【短歌】
目の前を 過ぎゆく君を 呼べぬまま 人混みの中 背中見送る
【短歌をテーマにした物語】
駅前は、いつもより人が多かった。
仕事帰りの人。
買い物袋を持った人。
友達と笑いながら歩く学生。
私はその人波の中を、一人で歩いていた。
今日は少し遅くなった。
早く家に帰ろう。
そう思って、駅へ向かっていた。
そのときだった。
ふと、前を歩く人の背中に目が止まった。
「……え?」
足が止まる。
見覚えのある背中。
黒い髪。
少しだけ猫背になる歩き方。
間違えるはずがない。
――彼だった。
胸が大きく鳴った。
どうしてここにいるの?
何をしているの?
そんな疑問が一瞬で頭の中を駆け巡る。
私は反射的に一歩踏み出した。
「……ねえ」
声を出そうとする。
けれど、喉の奥で止まった。
名前を呼べばいい。
たったそれだけなのに。
「……」
声にならない。
君は人混みの中を歩いていく。
少しずつ遠ざかっていく。
私はその背中を追った。
あと少し。
あと数メートル。
追いつける。
そう思った。
けれど。
前から人が歩いてくる。
私は足を止めた。
君の背中が、その人の向こうに隠れる。
「待って……」
今度こそ声にしようとした。
でも、また言葉が出なかった。
君が歩いていく。
信号が青になる。
人の流れが一斉に動き出す。
君の背中が、たくさんの人の中へ紛れていく。
「……っ」
小さな声が漏れた。
でも、届かない。
君は振り返らない。
私は立ち尽くしたまま、その背中を見送った。
駅の入口まで来ても、私はしばらく動けなかった。
スマートフォンを取り出す。
連絡先には、君の名前がある。
メッセージを送ろうと思えば送れる。
『さっき駅にいた?』
それだけでいい。
なのに、指が動かない。
画面を閉じる。
「……何やってるんだろ」
自分でも笑ってしまう。
せっかく会えたのに。
声をかけられなかった。
たった一言なのに。
電車に乗る。
窓際の席に座る。
走り出した電車の窓に、夜の街が流れていく。
さっきの人混み。
君の背中。
伸ばしかけた手。
言えなかった名前。
何度も頭の中に浮かんでくる。
私は窓に映った自分を見る。
少しだけ悔しそうな顔をしている。
「次に会ったら……」
今度こそ声をかけよう。
そう決める。
偶然なんて、いつでも起こるわけじゃない。
だから、次があるとは限らない。
それでも。
今日できなかったことを、明日はできる自分になりたい。
翌朝。
私はいつもより少し早く家を出た。
駅へ向かう。
昨日と同じ道。
もちろん、君はいない。
それでも私は歩く。
昨日より少しだけ前を向いて。
もしまた君を見つけたら。
今度は迷わない。
人混みの中でも。
遠く離れていても。
ちゃんと名前を呼ぶ。
「ねえ」
たったそれだけでいい。
私は駅へ向かって歩きながら、小さく笑った。
昨日は、君の背中を見送った。
でも。
今日の私は、もう待っているだけじゃない。
いつかまた君を見つけたら――。
今度こそ、一歩踏み出す。
人混みの向こう側にいる君へ。
私の声が届くように。
目の前を 過ぎゆく君を 呼べぬまま 人混みの中 背中見送る
【短歌をテーマにした物語】
駅前は、いつもより人が多かった。
仕事帰りの人。
買い物袋を持った人。
友達と笑いながら歩く学生。
私はその人波の中を、一人で歩いていた。
今日は少し遅くなった。
早く家に帰ろう。
そう思って、駅へ向かっていた。
そのときだった。
ふと、前を歩く人の背中に目が止まった。
「……え?」
足が止まる。
見覚えのある背中。
黒い髪。
少しだけ猫背になる歩き方。
間違えるはずがない。
――彼だった。
胸が大きく鳴った。
どうしてここにいるの?
何をしているの?
そんな疑問が一瞬で頭の中を駆け巡る。
私は反射的に一歩踏み出した。
「……ねえ」
声を出そうとする。
けれど、喉の奥で止まった。
名前を呼べばいい。
たったそれだけなのに。
「……」
声にならない。
君は人混みの中を歩いていく。
少しずつ遠ざかっていく。
私はその背中を追った。
あと少し。
あと数メートル。
追いつける。
そう思った。
けれど。
前から人が歩いてくる。
私は足を止めた。
君の背中が、その人の向こうに隠れる。
「待って……」
今度こそ声にしようとした。
でも、また言葉が出なかった。
君が歩いていく。
信号が青になる。
人の流れが一斉に動き出す。
君の背中が、たくさんの人の中へ紛れていく。
「……っ」
小さな声が漏れた。
でも、届かない。
君は振り返らない。
私は立ち尽くしたまま、その背中を見送った。
駅の入口まで来ても、私はしばらく動けなかった。
スマートフォンを取り出す。
連絡先には、君の名前がある。
メッセージを送ろうと思えば送れる。
『さっき駅にいた?』
それだけでいい。
なのに、指が動かない。
画面を閉じる。
「……何やってるんだろ」
自分でも笑ってしまう。
せっかく会えたのに。
声をかけられなかった。
たった一言なのに。
電車に乗る。
窓際の席に座る。
走り出した電車の窓に、夜の街が流れていく。
さっきの人混み。
君の背中。
伸ばしかけた手。
言えなかった名前。
何度も頭の中に浮かんでくる。
私は窓に映った自分を見る。
少しだけ悔しそうな顔をしている。
「次に会ったら……」
今度こそ声をかけよう。
そう決める。
偶然なんて、いつでも起こるわけじゃない。
だから、次があるとは限らない。
それでも。
今日できなかったことを、明日はできる自分になりたい。
翌朝。
私はいつもより少し早く家を出た。
駅へ向かう。
昨日と同じ道。
もちろん、君はいない。
それでも私は歩く。
昨日より少しだけ前を向いて。
もしまた君を見つけたら。
今度は迷わない。
人混みの中でも。
遠く離れていても。
ちゃんと名前を呼ぶ。
「ねえ」
たったそれだけでいい。
私は駅へ向かって歩きながら、小さく笑った。
昨日は、君の背中を見送った。
でも。
今日の私は、もう待っているだけじゃない。
いつかまた君を見つけたら――。
今度こそ、一歩踏み出す。
人混みの向こう側にいる君へ。
私の声が届くように。



