恋愛短歌小説~三十一文字から始まる物語。この短歌、恋愛小説にしてみました~

【短歌】
目が合って 笑っただけの 出来事が 眠れぬ夜の 始まりとなる


【短歌をテーマにした物語】
高校二年の春。

彼女と初めて目が合ったのは、たった数秒の出来事だった。

それなのに、その日の夜、僕はなかなか眠れなかった。

理由は分かっていた。

あの笑顔だった。

彼女の名前は、藤原美咲。

同じクラスになったばかりの女の子。

明るくて、いつも友達に囲まれている。

僕とは正反対の存在だった。

僕は人と話すのが苦手で、休み時間も本を読んでいることが多い。

彼女と話したことなんて、一度もなかった。

もちろん、名前を知っているだけ。

そんな彼女と、目が合った。

きっかけは、本当に小さなことだった。

昼休み。

僕が窓際の席で本を読んでいると、隣の席から消しゴムが転がってきた。

拾おうとした瞬間、彼女も同時に手を伸ばした。

指が触れそうになって、お互いに顔を上げる。

目が合った。

「あ……」

彼女は一瞬驚いた顔をした。

そして。

「ありがとう」

そう言って笑った。

たったそれだけ。

たった数秒。

でも、その瞬間が僕の中に残った。

家に帰ってからも、何度も思い出した。

「あの笑顔、なんだったんだろう」

もちろん、特別な意味なんてない。

消しゴムを拾っただけ。

ありがとうと言われただけ。

分かっている。

分かっているのに、胸が妙に騒いだ。

ベッドに入って目を閉じる。

すると、また浮かんでくる。

彼女の笑顔。

「ありがとう」

その声まで、はっきり覚えていた。

気づけば時計は深夜を過ぎていた。

次の日、教室に入ると彼女が友達と笑っていた。

昨日と同じ笑顔。

でも、僕に向けられたものではない。

なぜか少し寂しく感じた。

その瞬間、自分の気持ちに気づいた。

僕は、もっと彼女を知りたいと思っている。

もっと話してみたいと思っている。

たった一度の笑顔が、僕の心を動かしていた。

それから少しずつ、会話が増えた。

「この本、面白い?」

「うん。おすすめ」

「じゃあ読んでみようかな」

そんな短いやり取り。

でも、僕にとっては宝物だった。

彼女は気づいていないかもしれない。

僕が、その一言、その笑顔、その瞬間をどれだけ大切にしているか。

夏の終わりのこと。

文化祭の準備で、二人きりになる時間ができた。

教室に残って飾り付けをしていると、彼女が突然言った。

「ねえ」

「何?」

「最初に話した日のこと覚えてる?」

驚いた。

「消しゴム拾った日?」

「うん」

彼女は笑った。

「実はあの日、ちょっと嬉しかったんだ」

「え?」

「いつも本読んでるから、話しかけにくい人なのかなって思ってた。でも、優しいんだなって」

胸が熱くなった。

僕だけが特別だと思っていた出来事。

でも、彼女の中にも小さな記憶として残っていた。

帰り道に夕焼けの空を見ながら歩く。

春の日の数秒間が、今につながっている。

目が合った。

笑った。

それだけだった。

でも、その小さな出来事がなければ、僕たちは今、こうして隣を歩いていなかった。

人生を変えるきっかけは、大きな出来事ばかりじゃない。

誰かの何気ない笑顔が、誰かの夜を眠れなくするほどの宝物になることもある。

僕は隣を歩く彼女を見る。

「どうしたの?」

彼女が笑う。

また、眠れない夜が増えそうだった。