恋愛短歌小説~三十一文字から始まる物語。この短歌、恋愛小説にしてみました~

【短歌】
さよならを 言った唇 覚えてる 忘れたいのに 春がまた来る


【短歌をテーマにした物語】
春が嫌いだった。

正確には、春になると街中に咲く桜が苦手だった。

桜を見ると、思い出してしまう。

社会人になって初めて付き合った恋人――直人のことを。

そして、三年前の春。

最後に交わした言葉を。

「さよなら」

私は今でも、その言葉を口にした自分の唇を覚えている。

三年前。

私は二十八歳。

広告会社で働いていた。

仕事は忙しかったけれど、それなりに充実していた。

そんな私の毎日に、直人が現れた。

取引先の会社に勤める彼とは、仕事を通じて知り合った。

最初は、ただの仕事仲間だった。

「今日も遅くまでお疲れさまです」

「そちらこそ」

そんな挨拶を交わすだけ。

けれど、何度も顔を合わせるうちに、少しずつ距離が近くなった。

仕事終わりに一緒に食事をするようになった。

休日に映画を見に行くようになった。

そして、ある夜。

駅まで送ってくれた直人が言った。

「あなたのことが好きです」

私は少し驚いて、それから笑った。

「私も」

それが始まりだった。

社会人同士の恋は、学生の頃とは違った。

会いたいから会えるわけではない。

仕事が忙しければ、約束を延期する。

疲れていれば、電話をする余裕もない。

それでも、私たちは幸せだった。

金曜日の夜に待ち合わせて、一緒に食事をする。

休日の朝、少し遅くまで寝ている。

仕事の愚痴を言い合う。

帰り道にコンビニへ寄る。

そんな何気ない時間が、私は好きだった。

「ずっとこうしていられたらいいね」

ある夜、私が言った。

直人は笑った。

「うん」

その「うん」を、私は信じていた。

変化が訪れたのは、付き合って二年目の冬だった。

直人に海外勤務の話が出た。

一年間の予定だった。

「すごいじゃん」

私は笑った。

本当は、胸がざわついていた。

「一緒に来てほしい」

直人はそう言った。

私は答えられなかった。

私にも仕事がある。

ようやく任された大きなプロジェクトもあった。

会社を辞めることなんて考えられなかった。

「一年だけだよ」

「分かってる」

「遠距離でもいい」

「……うん」

二人とも、何とかなると思っていた。

でも、現実は簡単ではなかった。

時差。

仕事。

疲労。

少しずつ電話の時間が減った。

「今日も遅い?」

「うん、ごめん」

「大丈夫」

そんな会話ばかりになった。

やがて、直人からの連絡も減っていった。

私は責めなかった。

責めたくなかった。

彼も頑張っている。

私も頑張っている。

だから仕方ない。

そう思っていた。

でも、仕方ないことばかりが積み重なっていくと、二人の間には少しずつ距離が生まれていた。

そして一年後。

直人が帰国した。

久しぶりに会った私たちは、以前のように笑えなかった。

話したいことが、たくさんあったはずなのに。

何を話せばいいのか分からなかった。

駅前の桜が咲き始めていた。

直人が言った。

「俺たち、少し変わったよね」

私は黙った。

「このまま続けることが、お互いのためなのかな」

その言葉を聞いた瞬間、分かった。

もう終わりなのだ。

私は泣かなかった。

ただ、最後まで彼を困らせたくなかった。

だから笑った。

「そうだね」

そして――。

「今まで、ありがとう」

最後に、私は言った。

「さよなら」

唇からこぼれたその言葉を、今でも覚えている。

それから三年。

私は三十一歳になった。

仕事では責任ある立場になった。

後輩も増えた。

忙しい毎日を過ごしている。

恋人はいない。

別に、恋をすることが怖いわけではない。

ただ、あの恋以上に大切だと思える人に、まだ出会っていないだけ。

そして春が来る。

桜が咲く。

私はどうしても、あの日を思い出す。