優しくなった。

「毎日、おかえりって言えるんだな」

 その言葉を聞いた瞬間、胸がいっぱいになった。

 これからは、会いたいと思うたびに約束をしなくてもいい。

 疲れた日には、同じ部屋で黙って過ごせる。

 嬉しいことがあれば、帰ってきてすぐに話せる。

 そんな未来が、ようやく始まったのだ。

 私は彼の手を握り、いつの間にか眠っていた。

 そして今、朝。

 目の前には、その彼がいる。

 私はそっと手を伸ばした。

 頬に触れてみようとして、途中で止める。

 起こしてしまうのが惜しかった。

 もう少しだけ、この寝顔を見ていたい。

 普段は私より早く起きて、朝食の準備を手伝ってくれる彼。私が寝坊しそうになると、優しく声をかけてくれる彼。

 そんな彼が、今日はまだ眠っている。

 私は小さく笑った。

「……かわいい」

 口にしてから、慌てて口元を押さえた。

 誰も聞いていないのに、恥ずかしくなってしまう。

 そのとき、彼の眉がぴくりと動いた。

「……ん」

「!」

 私は慌てて目を閉じた。

 なぜか、眠ったふりをしてしまった。

 彼が身じろぎする気配がする。

「……美咲?」

 名前を呼ばれた。

 返事をするべきか迷っていると、額にそっと何かが触れた。

「おはよう」

 優しい声だった。

 私は目を開けた。

「……おはよう」

「早いね」

「うん。なんか、目が覚めちゃって」

「そっか」

 彼はまだ眠そうな顔で笑った。

 その笑顔を見た瞬間、胸の奥がくすぐったくなる。

 昨日まで、朝はそれぞれの家で迎えていた。

 彼がどんな顔で目覚めるのかも、寝起きにどんな声を出すのかも、私は知らなかった。

 これからは、そんな小さなことまで知っていくのだろう。

 嬉しいことも、面倒なことも。

 きっと、全部。

「ねえ、悠くん」

「ん?」

「私たち、本当に一緒に暮らしてるんだね」

 彼は一度目を瞬かせて、それから笑った。

「昨日からずっとそうだよ」

「わかってるけど……なんか、夢みたいで」

「夢じゃないよ」

 そう言って、彼は私の手を握った。

「ほら」

 温かい手だった。

 私はその手を握り返した。

 それでも、まだ少し信じられなくて。

「……ねえ、頬つねってもいい?」

「なんで?」

「夢じゃないって、確かめたいから」

 彼は呆れたように笑った。

「自分の頬にしてよ」

「それもそうだね」

 私は自分の頬を、きゅっとつねった。

「いたっ」

「ほら、夢じゃない」

 彼が笑う。

 私も笑った。

 こんなふうに、くだらないことで笑い合える朝が、これから何度もやってくる。

 窓の外では、小鳥がさえずっていた。

「朝ごはん、どうする?」

 私が尋ねると、彼は少し考えてから答えた。

「昨日買ったパン、残ってたよね?」

「あるよ。あと、卵も」

「じゃあ、卵焼き作ろうか」

「朝から?」

「美咲、好きだろ?」

 覚えていてくれたことが、嬉しかった。

「……うん。好き」

 そう答えると、彼は布団から出ようとして、ふと動きを止めた。

「でも、あと五分だけ」

「え?」

「こうしてたい」

 彼は私の手を握ったまま、もう一度枕に頭を預けた。

 私は驚いて、それから笑った。

「卵焼きは?」

「五分後」

「冷めちゃうよ」

「まだ作ってないだろ」

「それもそうだね」

 私たちは顔を見合わせて笑った。

 朝食は、きっと少し遅くなる。

 洗濯物も、片づけも、まだまだ残っている。

 新しい暮らしは、思い描いていたようなことばかりではないのかもしれない。

 それでも。

 目覚めれば、隣に君がいる。

 それだけで、今日という日が少し特別になる。

 私は握った手を見つめ、そっと彼の肩に頭を預けた。

「ねえ、悠くん」

「ん?」

「明日も、隣にいてね」

 彼は眠そうに目を細めた。

「明日も、その次も。ずっといるよ」

 その言葉を聞いて、私はようやく安心した。

 頬をつねらなくても、もう大丈夫。

 夢ではないと確かめる方法を、私は知っている。

 隣にいる君の手を握ること。

 そして、明日の朝も、その温もりを感じること。

 新しい暮らしの最初の朝。

 私は、世界でいちばん幸せな寝坊をしていた。