「これでよし、と」
夜も深まる時分。
神社にある自室にて。布団はもう敷き終えた。
あとは部屋着の浴衣から寝間着へ、鼓御前が着替えようとしていたそのときだ。
「ごめんください」と、若い男の声が聞こえてきた。
「あのお声は……!」
考えるよりさきに、鼓御前は自室の障子を開け放った。
足早に玄関へ急ぐ。
そして応対していたひなの向こうに、よく見知った人物を認めた。
「これは立花さま。本日はどのようなご用件で……?」
「夜分遅くに恐れ入ります。……あぁ、つづ。ちょうどよかった」
「あるじさま! どうなされました?」
「きみに聞きたいことがありまして。葵葉を見ていませんか?」
「葵葉ですか? いえ……」
千菊がいうには、門限を過ぎても寮の部屋にもどっていないらしい。
同室の莇から報告を受け、さがしているのだとか。
「御手入れのお稽古の後も、すがたがありませんでしたけれど……」
葵葉は、警戒心が強い。
鼓御前が復帰するまでにも、刺々しい態度で周囲を遠ざけ、だれも近づけようとしなかった。
どう接すればいいのかわからないと、とほうに暮れたクラスメイトたちから相談を受けたことは、鼓御前も記憶に新しい。
「これまでも何度か授業を欠席することがありましたが、寮にもどっていないのははじめてです。つづのところに来ていないなら、もうすこし別の場所をさがしてみます」
「わたしもいっしょにさがします!」
千菊が背を向ける前に、真白の袖をつかむ。
「あの子は独りの夜がきらいなはずです。そうですよね? あるじさま」
しばし沈黙を挟んで、千菊がうなずく。
「えぇ……そうですね。青葉は、ひと一倍さびしがりやでしたから」
ならば、続く言葉は必要ない。
さしのべられた千菊の手をとり、草履を履いたとき、「鼓御前さま」と呼び声がある。
この時間だ。夜道は危ない。
引きとめられるかと思ったが──続くひなの言葉は、鼓御前の予想とはちがったものだった。
「少々お待ちいただけますか?」
そうとだけ言ったひなは、家の奥に引っ込む。
すぐになにかを手にして、玄関へもどってきた。
見たところ、女性物の朱色の長羽織のようだった。
「先日制服をお持ちいただいたさい、虎尾さまからお預かりしたものです。もし鼓御前さまが夜間に外出することがあれば、こちらをおわたしするように、と」
「花ちゃんおねぇさまが、わたしに……?」
鼓御前はおどろくとともに、ふと気づく。
(朱色一色かと思ったら、細かなもようがあるわ)
朱色の長羽織に目をこらすと、微細な点が、扇状につらなるもようが見えた。
鮫小紋。そのむかし、鮫の皮はどの皮よりも厚く硬いと信じられていた。転じて、厄除けや魔除けの意味が込められる。
『アタシが守ってあげるから、怖いものなんかないわよ!』
心強い虎尾の言葉が、目に浮かぶようだ。
(わたしはこの目で見て、この耳で聞いて、この足で歩くことができる)
おのれはもう、ただの物言わぬ鋼の塊ではないのだ。
だれかのために、みずからの意思で行動することができる。
そんな鼓御前を、虎尾もひなも、引きとめることはしない。
囲って守るのではなく、信じて、背を押してくれる。
「みなさん……ありがとうございます」
朱色の長羽織に袖を通すと、ほっと安堵するような感覚をおぼえる。
『守ること』に特化した性質ゆえだろうか。
鼓御前の神気に、虎尾の霊力はよくなじんだ。
その感覚は、どこかなつかしさにも似て。
たいせつなものが、こうしてすこしずつ増えてゆく。
「行ってきます!」
力強い後押しを受け、鼓御前は千菊とともに闇夜のなかへ駆けだした。
夜も深まる時分。
神社にある自室にて。布団はもう敷き終えた。
あとは部屋着の浴衣から寝間着へ、鼓御前が着替えようとしていたそのときだ。
「ごめんください」と、若い男の声が聞こえてきた。
「あのお声は……!」
考えるよりさきに、鼓御前は自室の障子を開け放った。
足早に玄関へ急ぐ。
そして応対していたひなの向こうに、よく見知った人物を認めた。
「これは立花さま。本日はどのようなご用件で……?」
「夜分遅くに恐れ入ります。……あぁ、つづ。ちょうどよかった」
「あるじさま! どうなされました?」
「きみに聞きたいことがありまして。葵葉を見ていませんか?」
「葵葉ですか? いえ……」
千菊がいうには、門限を過ぎても寮の部屋にもどっていないらしい。
同室の莇から報告を受け、さがしているのだとか。
「御手入れのお稽古の後も、すがたがありませんでしたけれど……」
葵葉は、警戒心が強い。
鼓御前が復帰するまでにも、刺々しい態度で周囲を遠ざけ、だれも近づけようとしなかった。
どう接すればいいのかわからないと、とほうに暮れたクラスメイトたちから相談を受けたことは、鼓御前も記憶に新しい。
「これまでも何度か授業を欠席することがありましたが、寮にもどっていないのははじめてです。つづのところに来ていないなら、もうすこし別の場所をさがしてみます」
「わたしもいっしょにさがします!」
千菊が背を向ける前に、真白の袖をつかむ。
「あの子は独りの夜がきらいなはずです。そうですよね? あるじさま」
しばし沈黙を挟んで、千菊がうなずく。
「えぇ……そうですね。青葉は、ひと一倍さびしがりやでしたから」
ならば、続く言葉は必要ない。
さしのべられた千菊の手をとり、草履を履いたとき、「鼓御前さま」と呼び声がある。
この時間だ。夜道は危ない。
引きとめられるかと思ったが──続くひなの言葉は、鼓御前の予想とはちがったものだった。
「少々お待ちいただけますか?」
そうとだけ言ったひなは、家の奥に引っ込む。
すぐになにかを手にして、玄関へもどってきた。
見たところ、女性物の朱色の長羽織のようだった。
「先日制服をお持ちいただいたさい、虎尾さまからお預かりしたものです。もし鼓御前さまが夜間に外出することがあれば、こちらをおわたしするように、と」
「花ちゃんおねぇさまが、わたしに……?」
鼓御前はおどろくとともに、ふと気づく。
(朱色一色かと思ったら、細かなもようがあるわ)
朱色の長羽織に目をこらすと、微細な点が、扇状につらなるもようが見えた。
鮫小紋。そのむかし、鮫の皮はどの皮よりも厚く硬いと信じられていた。転じて、厄除けや魔除けの意味が込められる。
『アタシが守ってあげるから、怖いものなんかないわよ!』
心強い虎尾の言葉が、目に浮かぶようだ。
(わたしはこの目で見て、この耳で聞いて、この足で歩くことができる)
おのれはもう、ただの物言わぬ鋼の塊ではないのだ。
だれかのために、みずからの意思で行動することができる。
そんな鼓御前を、虎尾もひなも、引きとめることはしない。
囲って守るのではなく、信じて、背を押してくれる。
「みなさん……ありがとうございます」
朱色の長羽織に袖を通すと、ほっと安堵するような感覚をおぼえる。
『守ること』に特化した性質ゆえだろうか。
鼓御前の神気に、虎尾の霊力はよくなじんだ。
その感覚は、どこかなつかしさにも似て。
たいせつなものが、こうしてすこしずつ増えてゆく。
「行ってきます!」
力強い後押しを受け、鼓御前は千菊とともに闇夜のなかへ駆けだした。



