恋愛短歌小説~三十一文字から始まる物語。この短歌、恋愛小説にしてみました~

【短歌】
好きという 言葉を知らぬ あの頃も 君を見るたび 胸が騒いだ


【短歌をテーマにした物語】
小学五年生の春。

私はまだ、「好き」という言葉の意味をよく知らなかった。

もちろん言葉としては知っている。

好きな食べ物。

好きな漫画。

好きな遊び。

でも、人を好きになるということが、どういうことなのかは知らなかった。

だから、あの頃の私は、自分の胸で起きていることをうまく説明できなかった。

ただ――。

彼を見ると、胸が騒いだ。

「今日から、このクラスで一緒に勉強することになった、転校生の悠真くんです」

先生に紹介されて、男の子が教室の前に立った。

「よろしくお願いします」

少し緊張した顔で頭を下げる。

私は窓際の席から、その姿を眺めていた。

背はクラスの中では少し高い。

髪は短くて、笑うと目が細くなる。

「じゃあ、席は……」

先生が教室を見回す。

「美咲さんの隣が空いているわね」

「え?」

突然名前を呼ばれて、私は慌てて背筋を伸ばした。

悠真がこちらへ歩いてくる。

「よろしく」

「……う、うん」

ただそれだけ。

なのに、胸がどきんと鳴った。

私は自分の胸をそっと押さえた。

どうして?

少し不思議だった。

悠真はすぐにクラスに馴染んだ。

休み時間には男の子たちと校庭へ走っていく。

給食では、苦手な野菜を友達に押しつけて先生に怒られる。

授業中、先生に当てられて困った顔をする。

そんな姿を、私はいつの間にか目で追うようになっていた。

「美咲、何見てるの?」

友達に聞かれる。

「え?」

「ずっと悠真くん見てたよ」

「見てないよ!」

思わず大きな声が出た。

友達は笑った。

「顔、赤いよ」

「暑いだけ!」

私は慌てて窓を開けた。

春風が入ってくる。

それでも胸のどきどきは、なかなか収まらなかった。

ある日の放課後。

私は教室に忘れ物を取りに戻った。

すると、悠真が一人で黒板を消していた。

「まだいたんだ」

「先生に頼まれた」

「そっか」

私は鞄を取る。

それだけで帰るつもりだった。

でも、悠真が振り返った。

「一緒に帰る?」

「……いいの?」

「家、近いんだろ?」

「うん!」

嬉しくなった。

その理由も分からなかった。

二人で校門を出る。

「美咲って、よく笑うよな」

「そう?」

「うん。なんか楽しそう」

私は恥ずかしくなった。

「悠真も笑ってるじゃん」

「俺?」

「うん」

「じゃあ、一緒だな」

その言葉を聞いた瞬間。

胸がまた、どきんと鳴った。

私は空を見上げた。

「今日、暑いね」

「春なのに?」

「……暑いの!」

悠真が笑った。

私も笑った。

それから、帰り道を一緒に歩くことが増えた。

学校であったことを話す。

好きな漫画の話をする。

休日に何をしたか教え合う。

何でもない時間だった。

でも、私はその時間が楽しみだった。

朝、学校へ行く。

教室の扉を開ける。

悠真がいる。

それだけで嬉しい。

休み時間になる。

悠真が笑っている。

それだけで嬉しい。

でも、悠真が別の女の子と楽しそうに話していると、なぜか少し嫌だった。

その理由も、やっぱり分からなかった。

小学六年生の春。

クラス替えがあった。

私は悠真と別のクラスになった。

朝、教室へ向かう途中。

廊下の向こうに悠真を見つける。

「おはよう!」

私が声をかけると、

「おはよう!」

悠真も笑ってくれた。

それだけで嬉しい。

でも、その日から一緒に過ごす時間は減った。

私は気づけば、廊下を歩くときに彼の教室を見ていた。

休み時間になると、偶然を装って近くを通った。

「私、何してるんだろ」

自分でもおかしくなって笑った。

卒業式の日。

校庭の桜が咲いていた。

卒業証書を抱えた悠真が、友達と話している。

私は少し離れた場所から眺めていた。

すると、悠真がこちらに気づいた。

「美咲!」

「なに?」

「中学行っても、また遊ぼうな」

「うん!」

私は笑った。

「絶対だよ」

「絶対」

小指を絡める。

あの日の約束を、今でも覚えている。

それから何年も経った。

高校生になった私は、ある日、友達と恋愛の話をしていた。

「美咲って、好きな人いる?」

「好きな人?」

「うん」

私は少し考えた。

そのとき、不意に思い出した。

小学五年生の春。

隣の席に座った男の子。

一緒に歩いた帰り道。

笑った顔。

卒業式の桜。

胸が騒いだ、あの感覚。

私は小さく笑った。

「ああ……」

やっと分かった。

あの頃、名前を知らなかった気持ち。

胸がどきどきして。

姿を見るだけで嬉しくて。

他の女の子と話していると、少し寂しくて。

もっと一緒にいたいと思った。

あれは――。

「好き」だったんだ。

私は窓の外を見た。

春の風に、桜の花びらが舞っている。

遠い昔の自分に教えてあげたい。

「その気持ち、ちゃんと大切なものだったよ」と。

そして今でも。

桜を見ると、胸の奥がほんの少しだけ騒ぐ。

あの頃と同じように。