御刀さまと花婿たち


  *  *  *


 目じりからつたうものを感じ、鼓御前は目を覚ます。
 あたたかいものがほほをしたたり落ちる。
 それを、だれかがぬぐった。

「……なぜ、泣いている」

 鼓御前はぼんやりとあたりを見まわす。
 布団に横たわったじぶんを、少年がのぞき込んでいた。

「とと、さま……父さまっ!」

 桐弥を目にしたとたん、鼓御前は布団から飛び起きる。
 わっと泣きつく娘を、桐弥は抱きとめた。

「どうした、怖い夢でも見たのか」
「そうです……怖くて、悲しい夢を見ました……父さまを、喪った日の夢です」
「……なんだって?」
「わたし……すこしだけ思いだしたんです。むかしのこと……!」

 鼓御前はえぐえぐと泣きじゃくりながら、訴える。

「父が亡くなった日のことを夢に見て、怖く思わない娘がおりましょうか……!」

 胸にすがりつく鼓御前を目にし、桐弥はふと紫水晶の視線を伏せる。

「そうか。……あんなちっぽけな男のことを、思いだしたんだな」
「ちっぽけだなんて、そんな……っ!」
「病魔に負けて、さっさと死んだんだ。ちっぽけな生涯だろう」

 迷いのない口ぶりだ。
 桐弥は前世のことを鮮明におぼえているのだろう。
 桐弥の前世──
 平安時代の刀匠である九条紫榮は、流行り病にかかり、若くしてこの世を去った。
 齢十九。あまりに早すぎる死だった。

「病にさえかからなければ、父さまはもっとすばらしい刀を、たくさん世に送りだすことができたでしょうに……」
「終わったことだ。もしもの話をしても意味がない」
「でも……!」
「天、僕は地位だとか名誉のために、刀を打っていたわけじゃない」

 言い聞かせるように、桐弥は背をさすってくる。
 これではまるで、癇癪を起こして親になだめられる幼子のようだ。
 そうとわかっていても、鼓御前は引き下がれない。

「どうしてわたしを打ったのですか? わたしは、なんのために生まれてきたのですか?」

 いつもは聞き分けのいい娘が、頑として譲らなかったからか。
 鼓御前の勢いに圧されたかのように、桐弥はぐっと口ごもり。

「…………僕の、傲慢のためだ」

 たっぷりの沈黙をへて、そうこぼした。

「僕の手前勝手な独りよがりを、おまえに押しつけてしまった」
「……意味がわかりません」
「理解してくれとは言わない」
「どうしてですか! どうしてわたしが生まれた理由が『じぶんの傲慢』だなんて、悲しいことをおっしゃるのですか!?」

 人は子が生まれたことを、よろこばしく思うものだろう。
 ちがうのか?
 この身が人ではないから?

「その言い方……まるでわたしを打ったことを、後悔しているみたいっ……!」
「ちがう! おまえは望んで打った刀だ! まぎれもなく、僕とあいつが──」

 声を荒らげた桐弥が、はっと口をつぐむ。

「『あいつ』とは、どなたのことですか?」

 間髪をいれず、鼓御前は問う。
 桐弥はすこしためらって、口をひらく。

「……僕に、相槌を打った男のことだ。おまえにとっては、もうひとりの刀匠(おや)ともいえるだろう」

 ときに言いよどみながら、桐弥は続ける。

「その男のことを、実をいうと僕もよく知らない」
「知らない……?」

 紫榮には兄弟子(あにでし)がいたはずだ。
 だが面識がないとなると、相槌を打った男は紫榮の兄弟子ではないということになる。

「名もわからなければ、顔もおぼろげとしか思いだせない……だが、たしかなことがある。だれかもわからないのに、その男には不思議とこころが許せたということだ」

 寡黙な桐弥が、とつとつと語る過去。
 それは気が遠くなるほど、遠いむかしの記憶。

「その男は、僕のことをよく理解してくれていた。言葉をかわさずとも、僕の思いをすべて汲み取ってくれた。だから僕も、思うがままに鎚をふるうことができた。あのときだけは……僕も僕らしくいることができたんだ」

 だから、と桐弥は言葉をつなぐ。

「そうやって打ったおまえは、間違いなく、僕が誇る最高の刀なんだ」

 桐弥の言葉は、ひとつひとつが切実なひびきをおびている。

「これだけは信じてくれ。おまえは僕のだいじな刀だ。僕は、愛する娘を守りたいだけなんだ」

 桐弥の告白に、嘘偽りはない。
 だからこそ、鼓御前は泣きだしてしまいたくなる。

「わたしを愛してくださっているのなら……どうしてこんなことをなさるのですか?」
「こんな、こと……?」
「じぶんをかえりみず、無理ばかりなさって……心配するわたしの言葉は、なにひとつ聞いてくださらないではありませんか」

『命を懸けて守る』と、桐弥はしきりに言っていた。
 その言葉が、鼓御前の感情を激しくかき乱す。

「陣さまからお聞きしました。『奉納祭』の神楽は、霊力を大量に消費する。ゆえに舞い手の寿命を削るおそれがあるのだと」

 御三家の者が舞い手をつとめるのは、道理にかなったことだった。
 豊富な霊力をもつ覡でなければならない。
 その上で、舞い手は毎年変えなければならない。
 神楽を舞うということは、それほどまでに負担が強いられるのだ。
 下手をすれば、命を落とすこともあるという。
 それはまさに、命を燃やす行為。

「遺されるわたしのことは、おかまいなしですか!?」

 前世(まえ)もそうだった。
 紫榮の消えゆく命のともしびを、ただただながめることしかできなかった。
 生まれて間もない鼓御前──天鼓丸は、ただの鋼でしかなかったから。
 だが、今世はちがう。
 あのような悲劇は、二度とくり返さない。

「神楽のお稽古中に、倒れられましたね。このままいけば、父さまが神楽を舞われることを、わたしは許可できません」
「っ! 天!」
「だってこれ以上無理をしたら、父さまが死んでしまいます!」
「死など怖くはない。僕がやらねば、ほかにだれが──!」
「もういいです!」

 たまらなくなって、鼓御前は力まかせに桐弥を押しのける。

 ……とさり。
 視界がひっくり返り、桐弥は天井を仰いでいた。
 布団へ押し倒されたかと思えば、鼓御前が馬乗りになって。

「…………んぅっ!」

 まばたきのあいまに、桐弥は呼吸をうばわれた。
 くちびるに、くちびるが押しつけられたのである。

「……こら、なにをしてっ……ぅ、んっ!」

 もがく桐弥。しかしいつぞやのように、鼓御前を引き剥がすことはできなかった。

 ふっ──……

 呼気とともに『なにか』が吹き込まれ、からだをめぐる。
 じんと熱をともすその感覚は、快楽にも似ている。

「……て、ん……」

 はぁ……と、桐弥の口から吐息がもれる。
 紫水晶の瞳は熱に浮かされ、潤んでいた。
 くたりと脱力する桐弥。
 そのからだには、鼓御前が流し込んだ神気がめぐっていることだろう。

「……お忘れですか。わたしはあなたさまの前世の名も、今世の名も、知っています」

 からだを離した鼓御前は、悲しげなまなざしで桐弥を見下ろす。

「わたしはもう、悲しくてさみしい思いは、したくないのです……父さまが命を投げ打つというのなら、その命、わが鼓御前がもらい受けます」

 それはつまり、神気を注ぎ込んで、桐弥のからだを人ならざるものへつくりかえるということ。
 神の眷属へ墜とし、その身を未来永劫縛りつけるということにほかならない。

「時として手段はえらばない。神とは、そういうものです」
「……やめて、くれ……たのむ、天鼓丸……」

 か細い嘆願を耳にして、鼓御前はくちびるを噛む。

「……父さまは、自分勝手です」

 鼓御前だってわかっていた。
 この行為が、桐弥のためにはならないことを。

「どうして、死を受け入れるのですか……生きようと足掻かないのですか……? わたしはもっと、父さまと生きていたいのに」
「……て、ん?」
「もう父さまなんて知りません! ばかっ!」

 最後にそうとだけ言い放ち、鼓御前は部屋を飛びだした。