* * *
……どうしてこうなった?
(なんでだよ……)
キンッ、キンッ、ガキィンッ!
激しい打ち合いの音。
刃と刃が衝突し、火花が散る音。
(なんで立花センセは、平気な顔して刀をふるえるんだよ)
葵葉はいまだ、理解ができなかった。
(相手は、莇なのに……!)
厳密には、莇のすがたをした『鬼』だ。
そんなことはわかっている。
けれど、肉体は莇のものなのだ。
この状況下で、莇の体内にある穢れの『核』だけを壊さなくてはならない。
(もし、上手く穢れを祓えなかったら……?)
答えは簡単だ。刀に斬られた人間は死ぬ。
あっけなく。
(莇を殺すかもしれないのに……なんで!)
躊躇なく『鬼』へ斬り込み続ける千菊の心情が、葵葉にはとうてい理解ができなかった。
要するに、葵葉は怖気づいていたのだ。
「もう、嫌だ……やめてくれ……」
頭をかかえて、現実から目をそらすことしか、できなかった。
怒涛の剣戟は続く。
『鬼』が攻撃を放つ前に、千菊はすばやく斬り込む。
上半身を重点的にねらった強襲により、ほほ、肩、腕と、『鬼』のいたるところに斬撃の痕がきざまれる。
『鬼』は短刀を受けとめ、その軌道をいなすのみ。防戦一方のようだ。
ひろい湖を逃げまわる『鬼』。
千菊は全身に霊力をまとい、足底に力を込める。
「逃がすものか」
ぐんっと瞬時に距離を詰め、『鬼』の目前へ接近。
鋭いきっさきで、『鬼』の胸もとを捉えたとき。
血に濡れたような夕照を、きらりと反射するものがあった。
「……斬るんですか」
はらり。少年のほほを、きらめく涙がつたう。
「おれを斬るんですか……蘭雪さま」
「──ッ!」
千菊を見つめ、少年が悲しそうにつぶやいた。
「矢一……」
時が止まったかのようだった。
千菊がためらった一瞬のうちに、勝敗は決する。
──ぷしゃああっ。
黄昏の空に、血しぶきが舞う。
千菊の左肩から右の腰にかけて、黒い太刀がふり下ろされたのだ。
「愚か者め」
どん。鈍い音とともに、千菊のからだが蹴り飛ばされる。
無情にも岸辺に叩きつけられた衝撃で、竜頭面がはじき飛ばされる。
竜の角は折れ、面紐は断ち切られていた。
「あるじ、さま……そんな、あるじさまッ!」
うつ伏せに倒れ込む千菊。
純白の衣が、鮮血に染まりゆく。
千菊を呼ぶ鼓御前の声は、もはや悲鳴だった。
「……うそ、だろ……立花センセが、負ける、なんて……」
葵葉は放心状態。だれもが、戦慄した。
「……っく……ぅ……」
「まだ息があるな」
岸辺へ降り立った『鬼』が、千菊のもとへ向かう。
「やめてください!」
懇願するような鼓御前の一声に、ぴたりと『鬼』が足を止めた。
「あなたの目的はわたしなのですよね。あなたに従います。だから、これ以上あるじさまを傷つけないでください」
「ほう……」
「なにを考えてる、天!」
「そうよ、危ないわ!」
「止めないでください!」
むろん、桐弥も虎尾も黙っているはずはなかったけれど。
「行かせてください……父さま、母さま」
切実な紫水晶のまなざしを前にすれば、選択肢はないに等しかった。
「いいだろう。どうせ、じきに死ぬだろうからな」
『鬼』はもう、千菊への関心を失ったようだった。
悠然とした態度で、『鬼』が手をのばしてくる。
深淵のような黒い瞳で、鼓御前を見据えたまま。
「……ごめんなさい、みなさん」
鼓御前はうつむき──
「……信じていますから」
そうつぶやいて、足早に結界をすり抜ける。
「あぁ……ようやくだ。ようやく、手に入る」
鼓御前が歩み寄るほどに、『鬼』のまなざしは熱をおびてゆく。
「美しき刀よ……今度こそ、我がものに」
破顔した『鬼』は、その両腕で鼓御前をかこい込む。
「──だれにも、わたさない」
そして、獣のような執着をかいま見せた直後。
どす黒い瘴気が、鼓御前を飲み込む。
「──姉さまぁッ!」
やがて黒い煙が立ち消えたとき、血に濡れた夕暮れの空と湖の景色だけが、取り残されていた。



