「世の中にはね、知らないほうがいいこともあるのよ。あなたが『それ』を知るのは、まだ早いわ」
「はな……」
虎尾の手のひらが、鼓御前の視界を覆う。
「ごめんね」
世界が、真っ黒になる。声をあげる間もなく、鼓御前の意識は、ぷつりと途切れた。
「さて。余計な真似はしないでって、言ったわよね?」
くずれ落ちる鼓御前を抱きとめた虎尾は、夫婦を一瞥する。
そのまなざしは、氷柱のごとく冷えきっている。
「アタシだって酷いことはしたくないのよ。ねぇ、ご理解くださるでしょ? オトーサマ、オカーサマ?」
「ひッ……!」
「いやぁっ!」
ガクガクとふるえをおさえきれない夫婦は、とうとう脱兎のごとく逃げだしてしまう。
夫婦が逃げまどうさまを、虎尾は冷めた目つきでながめていた。
「そう……ほんとは、こんなことはしたくないの」
虎尾はぽつりとつぶやき、腕に抱いた鼓御前へ視線を落とす。
「だってあなたは、アタシの────なんだから」
唐茶色の瞳の奥に、もはや絶対零度の影はない。
「だからね、つづちゃん。……大好きよ。アタシのお姫さま」
一度、二度と鼓御前のほほをなでた虎尾は、最後にひたいへ口づけを落とす。
ぎゅうと、きつく抱きしめながら。
「ねぇ、出ていらっしゃいな」
おもむろに虎尾は告げる。
しばしの静寂をはさんで、虎尾の背後から歩み寄る者があった。
「さすが、鋭いわね。ウチの九条ちゃんは」
桐弥だった。
気を失った鼓御前と、それを抱く虎尾。
ふつうではない状況であるはずだが、桐弥はそれを咎めることはしない。
「なにをしていたか、聞かないの?」
「……いや、その必要はない」
静かにかぶりをふる桐弥の表情は、『勘づいている者』のそれだった。
「そう。ほんと……やさしいひとね」
虎尾も、言い逃れはしなかった。
そんなことをしても無駄だと、わかっていたから。
「あなたのだいじなつづちゃんは、お返しするわ」
「…………」
虎尾は腕に抱いた鼓御前を、あっさりと桐弥へ受け渡す。
「納得いかないって顔ね。でもこればっかりは文句を言わないでちょうだい」
虎尾は苦笑する。
「アタシにも、譲れないものがあるんだから」
ふとした折に、愛おしげなまなざしを鼓御前へ向けながら。
「大丈夫、上手くやってみせるわ。それじゃあね」
虎尾は桐弥の言葉を待たない。
……ひゅうう。
そよ風が吹き抜ける。
まばたきのあいだに、虎尾はすがたを消していた。
「虎尾──いや」
だれもいない虚空へ向かって呼びかけようとして、桐弥は口をつぐむ。
代わりに、鼓御前を抱く腕へ力をこめた。
「天……たのむ」
か細く消え入りそうな声で、それでも桐弥は祈った。
「僕に……力を貸してくれ」
「はな……」
虎尾の手のひらが、鼓御前の視界を覆う。
「ごめんね」
世界が、真っ黒になる。声をあげる間もなく、鼓御前の意識は、ぷつりと途切れた。
「さて。余計な真似はしないでって、言ったわよね?」
くずれ落ちる鼓御前を抱きとめた虎尾は、夫婦を一瞥する。
そのまなざしは、氷柱のごとく冷えきっている。
「アタシだって酷いことはしたくないのよ。ねぇ、ご理解くださるでしょ? オトーサマ、オカーサマ?」
「ひッ……!」
「いやぁっ!」
ガクガクとふるえをおさえきれない夫婦は、とうとう脱兎のごとく逃げだしてしまう。
夫婦が逃げまどうさまを、虎尾は冷めた目つきでながめていた。
「そう……ほんとは、こんなことはしたくないの」
虎尾はぽつりとつぶやき、腕に抱いた鼓御前へ視線を落とす。
「だってあなたは、アタシの────なんだから」
唐茶色の瞳の奥に、もはや絶対零度の影はない。
「だからね、つづちゃん。……大好きよ。アタシのお姫さま」
一度、二度と鼓御前のほほをなでた虎尾は、最後にひたいへ口づけを落とす。
ぎゅうと、きつく抱きしめながら。
「ねぇ、出ていらっしゃいな」
おもむろに虎尾は告げる。
しばしの静寂をはさんで、虎尾の背後から歩み寄る者があった。
「さすが、鋭いわね。ウチの九条ちゃんは」
桐弥だった。
気を失った鼓御前と、それを抱く虎尾。
ふつうではない状況であるはずだが、桐弥はそれを咎めることはしない。
「なにをしていたか、聞かないの?」
「……いや、その必要はない」
静かにかぶりをふる桐弥の表情は、『勘づいている者』のそれだった。
「そう。ほんと……やさしいひとね」
虎尾も、言い逃れはしなかった。
そんなことをしても無駄だと、わかっていたから。
「あなたのだいじなつづちゃんは、お返しするわ」
「…………」
虎尾は腕に抱いた鼓御前を、あっさりと桐弥へ受け渡す。
「納得いかないって顔ね。でもこればっかりは文句を言わないでちょうだい」
虎尾は苦笑する。
「アタシにも、譲れないものがあるんだから」
ふとした折に、愛おしげなまなざしを鼓御前へ向けながら。
「大丈夫、上手くやってみせるわ。それじゃあね」
虎尾は桐弥の言葉を待たない。
……ひゅうう。
そよ風が吹き抜ける。
まばたきのあいだに、虎尾はすがたを消していた。
「虎尾──いや」
だれもいない虚空へ向かって呼びかけようとして、桐弥は口をつぐむ。
代わりに、鼓御前を抱く腕へ力をこめた。
「天……たのむ」
か細く消え入りそうな声で、それでも桐弥は祈った。
「僕に……力を貸してくれ」



