恋愛短歌小説~三十一文字から始まる物語。この短歌、恋愛小説にしてみました~

【短歌】
肌寒い 朝に君から おはようと 声をかけられ 春より赤い

 
【短歌をテーマにした物語】
 十月の朝は、思っていたよりも寒かった。

 家を出ると、ひんやりとした風が頬をなでる。制服のカーディガンを着てきて正解だった。私は襟元を整えながら、駅へ続く道を歩いていた。

 吐く息が白くなるほどではないけれど、夏の名残はもうどこにもない。

 道端の木々は少しずつ色づき始め、通学路には落ち葉がちらほらと散っている。

 秋だなあ。

 そんなことを考えながら角を曲がった、そのときだった。

「おはよう、結衣」

 聞き慣れた声が、背後から私を呼んだ。

 振り返ると、そこにいたのは同じクラスの蓮だった。

 少し寝癖の残った髪。肩にかけた通学バッグ。いつもと変わらない、何気ない笑顔。

 ただ、それだけ。

 たったそれだけなのに。

「お、おはよう!」

 自分でも驚くほど大きな声が出た。

 蓮は一瞬きょとんとしたあと、楽しそうに笑った。

「どうした? そんなに驚いた?」

「べ、別に驚いてないよ!」

「そう?」

「そう!」

 慌てて前を向く。

 顔が熱い。

 朝の冷たい風が吹いているのに、頬だけがじんわりと熱を持っていた。

 どうしてだろう。

 昨日だって、教室で話した。
 先週だって、一緒に帰った。

 蓮はただ、いつもどおり挨拶をしてくれただけなのに。

 私はマフラーもしていない首元を、意味もなく手で押さえた。

 落ち着いて。

 いつもどおりに。

 そう自分に言い聞かせるほど、心臓は忙しくなる。

 *

「結衣って、朝は弱い?」

 隣を歩く蓮が尋ねた。

「え? どうして?」

「なんか、まだ眠そうだから」

「そんなことないよ」

「じゃあ、寒いから?」

「……それは、ちょっとあるかも」

 本当は、寒さのせいだけではなかった。

 好きなのだ。

 蓮のことが。

 いつから好きになったのか、自分でもよくわからない。

 困っているときに自然に助けてくれるところ。
 誰に対しても分け隔てなく接するところ。
 ふざけて笑わせてくれるくせに、真剣な話は最後まで聞いてくれるところ。

 知れば知るほど、目で追う時間が増えていった。

 そして最近は、挨拶を交わすだけでも、こんなふうになってしまう。

「じゃあさ」

 蓮がこちらを向いた。

「明日から、俺が朝に起こしてやろうか?」

「えっ?」

「朝、寒いと布団から出たくなくなるだろ。俺もそうだから、誰かに起こしてもらえたらいいなって」

「そ、それって……」

 一緒に登校するということだろうか。

 毎朝、蓮と。

 そんなことを想像しただけで、頬がさらに熱くなった。

「……いいの?」

 思わず、小さな声で尋ねていた。

「もちろん。途中まで同じ道だし」

 蓮は、あっさりと答えた。

「じゃあ、明日から一緒に行こうよ」

 胸の奥で、何かが弾けた気がした。

「うん!」

 今度は、さっきよりも素直な声が出た。

 蓮は満足そうに笑い、再び前を向いた。

 私はその横顔を盗み見る。

 朝の光が、彼の髪を淡く照らしていた。

 春には桜の花びらが舞うこの道も、今は秋色に染まり始めている。

 春の朝、蓮と初めて話したときも、こんなふうに緊張しただろうか。

 いや、あのころはまだ、ただのクラスメイトだった。

 挨拶を交わすだけでうれしくなったり、隣を歩くだけで頬が熱くなったりするなんて、想像もしていなかった。

 季節が変わるあいだに、私の気持ちも変わっていたのだ。

 *

 校門が見えてきたころ、蓮がふいに立ち止まった。

「そういえば、結衣」

「な、なに?」

「今日、顔赤くない?」

 心臓が跳ねた。

「えっ、そう?」

「うん。熱でもある?」

 蓮が心配そうに顔をのぞき込んでくる。

 近い。

 いつもよりずっと近い。

「だ、大丈夫! なんでもないから!」

「ほんとに?」

「ほんと!」

 私は勢いよくうなずいた。

 蓮はしばらく私の顔を見ていたけれど、やがてふっと笑った。

「そっか。ならいいけど」

 そして、何事もなかったように歩き始めた。

 私はその場に一瞬取り残され、慌てて後を追った。

 もう、どうしよう。

 寒い朝なのに、顔が熱くてたまらない。

 きっと、春の桜よりも赤い。

 そう思うくらい、頬が熱かった。

 *

 教室に入ると、友達の美咲がすぐに気づいた。

「結衣、なんか今日、機嫌よくない?」

「そ、そうかな?」

「うん。ずっとにこにこしてる」

「そんなことないって」

 否定したけれど、口元が緩んでしまう。

 明日も、蓮と一緒に登校する。

 それだけで、一日が楽しみになった。

 秋の朝は寒い。

 布団から出るのも、家を出るのも、少しだけ勇気がいる。

 でも明日からは、きっと違う。

 玄関を出たら、彼に会える。

 おはよう、と声をかけてもらえるかもしれない。

 そう考えるだけで、早起きだって頑張れそうだった。

 窓の外では、風に吹かれた紅葉が一枚、ゆっくりと地面に落ちていく。

 春には気づかなかった景色が、今はこんなにもきれいに見える。

 きっと、恋をしているからだ。

 私は頬にそっと触れた。

 まだ、少し熱い。

 肌寒い朝に、君から「おはよう」と声をかけられた。

 たったそれだけで、春より赤くなってしまう。

 明日もまた、君に会いたい。

 そう思いながら、私は机の上に頬杖をつき、窓の向こうの秋空を見上げた。