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「お初にお目にかかります、紫陽さま」
桜の木にやどった精霊、紫陽。
彼を前にして、千菊が深々とこうべを垂れる。
敬意を示す千菊を、紫陽は怪訝そうに見つめる。その腕には、ふゆが抱かれていた。
「ふゆおばあちゃま!」
「いけません、つづ」
ふゆはぐったりとして、意識がない。
ただごとではない状況であるはずなのに、鼓御前が駆け寄ることを千菊は許さなかった。
「姉さま、気持ちはわかるけど落ち着け。あの桜の精……やばいぞ」
この場において、葵葉も冷静に状況を把握したらしかった。
常磐色の瞳を細めながら、鼓御前をなだめる。
「そういえば、紫陽さまに黒い煙のようなものがまとわりついて……」
そこまで声にして、鼓御前ははっとした。
とたん冷や汗がふき出る。
予想しうる『最悪の状況』を、理解してしまったために。
「先ほどゆみさんを襲っていたモノが、〝慰〟の本体ではない」
アレは操られていたモノ。
つまり、モノにやどった邪気にはたらきかけた存在がある。
そして、その存在というのは疑いようもなく……
「慰んでしまわれたのですね、紫陽さま」
モノにやどった邪気は、きっかけにすぎない。
しかし自宅にまで押しかけ、口汚くふゆを罵るゆみの『負の感情』にふれ、彼──紫陽は堕ちてしまった。
〝慰〟を取り込み、祟り神になってしまったのだ。
それが、千菊の見解。
そして揺るぎない事実だ。
「……ぼくは、いたずらな殺生を好まない。二度とぼくたちに関わらないと誓え」
紫陽の口調は淡々としたものだ。
しかし堕ちてなお、鼓御前たちへ慈悲をかけている。
(もしかして、先日の神隠しは……紫陽さまが? ゆみさんたちに対する『警告』だったということ?)
ゆみたちを怖がらせて、追い払おうとしていた。
これ以上ふゆに近づくな。
傷つければ容赦はしないと。
(きっと紫陽さまは、とても心根のおやさしい方なんだわ……)
そう理解すると、鼓御前は目頭が熱くなるのを感じた。
「ゆみさんを許していただくことは……」
「できない。その者たちは、幾度となく、愚かなふるまいをくり返してきた。何度も何度も何度も……ふゆを傷つけた人間どもを、ぼくはぜったいに許さない!」
ぶわり。
紫陽の激昂とともに、濃密な瘴気が爆発的にふくれあがる。
そのとき紫陽の腕に抱かれたふゆが、苦しげにうめいた。
「うっ……!」
「紫陽さま、どうかお鎮まりください! このままでは、ふゆおばあちゃままで瘴気に呑み込まれてしまいます!」
「許さない……ぼくたちを引きはなそうとするのなら、おまえたちも許さない……!」
「紫陽さ……!」
「つづ、やめなさい!」
なおも説得しようとする鼓御前の腕を、千菊がつかんで引きとめる。
──ブォンッ!
うしろへかしいだ鼓御前の視界を、なにかがかすめる。
艷やかな黒髪のひとふさが、はらりと足もとに落ちた。
「…………え?」
こわごわと、鼓御前は視線をもどす。
そして、愕然とした。
「ふゆはぼくのものだ……だれにもわたさない!」
凛と咲きほこっていた桜の木は、見る影もなく。
うねうねとうごめく枝が、先を尖らせ、鼓御前たちを捉えていた。



