* * *
瘴気がうごめく薄暗い空間は、昼か夜かもわからない。
「そんなにしかめっ面をしていては、人形のように可愛い顔が台なしだな」
「お人形にも、魂はやどりますもの」
「まだ達者な口を聞けるほどの余裕はあるようだ」
鼓御前は、ちいさくくちびるを噛む。
莇のすがたをした『鬼』に指摘されたとおり。
鼓御前には、口を聞けるほどの余裕しか残されていなかった。
禍々しい気に支配された神社の自室で、鼓御前は寝間着から純白の振り袖に着替えさせられていた。
鏡越しに『鬼』と視線が合うのも不快で、姿見から目をそらし、壁を睨みつける。
そんな鼓御前の黒い艶髪を、『鬼』はつげ櫛でさらさらと梳いていた。
「すこし物足りないな……ふむ」
考えるような間があり、『鬼』の手のひらにシュルシュルと瘴気が渦巻く。
やがて出現した真紅の椿を、『鬼』は鼓御前の髪に挿した。
「あぁ、やはりおまえは美しい……」
「……っ」
そっぽを向く鼓御前の前へ、『鬼』が回り込む。
莇の容姿でうっとりとした笑みを向けられ、鼓御前はうろたえた。
なにを思ってのことか。『鬼』は鼓御前に甲斐甲斐しく世話を焼きたがった。
されるがままでいたのは、そうするほかなかったためだ。
(だめ……手足が、思うように動かなくなっている)
『鬼』が発する濃密な瘴気は、鼓御前のからだをじわじわと蝕んだ。
だが『鬼』は、鼓御前の自由を奪いつつも、精神までも支配するつもりはないようだった。
まるで、会話を楽しむかのように。
「あなたの望みは……なんですか」
「そう怖い顔をするな。簡単なことだ。おまえが『真実』を知ること」
「『真実』……?」
「そうだ。おまえのほんとうの父が、私であるということだ」
「……意味がわかりません。わたしの父は、九条紫榮さまのほかにおりません」
「強情な娘だな……」
「っあ……!」
ぶわり。
瘴気がふくれ上がり、鼓御前は息ができなくなる。
「あぁ私としたことが。少々取り乱した。怖がらせてすまないな……わが愛しの娘よ」
『鬼』はくたりと脱力する鼓御前を抱きとめ、だいじそうにかかえ込む。
「あなたが、わたしの父だなんて……どういう、ことですか」
「言葉のとおりだ。天鼓丸、おまえを生みだしたのはこの私、九条蘇芳だ」
「くじょう、すおう……」
たしか紫榮には、兄弟子がいたはずだ。
つまり蘇芳は紫榮と同じく三条宗近を師と仰ぐ、刀匠だということ。
(……わからない……)
紫榮は「兄弟子に嫌われている」と話していたけれど。
蘇芳について、鼓御前自身はなにも思いだすことができなかった。
記憶をたどろうとすれば、ツキンとこめかみが痛むのだ。
「紫榮が……あの男が、私からおまえを奪ったんだ。あぁ憎い……憎い憎い憎い!」
「うっ……あぁっ……!」
『鬼』──蘇芳が憤慨。瘴気が鼓御前にからみつく。
どす黒い荒波に、意識までも飲み込まれそうになった刹那。
「まぁ。お姉さまばかりにかまって、さびしいですわ、お父さま」
くすくす、くすくす。
可笑しげな声とともに、少女の声がひびいた。
「……あなた、は……」
かすむ視界で、鼓御前がどうにか捉えたものは。
「はじめまして。わたしは天鼓丸といいます」
──おのれと瓜ふたつの顔でほほ笑む、少女のすがただった。
「ふふ、混乱なさるのも無理はないですわ。けれど、わたしたちがおなじ銘を持つことも、なんら不自然ではないこと」
鼓御前とおなじ顔立ち。おなじ黒の艶髪。
ただひとつだけ異なる紅水晶の瞳を細めて、少女は笑うのだ。
「なぜなら、真なる天鼓丸はわたし。あなたは影なんですもの」



