恋愛短歌小説~三十一文字から始まる物語。この短歌、恋愛小説にしてみました~

【短歌】
 帰宅して 「ただいま」のあと 食卓で 君と「おいしい」 分け合う夕べ



【短歌をテーマにした物語】
 玄関の扉を開ける。

「ただいま」

 返事の代わりに、キッチンから包丁の音が聞こえた。

 トントン、トントン。

 その音を聞くだけで、なんだか一日の疲れが少し軽くなる。

「おかえり」

 顔を出した君は、エプロン姿だった。

「今日、早かったんだね」

「うん。仕事が予定より早く終わったから」

「じゃあ、ちょうどよかった」

 君が笑う。

 キッチンから、いい匂いがする。

「何作ってるの?」

「秘密」

「匂いで分かるよ。カレーでしょ」

「……秘密って言ったのに」

 少し拗ねたように君が言う。

 私は笑った。

 *

 着替えてリビングへ戻ると、テーブルには二人分の料理が並んでいた。

 カレー。

 サラダ。

 それから、私の好きな卵焼き。

「卵焼きまで作ってくれたの?」

「この前、好きって言ってたから」

「覚えてたんだ」

「そりゃ覚えてるよ」

 君は当たり前みたいに答える。

 その言葉が、なんだか嬉しかった。

「じゃあ、食べよう」

「うん」

 二人で椅子に座る。

「いただきます」

「いただきます」

 スプーンを持つ。

 一口食べる。

「……おいしい」

「ほんと?」

「うん。すごくおいしい」

 君が嬉しそうに笑う。

「よかった」

 その顔を見ていると。

 料理そのものよりも。

 君が喜んでいることのほうが嬉しくなった。

 *

「この卵焼き、ちょっと甘いね」

「嫌だった?」

「ううん。好き」

「よかった」

 君は卵焼きを一つ取る。

「こっちは?」

「それもおいしい」

「じゃあ、そっちのサラダは?」

「おいしい」

「カレーは?」

「おいしい」

「全部?」

「全部」

 君が笑う。

「じゃあ、今日の私は料理上手ってことで」

「今日だけ?」

「何それ」

 二人で笑った。

 仕事の話。

 学校の頃の思い出。

 最近見つけた面白い動画。

 週末にどこへ行こうかという話。

 特別な話なんて何もない。

 けれど。

 こうして向かい合って話している時間が。

 私は好きだった。

 *

 気がつけば、皿はほとんど空になっていた。

「ごちそうさま」

「お粗末さまでした」

 君が食器を片づけようとする。

 私は立ち上がった。

「洗うよ」

「いいよ。今日は私が作ったから」

「じゃあ一緒にやろう」

「……うん」

 二人でキッチンに立つ。

 私は皿を洗う。

 君が隣で拭いていく。

「ねえ」

「ん?」

「こういうの、いいね」

「こういうの?」

「帰ってきて、ただいまって言って。ご飯食べて。おいしいって言って。片づけして」

「普通の日じゃない?」

「うん」

 私は笑う。

「だからいいんだと思う」

 君も少し考えてから笑った。

「じゃあ、明日も普通の日にしよう」

「うん」

「明後日も」

「うん」

「その次も」

「……うん」

 窓の外は、もう暗い。

 街の明かりが静かに灯っている。

 今日という一日が終わっていく。

 でも。

 帰ってくる場所があって。

 「ただいま」と言える相手がいて。

 一緒に食卓を囲んで。

 同じ料理を食べて。

 同じように「おいしい」と笑える。

 それだけで。

 何でもない一日が、少し特別になる。

 きっと幸せというのは。

 大きな出来事ではなくて。

 こういう小さな「おいしい」を。

 二人で何度も分け合っていくことなのかもしれない。

「ねえ」

「なに?」

「明日は何食べたい?」

 君が少し考える。

「……卵焼き」

「また?」

「だって好きだから」

「じゃあ、明日も作る」

「約束ね」

「うん。約束」

 そんな会話をしながら。

 二人の夜は、ゆっくりと更けていった。