恋愛短歌小説~三十一文字から始まる物語。この短歌、恋愛小説にしてみました~

【短歌】
眼鏡など 似合わないよと 思ってた 君が似合うと 笑ってくれた


 
【短歌をテーマにした物語】
 眼鏡なんて、私には似合わない。

 そう思ったのは、眼鏡屋さんで初めて自分の顔を見たときだった。

 最近、黒板の文字が見えにくくなった。授業中、目を細めていることに気づいた担任の先生に勧められて眼科へ行くと、視力が落ちていると言われた。

 それから数日後、私は人生で初めて眼鏡を手に入れた。

 細い茶色のフレーム。店員さんには「よくお似合いですよ」と言われたけれど、鏡に映る自分は、いつもの自分とは別人のようだった。

 なんだか大人っぽくなった気もする。
 でも、それ以上に恥ずかしかった。

 できることなら、誰にも見られたくない。

 そう思いながら登校した月曜日。

「おはよう、春香」

 教室に入るなり、声をかけてきたのは、隣の席の悠斗だった。

 私は反射的に顔を伏せた。

「……おはよう」

「ん? どうした?」

「なんでもない」

 眼鏡の奥で、目を泳がせる。

 悠斗は不思議そうに首をかしげたけれど、それ以上は何も聞かなかった。

 よかった。

 そう思ったのも束の間だった。

「あれ、春香、眼鏡?」

 休み時間、悠斗が私の顔をのぞき込んだ。

「う、うん。最近、黒板が見えにくくて……」

「へえ!」

 彼の声が少し大きくなった。

 やっぱり変かな。
 似合わないって思われたかな。

 私は眼鏡の位置を直しながら、うつむいた。

「……変でしょ」

「え?」

「眼鏡、似合わないよね。自分でも変だと思うし」

 言ってしまってから、後悔した。

 本当は、そんなことないよと言ってほしかったのかもしれない。

 でも、悠斗が困った顔をしたら、きっともっと傷ついてしまう。

 私は彼の顔を見られずにいた。

 すると。

「そんなことないけど」

 思いがけない言葉が返ってきた。

 おそるおそる顔を上げる。

 悠斗はいつものように笑っていた。

「似合ってるじゃん」

「……え?」

「眼鏡。なんか、いつもと雰囲気が違って新鮮。俺、いいと思うけどな」

 あまりにも自然に言うものだから、すぐには意味がわからなかった。

 似合ってる。

 悠斗が、私の眼鏡姿を見て、そう言ってくれた。

「……ほんとに?」

「うん。なんで嘘つくんだよ」

 彼はくすっと笑った。

 その笑顔を見た瞬間、胸の奥がきゅっと縮まった。

 顔が熱い。

 眼鏡をかけているから、赤くなった頬も少しは隠せているだろうか。

「……ありがと」

 やっとのことで、それだけ言った。

 悠斗は「どういたしまして」と答えて、自分の席に戻っていった。

 私はその背中を見送りながら、何度も彼の言葉を思い返した。

 似合ってるじゃん。

 たったそれだけの言葉なのに。

 朝、鏡の前で感じた憂鬱が、少しだけ薄れていく気がした。

 *

 それから、眼鏡をかけることが前ほど嫌ではなくなった。

 もちろん、まだ少し恥ずかしい。

 友達に「眼鏡、買ったんだね」と言われると照れてしまうし、写真を撮るときには、ついフレームの位置を気にしてしまう。

 けれど、教室の後ろからでも黒板の文字が読めるようになったし、遠くにいる友達の表情もわかるようになった。

 そして何より。

 眼鏡をかけているとき、悠斗が私を見て笑ってくれたことを思い出す。

 そのたびに、少しだけ自信が持てるようになった。

 ある日の放課後。

 私は図書室で借りた本を返すため、廊下を歩いていた。

 窓から差し込む夕日が、床をオレンジ色に染めている。

「あ、春香!」

 後ろから聞こえた声に振り向く。

 悠斗が小走りでやってきた。

「今、帰り?」

「うん。悠斗も?」

「そう。駅まで一緒に行かない?」

 何でもないことのように誘われて、私は少し驚いた。

「……いいの?」

「いいに決まってるだろ」

 悠斗は笑った。

 その笑顔が、眼鏡越しにはっきりと見える。

 前は、少し離れた場所にいる彼の表情なんて、よくわからなかった。

 今は、笑っていることも、楽しそうにしていることも、ちゃんとわかる。

 並んで歩きながら、私は思い切って尋ねてみた。

「ねえ、悠斗」

「ん?」

「私、本当に眼鏡、似合ってる?」

 何度も聞いたら、しつこいと思われるだろうか。

 それでも、もう一度だけ確かめたかった。

 悠斗は少し考えるように私を見て、それから笑った。

「似合ってるよ」

「……どうして?」

「どうしてって?」

「前は眼鏡なんてかけてなかったのに。急に雰囲気が変わったし……」

 言いながら、また恥ずかしくなる。

 すると、悠斗は少しだけ声をやわらかくした。

「眼鏡をかけてても、かけてなくても、春香は春香だろ?」

 私は思わず足を止めた。

「それにさ」

 悠斗も立ち止まり、私の顔をのぞき込む。

「春香が気に入ってないなら、もったいないなって思う。俺は、いいと思ってるのに」

 そう言って、彼は笑った。

 からかうような笑顔ではなかった。

 私のことを、ちゃんと見てくれている。

 そんな気がした。

「……そっか」

 それ以上、何も言えなかった。

 胸がいっぱいだった。

 眼鏡をかける前より、世界がずっと鮮やかに見える。

 夕日の色も、道端に咲く小さな花も、隣を歩く悠斗の笑顔も。

 そして、彼の言葉が、私の心の中で何度も繰り返される。

 似合ってるよ。

 そのひと言をくれた人が、こんなにも大切な人だったなんて。

 私はまだ、自分の気持ちに名前をつけられない。

 でも、明日も眼鏡をかけて学校へ行こうと思った。

 彼に会いたい。

 彼に、もう一度笑ってほしい。

 いつか、眼鏡が似合うと言ってくれたお礼だけではなく、もっと別の言葉も伝えられたらいい。

 夕暮れの帰り道。

 私は眼鏡の位置をそっと直して、隣を歩く悠斗を見上げた。

 眼鏡など、似合わないと思っていた。

 けれど、君が似合うと笑ってくれた。

 だから今日の私は、昨日よりほんの少しだけ、自分のことが好きだった