* * *
「……天」
障子越しの呼びかけに、返答はない。
「入るぞ」
ひとつ断りを入れ、桐弥は障子を開け放つ。
鼓御前は、客間の隅で、布団にくるまっていた。
「今朝は食事も摂っていないだろう」
「……食欲がありません」
「天……たのむから、顔を見せてくれ」
桐弥は布団に手をかけるものの、無理やり剥ぐことはしない。
たっぷりと沈黙をへて、もぞもぞと布団の塊が盛り上がった。
「ねぇ父さま……うそですよね? 花ちゃんおねぇさまが、いなくなっただなんて!」
ようやく顔を見せた鼓御前の目もとは、赤く腫れていた。
『あの日』からずっと、夜な夜な泣き腫らしているのだ。
「うそじゃない。結界に細工をして兎鞠神社に〝慰〟をまねき入れた可能性があるとして、行方を追われている」
「そんなっ……うそです!」
「信じがたいだろうが、告発もあった」
九条家につらなる鞘師の夫婦が、証言した。
息子の陣は、生後間もなくこの世を去っていること。
そして悲しみに暮れる間もなく、とある男から脅されていたことを。
九条家に長年仕えていた『虎尾』は、実在しない人物だったのだ。
「花ちゃんおねぇさまは、おやさしい方です。だれかを傷つけるような方ではありません。裏切っただなんて、わたしは信じません……!」
うわごとのように鼓御前はくり返す。
意地になっているようにも見える。
「そうだな。おまえがそうしたいなら、信じなくていい。僕は信じるから」
「父さま……っ!」
言い募ろうとした鼓御前のくちびるに、そっと指先が押し当てられる。
「僕は、あいつを信じてる」
「──!」
鼓御前は、紫水晶の瞳を見ひらく。
こちらを見つめる桐弥のまなざしには、迷いがなかった。
「ほんとうは、知っていたよ。あいつが陣であることも、僕にも黙って、なにかをしようとしていたことも」
この状況を引き起こしたのは、なにも追及しなかった桐弥の責任といえるだろう。
「それでも……おまえを愛おしげに見つめるあいつのまなざしは、本物だった」
「花ちゃんおねぇさまが……?」
「もしかしたら……あいつはおまえのために、なにかを成し遂げようとしているのかもしれない」
「そうでしょうか? 花ちゃんおねぇさまは……いつも父さまのためを思っていらした気がします」
鼓御前がぽつりとつぶやくと、桐弥はふっと笑い、
「なら、僕たちが信じてやらないとな」
と、鼓御前の頭をなでた。
「天、あいつの好物がなにか、知ってるか」
「いえ、聞いたことがないです」
「油揚げだ。祭りの祝いにそのへんにぶら下げてたら、おびき寄せられるかもな」
「ふふっ……父さまも、ご冗談をおっしゃるのですね」
他愛もない会話に、不安で押しつぶされそうだったこころがほぐれる。
脈絡のない桐弥の言葉は、なにを意味しているのだろう。
思いをはせるあいまに、鼓御前のひたいへ、こつりとひたいがくっつけられた。
「僕たちは、僕たちにできることをしよう、天」
そしてまっすぐに信じるこころが、迷いそうな鼓御前に進むべき道をしめすのだ。
「はい、父さま。わたしも、花ちゃんおねぇさまを信じます」
立ち止まっているひまはない。
さぁ、前に進もう。



