恋愛短歌小説~三十一文字から始まる物語。この短歌、恋愛小説にしてみました~

【短歌】
打席立つ 君を見つめて 祈るだけ 声が届いて ほしいと願う
 

【短歌をテーマにした物語】
 試合の日は、いつもより早く家を出る。

 グラウンドには、まだ朝の空気が残っていた。

「おはよう」

 私が声をかけると、彼が振り返った。

「おはよう、マネージャー」

 いつもの呼び方。

 たったそれだけなのに、今日は少し嬉しかった。

 私はベンチの準備をして、ボールを確認して、選手たちの水分も用意する。

 いつもと同じ仕事。

 だけど今日は、大事な公式戦だ。

 負ければ、このチームでの夏が終わる。

 練習のときから、彼はずっと頑張っていた。

 誰より早くグラウンドに来て、最後まで残って練習する。

 調子が悪い日もあった。

 思うように打てず、悔しそうにバットを握っていた日も知っている。

 それでも彼は、次の日にはまた練習していた。

 私はそんな姿を、ずっと近くで見てきた。

 だから今日だけは。

 どうか、彼の努力が報われてほしい。

 そう思っていた。

     *

 試合は一進一退だった。

 守備につく彼。

 ベンチへ戻ってくる彼。

 私はそのたびにタオルや水を渡す。

「ありがとう」

「うん」

 それだけ。

 それ以上のことは言えない。

 試合中だから。

 でも、本当は何度も言いたかった。

 頑張って。

 大丈夫。

 いつも見てるよ。

 ずっと応援してる。

 そんな言葉を。

 最終回。

 スコアは同点だった。

 そして、彼の名前が呼ばれる。

「次、行け!」

 監督の声が飛ぶ。

 彼がバットを持って、打席へ向かっていく。

 私は思わず立ち上がった。

 胸が苦しい。

 手を握りしめる。

 周りから大きな声援が聞こえる。

 相手チームの応援。

 味方の応援。

 いろんな声が重なっている。

 それでも私は、彼だけを見ていた。

 バッターボックスに立つ彼。

 帽子のつばに触れて、静かに構える。

 いつも練習で見てきた姿。

 なのに今日は、少し遠く感じる。

 ピッチャーが投げる。

 ストライク。

 もう一球。

 ファウル。

 私は祈るように両手を握った。

 頑張って。

 ここまで来たんだから。

 ずっと努力してきたんだから。

 どうか、届いて。

 私の声。

 私の気持ち。

 全部。

「頑張れ……!」

 気づけば、声に出していた。

 周りの声援に紛れて、彼に聞こえたかどうかも分からない。

 それでも私は、もう一度叫んだ。

「頑張れ!」

 彼が、一瞬だけこちらを見た。

 目が合った。

 ほんの一瞬。

 でも、確かに目が合った。

 そして彼は、少しだけ笑った。

 次の球が投げられる。

 バットが振られる。

 カンッ――!

 乾いた音がグラウンドに響いた。

 ボールは外野へ飛んでいく。

 選手たちが走り出す。

「走れ!」

 ベンチから声が飛ぶ。

 彼も走る。

 一塁。

 二塁。

 そして――。

 歓声が上がった。

 サヨナラだった。

「やった!」

 チームメイトがグラウンドへ飛び出していく。

 私はその場に立ったまま、しばらく動けなかった。

 嬉しくて。

 安心して。

 気づいたら涙が出ていた。

     *

 試合が終わったあと。

 片付けをしていると、彼がやってきた。

「マネージャー」

「何?」

「さっきさ」

「うん」

「聞こえた」

「え?」

 私は顔を上げた。

「打席に立ってたとき」

 彼は少し照れくさそうに笑った。

「お前の声、ちゃんと聞こえた」

「……本当に?」

「ああ」

 胸がいっぱいになった。

 たった一言。

 ただ「頑張れ」と言っただけ。

 それなのに、こんなに嬉しい。

「じゃあ……よかった」

「うん。ありがとう」

 彼はそう言って、グラウンドのほうへ戻っていった。

 私はその背中を見つめた。

 今日も私は、選手ではない。

 バットを振ることもできない。

 マウンドに立つこともできない。

 ただ、応援することしかできない。

 それでも。

 私の声が、彼に届くことがある。

 それだけでいいと思った。

 これからも、彼が打席に立つたびに。

 私はきっと祈る。

 頑張れ、と。

 届いてほしい、と。

 そしていつか。

 彼が振り返ったときに、今日みたいに笑ってくれたら。

 それだけで、私はずっとこの場所にいられる気がした。

 打席立つ。

 君を見つめて。

 祈るだけ。

 声が届いてほしいと願う。

 そんな私の夏は、まだ終わらない。