恋愛短歌小説~三十一文字から始まる物語。この短歌、恋愛小説にしてみました~

【短歌】
 予定にはなかった君がいつの間に心の中の一番になる
 


【短歌をテーマにした物語】
 私の人生設計に、恋愛という項目はなかった。

 少なくとも、大学に入るまでは。

 高校三年生の春、私は進路希望調査の用紙に、迷いなく第一志望の大学名を書いた。

 将来やりたい仕事がある。勉強したいこともある。大学に入ったら資格の勉強をして、アルバイトをして、長期休暇には旅行にも行きたい。

 やりたいことは、いくらでもあった。

 恋人が欲しいと思ったことがないわけではないけれど、今すぐ必要だとは思わなかった。

 誰かを好きになって、相手のことで悩んだり、連絡を待ったり、会えない時間を寂しがったり。

 そんなことに時間を使うより、自分の目標に向かって進むほうが、私には合っていると思っていた。

 だから、大学に入学して最初のオリエンテーションで、隣の席になった彼のことも、特に気に留めていなかった。

「その資料、後ろのページもあるよ」

 彼は私が配布資料をめくるのを見て、そう教えてくれた。

「あ、本当だ。ありがとう」

「どういたしまして」

 それだけの会話だった。

 彼の名前は、佐伯悠人。

 同じ学部で、同じ講義をいくつか受けている。

 最初はそれだけの関係だった。

     *

 悠人と話すようになったのは、入学して一か月ほど経った頃だった。

 きっかけは、講義の課題だった。

 グループで発表することになり、偶然同じ班になったのだ。

「この資料、もう少し整理したほうがわかりやすいかな」

 私がパソコンの画面を見せると、悠人は椅子を寄せてきた。

「うん。でも、ここの説明は今のままでもいいと思う。わかりやすいし」

「そう?」

「うん。ちゃんと考えて作ってるのが伝わるよ」

 思いがけない言葉だった。

 私は昔から、真面目だと言われることが多かった。

 けれど、真面目すぎるとか、もっと適当でいいのにとか、そんなふうに言われることもあった。

 頑張っていることを、そのまま認めてもらえるのは、少し嬉しかった。

「ありがとう。じゃあ、ここは残しておこうかな」

「そうしよう」

 悠人は笑った。

 それから、私たちは課題の相談をするようになった。

 講義が終わったあとに一緒に図書館へ行くこともあったし、学食で昼食を食べることもあった。

 悠人は、私とは少し違う人だった。

 私は先の予定を決めてから行動するタイプだけれど、彼はその日の気分で行き先を変える。

 私は失敗しないように何度も確認するけれど、彼は失敗しても「次は気をつけよう」と笑っている。

 初めは、ずいぶん気楽な人だと思った。

 けれど、一緒にいるうちに、その気楽さに何度も救われた。

 試験前に勉強が思うように進まず、焦っていたとき。

「全部完璧にしなくてもいいんじゃない?」

 悠人は、私のノートをのぞき込みながら言った。

「でも、できるだけいい成績を取りたいし」

「うん。それはわかる。でも、ちゃんと頑張ってるじゃん。今日はもう帰って寝ようよ」

「まだ終わってないよ」

「明日の自分に任せるのも、立派な計画だと思うけど」

 あまりにも堂々と言うので、私は思わず笑ってしまった。

「何それ」

「俺、いいこと言ったと思ったんだけどな」

「自分で言わないでよ」

 二人で笑った。

 その帰り道、私は思った。

 悠人といると、予定どおりにいかないことも、悪くない。

     *

 夏休みが近づいた頃、私は自分の変化に気づき始めた。

 朝、大学へ向かう電車の中で、今日の講義を確認する。

 そのあと、無意識に悠人の時間割を思い出す。

 今日は同じ講義がある。

 昼休みは、学食に行くだろうか。

 昨日貸した本は、もう読み終わっただろうか。

 考えてから、私は慌ててスマートフォンをしまった。

 何をしているんだろう。

 別に、悠人に会えなくても困らない。

 課題だって一人でできるし、昼食だって一人で食べられる。

 連絡が来なくても、何か問題があるわけではない。

 それなのに、彼のことを考えてしまう。

 大学に着いて、彼の姿を見つけると、ほっとする。

 講義中に目が合うと、少し嬉しい。

 帰り際に「また明日」と言われると、明日が楽しみになる。

 私はそれらの気持ちを、しばらく見ないふりをしていた。

 だって、恋愛なんて予定になかったのだから。

 今は勉強を頑張りたい。

 やりたいことだって、たくさんある。

 誰かを好きになってしまったら、きっといろいろなことが変わってしまう。

 そんなふうに考えていた。

 けれど、ある日の夕方。

 図書館で一緒に課題をしていた悠人が、ふと顔を上げた。

「そういえば、来週の土曜日って空いてる?」

「土曜日?」

「うん。駅前に新しい本屋ができるんだって。ちょっと面白そうだから、行ってみない?」

 私は手元のノートを見つめた。

 来週の土曜日。

 確か、午前中に課題を進めて、午後は資格の勉強をする予定だった。

 予定表を確認しようとして、やめた。

「……うん。空いてるよ」

「よかった。じゃあ、一緒に行こう」

 悠人は嬉しそうに笑った。

 その顔を見た瞬間、私は自分が何をしたのか理解した。

 予定を変えたのだ。

 自分のために決めていた時間を、彼と過ごすために使おうとしている。

 しかも、嫌だとは思わなかった。

 むしろ、楽しみだった。

     *

 土曜日、私は待ち合わせ場所に十分早く着いた。

 いつもより少しだけ服を選ぶのに時間がかかった。

 髪型を整え、鏡を見て、鞄の中身を確認する。

 普段の私なら、こんなことに時間をかけるくらいなら、少しでも勉強を進めようと思うだろう。

 けれど今日は、違った。

「お待たせ!」

 悠人が手を振りながらやってきた。

「ううん。私も今来たところ」

「じゃあ、行こうか」

 新しい本屋は、想像していたよりも広かった。

 私たちはそれぞれ好きな棚を見て回り、気になった本を紹介し合った。

 悠人が勧めてくれた小説は、普段の私なら手に取らないようなジャンルだった。

「こういうの読むんだ?」

「うん。たまには違うものも面白いよ」

「じゃあ、読んでみようかな」

「読み終わったら感想聞かせて」

 彼はそう言って笑った。

 本屋を出たあと、私たちは近くのカフェで休憩した。

 学校の話、好きな本の話、将来の話。

 気がつけば、外は夕暮れになっていた。

「もうこんな時間か」

 悠人が時計を見て言った。

「ほんとだ」

「楽しいと、あっという間だね」

 その言葉に、私は胸の奥が温かくなるのを感じた。

 楽しかった。

 ただ本屋へ行って、お茶を飲んで、話をしただけ。

 特別なことなんて何もなかった。

 それなのに、今日という一日を、私はきっと忘れない。

 駅まで歩く途中、悠人が言った。

「また、どこか行こうよ」

「うん。行きたい」

 返事は、考えるより先に出ていた。

 彼は笑った。

 その笑顔を見ながら、私はようやく認めた。

 私は、悠人が好きなのだ。

 会いたいと思う。

 話したいと思う。

 一緒にいると嬉しいし、別れると少し寂しい。

 彼が楽しそうにしていると、自分まで幸せな気持ちになる。

 もう、友達だからという理由だけでは説明できなかった。

     *

 帰宅してから、私は机に向かった。

 いつものように、翌週の予定を手帳に書き込む。

 講義、課題、資格の勉強、アルバイト。

 以前と同じように、やるべきことはたくさんある。

 けれど、手帳を見つめていると、自然に思い出す。

 来週は、悠人に借りた本を返そう。

 次の金曜日は、講義のあとに一緒に昼食を食べられるだろうか。

 今度は、私からどこかへ誘ってみようかな。

 気がつけば、予定の中に彼がいた。

 最初から決めていたわけではない。

 彼と出会うことも、一緒に過ごすことも、好きになることさえも。

 私の人生設計には、なかったはずなのに。

 それでも今は、彼がいる未来を考えるのが楽しい。

 私は手帳の余白に、小さく書き込んだ。

 ――悠人に会う。

 書いてから、少し恥ずかしくなって笑った。

 たったそれだけの予定なのに、胸が弾む。

 人生は、予定どおりに進むとは限らない。

 時には思いがけない出会いがあって、知らなかった景色を見せてくれる。

 そして、気づかないうちに、その人が心の中で大切な場所を占めるようになる。

 恋愛なんて、予定になかった。

 誰かを好きになるつもりもなかった。

 けれど、今の私は思う。

 予定にないことが起きるからこそ、人生は面白いのかもしれない。

 手帳を閉じる前に、私はもう一度、余白の文字を見た。

 予定にはなかった君が、いつの間にか、心の中の一番になっていた。