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千菊のからだを蝕む瘴気は、虎尾によって祓われた。
ふゆと紫陽の治療の甲斐もあり、致命傷もほぼふさがっている。
この様子ならば、傷痕も残らないだろう。
驚異的な回復である。
ただし、依然として霊力は不足しており、安静が必要な状態だ。
「……そうですか。つづと、莇さんが」
布団から起き上がった千菊は、自身の手もとへ視線を落とす。
千菊の両手には、葵葉から手渡された短刀がおさまっている。
「刀をにぎれない者は不要だって、あんたは言ってたよな」
「えぇ」
「それが、腑抜けた俺を無駄死にさせないための言葉だったって、いまならわかる。その言葉がいま、あんた自身の首を締めてることも」
あのとき千菊に厳しく突き放されなければ、葵葉は生半可な覚悟で『鬼』と闘って、いまごろ死んでいただろう。
そして葵葉を救った言葉は、千菊にとっては枷のように重くのしかかる。
「俺さ、あんたのこと尊敬してるよ。いくさは負けなし。歴史に名前が残るほどのことを成し遂げた、すごいひとだって思う」
「でもさ」と言葉を区切った葵葉は、千菊を見つめる。澄んだ常磐色の瞳で、まっすぐに。
「あんたは俺たちに無理はするなって言うけど、あんた自身は無理するじゃん。だれより強くて、頭もよくて、なんでもできたから、あんたを助けられるひとがいなかったんだろうな」
じっと沈黙する千菊。彼はいま、きっと苦しんでいる。
過去と現在。その狭間で。
だから葵葉は、どうしてもつたえたいことがある。
「ここは戦乱の世じゃない。だれかを疑る必要も、あんただけが身を削る必要なんてない。いまのあんたは兵をひきいる将じゃなくて、学校の先生なんだから。そうだろ? ──千菊センセ」
「……!」
瞳に丸みをおびさせた千菊が、顔を上げる。
あぁ、ようやく向き合えた気がする。
「たとえ刀をにぎれなくても、その想いさえあれば、俺たちのこころはつながる。だから信じて、待っててほしい」
短刀にふれた千菊の手へ、葵葉は自身の手をかさねる。
「安心しなよ。千菊センセにビシバシ鍛えられた俺たちは、そう簡単にやられやしないから」
「強くなりましたね……葵葉」
莇が葵葉に託した短刀──此葉。
青葉時雨のかけらをあつめて打ち直した刀。
この刀にふたたび付喪神がやどらなかったのは、必然だった。
葵葉の魂は、ここに在ったのだから。
「話はそのあたりでいいか」
頃合いを見はからったように、狐をかかえた桐弥が部屋に入ってくる。
「たったいま、『典薬寮』から至急の連絡があった。兎鞠神社を中心に、広範囲の瘴気反応が確認されたとのことだ」
「広範囲の? それだけ力を増してる〝慰〟といえば、十中八九『鬼』だな」
「戦闘可能な覡は、全員出動要請が出た。僕はこれから神社に向かう」
「了解。俺もいつでも行けるぜ」
「アタシたちはお留守番よ、立花センセ」
虎尾は桐弥の腕を飛び下りると、ふさふさのしっぽをゆらしながら、とてとてと布団のそばまでやってくる。
つぶらな唐茶色の瞳に見上げられ、千菊はふと葵葉へ視線を移した。
「葵葉。つづと、莇さんといっしょに……かならず、みんなで帰ってきて」
さしだされる短刀。
祈るような言葉を前にして、葵葉は短刀ごと、千菊の手をぎゅっとにぎり返す。
「まかせろ」



