御刀さまと花婿たち

「つづ」
「……は、はいっ」

 なぜだか鼓御前の返事は、声が裏返ってしまった。
 名前を呼ばれただけだ。
 けれど千菊の声音はいつもより低く、どこか熱っぽい。

「ふふ……かわいい子」

 くすり。
 笑みをこぼした千菊に、両ほほをつつみ込まれる。
 間近に迫る青玉の瞳。
 吸い込まれそうだわ、と見惚れた直後だった。
 ふに、とやわらかい感触がある。
 鼓御前のくちびるに、千菊のくちびるがふれていた。
 とたん、鼓御前の脳内が真っ白になる。

(……えっ……?)

 呼気を介し、覡が御刀さまへ口うつしで霊力供給をすることがある。
 だがそれはあくまで応急処置。
 さらに鼓御前は、すでに手入れを終えた身だ。
 千菊の目的が霊力供給でないことは、さすがに理解できた。

 ──くちびるとくちびるを合わせるのは、好き合う者どうしのすること。だとするなら。

「あるじさまは……わたしのことを、好いてくださるのですか?」

 すくなくとも千菊は、鼓御前に好意をいだいている。
 それだけは、まぎれもない事実だ。

「心外ですね。私はいまもむかしも、きみを可愛がっていたと思いますが。きみのほかにはなにも要らないくらいに」

 たしかに彼がまだ蘭雪であったころ、「鼓御前(かの刀)があるならば妻は要らぬ」と、断言してはいたが。

「でも……わたしは刀です。あるじさまの御子を生んでさしあげることもできない、ただの鋼の身でございます」
「……ほう。それで?」
「生涯寄り添える奥方を娶られるほうが、あるじさまもおしあわせになれるのでは、と……」

 言いながら、鼓御前は異変を感じる。

「……あるじさま?」

 千菊の周辺が、ひやりと冷気をおびたような気がしたのだ。
 いや、気のせいではないだろう。
 その証拠に、千菊は口もとをゆるめているが、目は笑っていない。

「ふふ……ははっ」

 それは、滑稽で仕方がないという笑み。

(あ、わたし……いけない)

 ──姉さま……それぜったいあるじ、じゃなかった立花センセには言うなよ?

 このときになって、葵葉の言葉を思いだす。
 だがいまさら失言に気づいたとて、時すでに遅し。 

「きみの無垢な言葉は、時として残酷なものですね」

 ゆらり。青年のすがたをした影が、鼓御前を覆う。

「──私の(こころ)を、見くびらないでもらおうか」

 千菊の長い指先が、視界をかすめる。
 くっと顎をすくわれた鼓御前は、次の瞬間、呼吸を損なった。

「……んんっ!」

 ふたたび、くちびるがふさがれる。
 それは、ともすれば痛みをともなうもので。
 ──噛みつかれているようだった。

「んっ……んぅ……」

 呼吸の仕方がわからない。
 脳に酸素が行きとどかない。
 くたりと脱力する鼓御前を、しなやかな腕が抱きとめた。

「かわいそうなつづ。私のような男に執着されて」

 言葉とは裏腹に、くすくすと、笑い声がきこえる。

「すこし、だいじにしすぎたのかもしれませんね。……私がどれだけの感情をきみに向けているのか、思い知ればいい」
「あるじ、さま……」

 からだの芯から、じりじりと焦がされるようだった。
 熱っぽいささやきから身をよじって逃れようとしても、鼓御前を絡みとった腕はびくともしない。

「つづ──私は、きみのすべてが欲しい」

 追い討ちのごとく、耳朶(じだ)に吐息が吹き込まれ。
 いつ何時もかたわらに在った青年が、はじめてむきだした熱情の奔流。
 ただただ、鼓御前は圧倒されるばかりだった。