恋愛短歌小説~三十一文字から始まる物語。この短歌、恋愛小説にしてみました~

【短歌】
昨日まで何ともなかったはずなのに今日の君だけまぶしく見えた
 

【短歌をテーマにした物語】
 彼のことは、ずっと友達だと思っていた。

 同じクラスになって二年目。席が近くなれば話すし、体育の授業では同じチームになることもある。テスト前にはノートを貸し借りするし、帰り道が一緒になれば、くだらない話をしながら駅まで歩く。

 特別に仲がいいわけではない。

 けれど、気を遣わずに話せる相手。

 それが、私にとっての彼だった。

「おはよう、結衣」

 月曜日の朝。

 教室に入ると、窓際の席に座っていた彼が顔を上げた。

「おはよう」

 私はいつもどおり返事をして、自分の席に鞄を置いた。

 いつもどおりの朝。

 いつもどおりの彼。

 何も変わらないはずだった。

 なのに。

「結衣、これ見た?」

 彼が机の上に置いたスマートフォンを、私のほうへ向けた。

「何?」

「昨日の試合。最後の逆転、すごくなかった?」

 彼は楽しそうに話し始めた。

 私は画面をのぞき込みながら、相づちを打った。

 そのとき、ふと気づいた。

 彼の横顔が、いつもより近くに見える。

 笑ったときに少し細くなる目。

 話に夢中になると、ほんの少し前のめりになる癖。

 私が何か言うと、ちゃんとこちらを見て聞いてくれるところ。

 知っているはずのことばかりなのに、なぜかひとつひとつが新鮮だった。

「……どうした?」

 彼が不思議そうに私を見た。

「えっ?」

「なんか、ぼーっとしてない?」

「そ、そんなことないよ」

 私は慌てて目をそらした。

 心臓が、いつもより速く動いている。

 どうして?

 今までだって、何度もこんなふうに話してきた。

 隣に座ったことも、顔を近づけてスマートフォンを見たことも、一度や二度じゃない。

 なのに今日は、彼の声を聞くだけで落ち着かない。

「変なの」

 小さくつぶやいた声は、彼には届かなかったらしい。

 彼は「じゃあ、またあとで」と言って、友達のところへ行ってしまった。

 私はその背中を見送った。

 そして、自分の気持ちに気づかないふりをした。

     *

 その日の体育は、バスケットボールだった。

 男女混合のチームに分かれ、簡単な試合をする。

 彼は運動が得意だった。

 いつもふざけているくせに、ボールを持つと真剣な顔になる。走るのも速いし、仲間への声かけもうまい。

 それも、前から知っていた。

 知っていたはずなのに。

「パス!」

 彼の声が体育館に響く。

 ボールを受け取った彼は、相手をかわしてゴールへ向かった。

 シュートが決まる。

「よっしゃ!」

 彼は仲間と手を合わせ、嬉しそうに笑った。

 その瞬間、私は目を離せなくなった。

 窓から差し込む午後の光が、彼の髪を照らしていた。

 額に浮かんだ汗をタオルで拭いながら、彼はまた笑う。

 いつも見ている笑顔。

 いつも聞いている声。

 それなのに、まるで知らない人を見ているようだった。

 胸の奥が、きゅっと締めつけられる。

 私は思わず、手元のボールを強く抱えた。

 ああ。

 そういうことか。

 ようやく、自分がどうして落ち着かないのか、わかった気がした。

 彼がかっこいいと思った。

 もっと見ていたいと思った。

 自分以外の誰かに向けている笑顔なのに、目で追わずにはいられなかった。

 それは、友達に向ける気持ちとは、少し違っていた。

     *

 放課後、私は友達の美咲と一緒に帰っていた。

「ねえ、美咲」

「ん?」

「好きって、いつ気づくものなのかな」

 美咲は足を止めた。

「何それ。好きな人できたの?」

「いや、そういうわけじゃ……」

「ふうん?」

 疑わしそうな顔をされて、私は口をつぐんだ。

 美咲は少し考えてから言った。

「人によるんじゃない? 最初から好きってわかる人もいるし、友達だと思ってたのに、ある日突然気づく人もいるし」

「ある日突然?」

「うん。昨日までは普通だったのに、今日はなんか違う、みたいな」

 私は立ち止まった。

 昨日までは普通だった。

 今日はなんか違う。

 まるで、今の自分のことを言われているみたいだった。

「……そっか」

「で? 誰なの?」

「だから、まだわからないってば!」

 美咲は声を立てて笑った。

 私は頬が熱くなるのを感じながら、再び歩き出した。

 でも、もうごまかせなかった。

 頭に浮かんでいるのは、たった一人。

 体育館で笑っていた彼の姿だった。

     *

 翌朝。

 教室に入ると、彼はまだ来ていなかった。

 私は席に座り、窓の外を眺めた。

 昨日のことを思い出すたび、胸の奥がむずむずする。

 今日、彼に会ったらどうしよう。

 いつもどおり話せるだろうか。

 目が合ったら、ちゃんと笑えるだろうか。

 そんなことを考えている自分が、少し恥ずかしかった。

「おはよう、結衣」

 聞き慣れた声がした。

 私は反射的に振り向いた。

 彼が鞄を肩にかけたまま、笑っている。

「昨日の体育、最後の試合、惜しかったな」

「う、うん。そうだね」

「今日の昼、購買行く? 新しいパンが出るらしいよ」

「……行く」

「よし。じゃあ一緒に行こう」

 彼はそう言うと、自分の席へ向かった。

 たったそれだけだった。

 いつもどおりの会話。

 いつもどおりの笑顔。

 なのに私は、しばらく返事の余韻に浸っていた。

 今日も、彼がまぶしく見える。

 昨日だけの気の迷いじゃなかった。

 きっと明日も、彼を目で追ってしまう。

 彼が誰かと笑っていたら、気になってしまう。

 名前を呼ばれたら、嬉しくなってしまう。

 私は机に頬を寄せ、誰にも聞こえない声でつぶやいた。

「……好き、なのかな」

 答えは、まだはっきりとは出せない。

 告白する勇気もないし、これからどうすればいいのかもわからない。

 ただ、昨日まで何とも思っていなかったはずの彼が、今日はこんなにもまぶしい。

 それだけは、もう否定できなかった。

 窓の向こうでは、秋の空が澄んでいた。

 いつもと同じ教室。

 いつもと同じ朝。

 でも、私の世界は昨日とは少しだけ違っていた。

 恋は、もっと劇的に始まるものだと思っていた。

 運命の出会いがあったり、忘れられない言葉をもらったり。

 けれど私の場合は、何も変わらない毎日の中で、たった一人の見え方が変わっただけだった。

 昨日まで何ともなかったはずなのに。

 今日の君だけ、まぶしく見えた。

 そして私は、明日もきっと、君を探してしまう。