* * *
がむしゃらに手足をふり乱し、駆けて駆けて、駆けめぐる。
ふり返ることはしなかった。
それが鼓御前のちっぽけな意地だった。
「うっ……ふぅ、うぅ……!」
とうとうあふれた涙で視界が見えなくなり、鼓御前はその場にしゃがみ込む。
「父さまなんて……」
ちがう。
ほんとうにつたえたかったことは。
「……どこにも、行かないで……独りは嫌です、父さまぁ……!」
どうしたらつたわるのだろうか。
どうすれば正解だったのだろうか。
答えはわからないまま、鼓御前はひざに顔をうずめ、声を押し殺してすすり泣く。
がさり。鼓御前ははっと顔をあげる。
物音のしたほうをふり返ると、庭の草むらに、なにかの影があった。
「……あなたは」
袖で目もとをぬぐい、目をこらすと、明け方のまだ薄暗い庭に一匹の狐がいた。
(どこからか迷い込んだのかしら?)
そう考えて、鼓御前はすぐに首を横にふる。
(なんでしょう……不思議な、感じがします)
一見してふつうの狐だ。
だが、あれはただの狐ではない。
まとう『気配』が妙なのだ。
あやかしの『気配』に似ている。
けれども、それだけではないような。
(狐……)
ここ最近、やたらと耳にする。
──九条ちゃん、こっそりお世話してる子がいるみたいでね。
──狐と聞いて、なにか思うことはないか。
そうだ。
桐弥にも鼓御前にも、『狐』には浅からぬ縁がある。
「あの、あなたはいったい──」
鼓御前が問いかけようとした、そのとき。
茶色の瞳でじっと鼓御前を見つめていた狐が、突然背を向ける。
「えっ……待って!」
たっと駆けだす狐。
鼓御前はあわててその背を追いかける。
「待って! 待ってください!」
庭を突っ切り、草むらに飛び込む。
狐がふり返ることはなかった。
だが、鼓御前が狐を見失うこともなかった。
軽やかな足取りで、狐は土を蹴る。
まるで、鼓御前をどこかへいざなうかのように。
がさがさと草を掻き分けると、拓けた場所に出る。
その突き当たりで、狐が急に角を曲がった。
「待って…………きゃっ!」
夢中で追いかけていた鼓御前だったが。
狐を追って曲がった瞬間、だれかとぶつかりそうになった。
「……おっと!」
大きくよろめけば、ぱしりと手首をつかまれる。
「これは失礼しました。前方不注意で…………うん?」
すぐに、律儀な謝罪がある。
聞き慣れた少年の声音だ。
そしてくだんの少年も、ばったりと鉢合わせた相手が鼓御前だと気づいたらしく。
「つっ……鼓御前さま!? 申し訳ありません、ぶしつけにふれてしまい……ではなくて、お怪我はございませんか!?」
莇だった。
鼓御前の手首をバッと離すなり、あたふたと何度も頭を下げる。
この異様なまでの腰の低さ。まぎれもなく莇である。
なんだか無性にほっとして、鼓御前は胸をなで下ろした。
「わたしは大丈夫ですよ。こちらこそ、前をよく見ていなくてごめんなさい」
「いえ、とんでもない! お急ぎのようでしたが、なにか……?」
「そうだわ! 狐さんを追いかけていまして、こちらのほうに来たと思うのですが」
「狐、ですか? おれは見ていませんが」
「えっ……」
そんなはずはない。
つい先ほど、狐がこの突き当たりを曲がったところをたしかに見たのだ。
それなのに、莇は見ていないという。
(やっぱり……ただの狐さんじゃないんだわ)
こうも忽然とすがたを消したのだ。確信するほかない。
「九条家で飼っている狐でしょうか? おれもおさがししましょうか?」
「お気遣いありがとうございます。突然追いかけてびっくりさせてしまったかもしれないので、今日はもうやめておきます」
それらしい理由をつければ、莇も「承知いたしました」とうなずく。



