御刀さまと花婿たち

 ──ざばぁんっ!

 激しく水しぶきが打ちつける。
 魚型の異形が猛烈に波を起こし、いままさに襲いかかろうとしていた。
 そして──

「させませんわ!」

 雲が流れ、月明かりが射し込む。
 反射的にふり返った莇と葵葉の視界で、鮮やかな朱色の衣がひらめいた。

 ──キィインッ!

(ヤスミ)〟が放った尾びれの一撃は、瞬時にはじかれる。
 少年たちは息をのんだ。
 突如すがたを現した少女を、見まごうはずがない。

「鼓御前さま!」
「姉さま!?」
「わぁ、さすが花ちゃんおねぇさまです! 強力な結界ですね、カッチカチです!」

 見慣れぬ朱色の長羽織をまとった鼓御前が、そんなことを言いながらはしゃいでいる。
(ヤスミ)〟に立ちはだかった鼓御前の目前には、結界が張りめぐらされていた。
 鼓御前の言葉から察するに、朱色の長羽織は虎尾の霊力が込められた霊具(れいぐ)のひとつなのだろう。
 それも外部からの攻撃を感知して強力な結界を展開するという、すぐれものだ。

「ふたりとも、無事ですね。よかった!」
「姉さま、どうしてここに……」
「莇さんから連絡をいただいたんです。裏山(こちら)で葵葉を見つけました、と」

 葵葉は信じられない気持ちで、莇を見る。
 そう。葵葉を発見してすぐに莇が飛ばした折り鶴の式神は、鼓御前たちに居場所を知らせるものだったのだ。

「あっちにいるお魚さんが、ふたりをいじめていた〝(ヤスミ)〟ですね。なんてかわいくないんでしょう。すぐにこてんぱんにしてあげます!」

(ヤスミ)〟にかわいいもなにもないのだが。
 ぷりぷりと腹を立てている鼓御前のすがたがなんだか可笑しくて、葵葉と莇はふきだしてしまう。

「それはそうと。姉さま、あいつめちゃくちゃ素早いし、水ぶっかけてくるぞ。大丈夫なのか?」
「う……つづはもう、ひとりでおふろにはいれますし、だいじょうぶ、です」
「カタコトになってるし」

 葵葉は知っている。
 それこそ鼓御前本人が話してくれた。
 前ほど恐怖心は感じなくなったものの、まだ入浴に手間取っているし、『しゃんぷーはっと』は必需品なのだと。

「大丈夫といったら大丈夫なのです! だってここに来たのは、わたしだけじゃありませんもの!」

 葵葉と莇ははたと気づく。
 そうだ、考えてみれば当然の話だった。
 ()()()()()()、ここにいるはずがないというのに。

「こんばんは。よい月夜ですね」

 風がそよぎ、若い男の声がひびく。
 月明かりが、どこからともなく現れた竜頭面の青年を照らした。

「私の可愛い教え子たちに、手はださないでもらえますか?」

 おだやかな声音とともに、青年──千菊が純白の袖を持ちあげる。
 そして、しなやかな指先が天をさし示した刹那。

「『(とどろ)け』」

 ──ばりばりばりぃっ!

 夜空の月を引き裂くように、雷鳴が轟く。
 はるか天上から襲った稲妻が、〝(ヤスミ)〟を絡めとった。
 目の眩む閃光。
 水中に高圧の電流がほとばしる。
 のたうち回った魚型の異形は、その白い腹をあらわにして、ぷかりと浮かんだ。

「いまですよ」

 千菊は袖と袖を合わせ、手をおさめる。
 その視線は、莇に向けられていた。
 ひとつうなずいた莇は、颯爽と駆けだす。

「諸々の禍事(まがごと)罪穢(つみけがれ)を祓え(たま)ひ、清め給え。(かむ)ながら守り給い、(さきわ)え給え──」

 祝詞がつむがれゆくほどに、短刀が霊力をまとう。

「──はぁッ!」

 莇は高く跳躍。
 にぎりしめた刃を、〝(ヤスミ)〟の腹に突き立てた。

 ぷつり──

 それは、禍々しく絡みあった糸が断ち切られる音。
 瘴気とともに、〝(ヤスミ)〟のすがたが霧散してゆく。
 たっと危うげなく岸辺に着地した莇は、音もなく短刀を鞘へおさめる。

「おれの刀は、『守るための刀』だ」

 しばしの静寂につつまれるなか。

(こいつは……すごいやつだな)

 月明かりを背にたたずむ莇を、葵葉は常磐色の瞳で、まぶしそうに見つめていた。