* * *
「鼓御前さま!」
名を呼ばれる声で、鼓御前は覚醒する。
はっと目をさました直後、視界へ射し込んだ茜色の光に目がくらむ。
「はっ……はっ……」
呼吸が乱れる。背中に嫌な汗がにじむ。
べっとりと張りつく寝間着の感触が、気持ち悪くてしょうがない。
「ここは……」
見慣れた天井。
兎鞠神社にあるじぶんの部屋で、鼓御前は布団に横たわっていた。
「大丈夫ですか? 鼓御前さま」
気遣わしげに鼓御前を呼ぶ声。けれどそれは、そば仕えの少女のものではない。
「……莇、さん?」
浅葱の差袴に、白衣をまとった少年。
鼓御前がこわごわと名を呼べば、ばつが悪そうに眉を下げる。
「うなされているようでしたので、勝手ながらお部屋に失礼させていただきました」
莇は「お起きになられますか?」と、鼓御前の肩と背に手を添える。
そしてごく自然に抱き起こした。
「……ひなさんは?」
「買い物に出かけております。それより、鼓御前さま。汗がすごいですね……お召しかえのおてつだいをいたします」
鼓御前はぐっと口を閉ざし、莇を見つめる。
なんでもそつなくこなす莇らしく、一連の言動は手慣れたものだった。
だからこそ、激しい違和感にみまわれる。
「下手なお芝居はやめてください」
「鼓御前さま? 急にいかがなされたのです?」
「莇さんは、こうして無遠慮にわたしにふれたりしません」
──ぶしつけにふれてしまい、申し訳ございません!
意図せずふれてしまったときは、過剰なほどにひた謝る。
──お手を、拝借しても?
すこしふれるときですら、律儀に断りを入れるほどだ。
本物の莇なら。
「それとも、『鬼の猿芝居』などという、なにかのことわざでしょうか?」
ゆらり……少年の背後で、影がゆらめく。
「……ふっ」
ぐにゃりと、視界がゆがむ。
まばたきのあいまに、鼓御前を取り巻く景色は一変していた。
夜のとばりが下りたかのように、闇につつまれる景色。
まばゆい夕暮れの光は、いずこに。
暗く淀んだ瘴気が、あたり一帯を支配する。
「もっと泣き叫ぶかと思ったが。存外冷静なものだな」
光をやどさない黒曜石の瞳。
莇のすがたをした『鬼』が、不敵な笑みを浮かべて鼓御前を見下ろす。
「それではあなたの思うつぼだと、わかっているからです」
鼓御前は『鬼』から視線を逸らさないまま、じり、と距離を取る。
「おっと、逃げられるとでも?」
だが、ぱしりと腕をつかまれてしまう。
「逃がすわけがない。おまえを手に入れるために、私がどれほど永い年月をさまよったことか……天鼓丸」
「……天鼓丸?」
ここで鼓御前は、ひとつ思いちがいをしていたことに気づく。
蘭雪の墓を暴いたのは、この『墓荒らしの鬼』にちがいない。けれど……
「天鼓丸よ。おまえさえいれば、私の悲願は果たされる……!」
しきりに『天鼓丸』を呼ぶ『鬼』。
(そうだったのね……)
『鬼』が求めていたのは、脇差『鼓御前』ではない。
九条紫榮が打った太刀『天鼓丸』だったのだ。
そのことから、あらたにわかることがある。
「紫榮さまが打った太刀の銘は、ごく一部の者しか知りません」
無名の刀鍛冶が、山奥の小屋でひそかに打った刀だ。
それこそ打った張本人である紫榮や、その周囲の者しか知り得ない情報のはず。
「『天鼓丸』を知るあなたは……だれですか?」
射抜くような紫水晶のまなざしを受け、『鬼』は嗤う。
ひと振りの刀に執着する怨霊──その正体は。
「九条紫榮を知る者。兄弟子、といえばわかるだろう。私はあの男を憎んでいる。何百年、何千年もな」



