恋愛短歌小説~三十一文字から始まる物語。この短歌、恋愛小説にしてみました~

【短歌】
 放課後に 二人で開く 参考書 勉強よりも 君が気になる

 
【短歌をテーマにした物語】
 放課後の教室には、私たち二人しかいなかった。

 窓の外から、運動部の声が聞こえてくる。

 夕日に照らされた机の上には、一冊の参考書。

 そして、その向かいには彼が座っている。

「じゃあ、ここからやってみようか」

「うん」

 私は頷いた。

 今日、彼に勉強を教えてもらうことになった。

 きっかけは、次のテストだった。

 私は数学が苦手で、前回のテストも散々だった。

「このままだと、次も危ないかも」

 そう友達に相談していたら、それを聞いていた彼が、

「よかったら教えるよ」

 と言ってくれたのだ。

 彼はクラスでも成績がいい。

 それに、教えるのも上手らしい。

 だから私は喜んでお願いした。

 ――ただし。

 ひとつだけ問題がある。

 私は彼のことが好きだった。

「ここは、この公式を使えばいいよ」

「えっと……」

「まず、この数字をこっちに入れて」

 彼が参考書を指差す。

 私はその指先を見た。

 長い指。

 きれいに切られた爪。

 シャープペンを持つ手。

 ――って、何を見ているんだろう。

「分かった?」

「え?」

「いや、今説明したところ」

「あ、うん! 分かった!」

「じゃあ、解いてみて」

「……うん」

 慌てて問題を見る。

 数字が並んでいる。

 けれど、頭に入ってこない。

 さっきから彼の声ばかりが耳に残っている。

「……」

 私は問題を解くふりをしながら、ちらりと顔を上げた。

 彼は参考書を読んでいる。

 真剣な横顔。

 いつも教室で見る顔とは少し違って見えた。

 静かで。

 大人っぽくて。

 なんだか格好いい。

「……」

 また見てしまう。

「……?」

 突然、彼が顔を上げた。

 目が合った。

「どうした?」

「な、何でもない!」

 私は慌てて参考書に視線を戻した。

「そう?」

「うん」

「じゃあ、解いてみて」

「分かった!」

 私は必死に問題を解き始めた。

 けれど。

 さっきよりも緊張して、計算を間違えた。

「……あれ?」

「そこ、計算が違う」

「えっ」

「ここ」

 彼が私のノートを指差す。

「この部分」

「あ……本当だ」

「惜しいね」

「惜しい?」

「うん。考え方は合ってる」

「ほんと?」

「ちゃんと分かってきてるよ」

 彼が笑った。

 その瞬間。

 胸がどきっとした。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 私は再びノートを見る。

 けれど。

 さっきよりもっと、問題が頭に入らなくなった。

 *

「ちょっと休憩する?」

 しばらくして、彼が言った。

「うん」

 私はシャープペンを置いた。

 窓の外を見る。

 空はオレンジ色に染まっている。

「綺麗だね」

「うん」

 彼も窓を見る。

「この時間、好きなんだ」

「夕方が?」

「うん。学校が静かになるから」

 私は彼の横顔を見る。

「……私も好き」

「へえ」

「放課後の学校って、なんか特別な感じがするから」

「分かる」

 二人でしばらく窓の外を眺める。

 会話がなくても、不思議と嫌じゃなかった。

 むしろ、この時間がずっと続けばいいと思った。

 ――勉強を教えてもらうために来たはずなのに。

 私は今、勉強なんてどうでもよくなりかけていた。

「ねえ」

 彼が言った。

「何?」

「今日、ちょっと変じゃない?」

「え?」

「さっきから問題より、俺のほう見てない?」

「……!」

 顔が熱くなる。

「そ、そんなことない!」

「そう?」

「うん!」

 彼は少し笑った。

「ならいいけど」

 からかわれた。

 そう思った。

 けれど。

「でも」

 彼が続ける。

「俺は、こうして二人で勉強するの、結構楽しいよ」

「……え?」

「一人でやるより、誰かとやったほうが楽しいし」

 彼はそう言って参考書を閉じた。

「今日はここまでにしようか」

「うん」

 私は鞄に参考書をしまう。

 帰り支度をしていると、彼が言った。

「次もやる?」

「……いいの?」

「もちろん」

「じゃあ……お願いしたい」

「分かった」

 彼が笑う。

「次は、もう少し難しいところやろうか」

「うん!」

 教室を出る。

 廊下には、もうほとんど人がいない。

 並んで歩きながら、私は考えていた。

 今日、どれくらい勉強しただろう。

 たぶん、ちゃんと覚えたこともある。

 テストのためには、きっと役に立つ。

 でも。

 一番強く覚えているのは――。

 参考書を指差す彼の手。

 問題を説明するときの声。

 間違えた私に向けてくれた笑顔。

 そして。

 「次もやる?」と言ってくれたこと。

 昇降口で靴を履き替える。

「じゃあ、また明日」

「うん。また明日」

 彼が先に歩いていく。

 私はその背中を見送った。

 胸の奥が、ほんの少しだけ温かい。

 明日も学校がある。

 明日も彼に会える。

 そう思うだけで、楽しみになった。

 翌日の放課後。

 私は昨日より少し早く教室に来た。

 机の上に参考書を置く。

 ページを開く。

 問題を見る。

 けれど。

 まだ彼は来ていない。

 私は時計を見る。

 まだかな。

 そう思ったところで、教室の扉が開いた。

「ごめん、待った?」

「ううん。今来たところ」

 彼が席に座る。

「じゃあ、始めようか」

「うん」

 二人で参考書を開く。

 昨日と同じ。

 机の上に一冊の参考書。

 向かいには彼。

 なのに、今日は少しだけ違う。

 私はもう知っている。

 この時間が、きっと好きなのだ。

 勉強が好きだからじゃない。

 参考書が面白いからでもない。

 その向こう側にいる、君と過ごす時間が好きだから。

 ページをめくる。

 問題を解く。

 そして時々、こっそり君を見る。

 きっと次のテストが終わっても。

 私はまた、君に「教えて」と言ってしまうのだろう。