恋愛短歌小説~三十一文字から始まる物語。この短歌、恋愛小説にしてみました~

【短歌】
白髪増え 歩み遅れる 道の先 君と見たいな 同じ夕焼け


【短歌をテーマにした物語】
鏡を見るたび、白い髪が一本、また一本と増えている。

昔は気にもしなかった。

けれど最近は、駅の階段を上るだけで息が切れ、昔なら追いつけた人の背中が、少しずつ遠くなっていく。

歳を取ったのだ。

そう思うことが増えた。

それでも、ひとつだけ変わらない願いがある。

――最後まで、君の隣を歩きたい。

「最近、歩くの遅くなったね」

妻の美和が笑った。

「美和が速くなったんだよ」

「はいはい」

僕たちは、近所の川沿いを歩いていた。

結婚して三十年。

若い頃は、手をつないでどこまでも歩いた。

子どもが生まれてからは、ベビーカーを押しながら歩いた。

子どもが大きくなってからは、二人で散歩することが増えた。

そして今。

僕たちの歩幅は、昔よりずっと小さくなった。

「ちょっと休もうか」

美和が言う。

「大丈夫」

「無理しないの」

ベンチに並んで座る。

川の向こうに、夕日が沈み始めていた。

若い頃の僕は、夕焼けなんて気にしたことがなかった。

仕事に追われ、家に帰ることで精一杯だった。

でも、美和はよく夕焼けを見ていた。

「きれい」

そう言って、立ち止まる。

「毎日見られるだろ」

僕がそう言うと、美和は笑った。

「毎日同じ夕焼けじゃないよ」

その言葉を、僕は長い間忘れていた。

子どもが独立した日。

家の中が急に静かになった。

二人きりの生活に戻る。

その日の夕方、美和が言った。

「これからは、二人でいろんなところに行こうね」

「そうだな」

旅行に行った。

温泉にも行った。

海も見た。

山にも登った。

けれど、一番思い出に残っているのは、特別な場所ではなかった。

家の近所を二人で歩いた夕方。

「今日はきれいだね」

美和が言う。

「昨日も言ってたよ」

「今日のほうがきれい」

僕は笑った。

そんな何気ない時間が、いつの間にか宝物になっていた。

ある冬。

僕は体調を崩した。

病院から帰る途中、窓の外を見る。

夕焼けがきれいだった。

けれど、一人だった。

その時、強く思った。

美和と一緒に見たい。

この先の景色も。

春の桜も。

夏の青空も。

秋の紅葉も。

そして、何度でも夕焼けを。

春になった。

少し体調が戻った僕は、美和に頼んだ。

「川まで歩かない?」

「いいよ」

二人でゆっくり歩く。

昔よりずっと遅い。

何度も休む。

それでも美和は、僕を急かさなかった。

「ゆっくりでいいよ」

「待たせてごめん」

「待ってないよ」

美和は笑った。

「一緒に歩いてるだけだもん」

その言葉に、胸が温かくなった。

川沿いに着く頃には、空がオレンジ色に染まっていた。

僕たちは並んで座った。

夕日が水面に揺れている。

「きれいだね」

美和が言った。

「うん」

しばらく二人で黙って眺めた。

若い頃なら、何か話そうとしただろう。

今は違う。

言葉がなくても、隣にいるだけで分かる。

同じものを見ている。

同じ時間を過ごしている。

それだけで十分だった。

帰り道、僕は美和の手を握った。

「ねえ」

「なに?」

「これからも一緒に歩いてくれる?」

美和は笑った。

「当たり前でしょ」

「歩くの、もっと遅くなるかもしれないよ」

「私も遅くなるから大丈夫」

二人で笑った。

そして、ゆっくり歩き始める。

昔より遅い歩み。

けれど、昔より近い距離。

道の先には、まだたくさんの景色がある。

どれだけ歩けるかは分からない。

どれだけ長く一緒にいられるかも分からない。

だからこそ。

今日の一歩を大切にしたい。

隣にいる君と。

そしていつかまた、

同じ夕焼けを見たい。

白髪が増えても。

歩みが遅くなっても。

君の隣なら、どんな道でも歩いていける気がする。