* * *
しとしとと、雨がふり続く。
生け垣でかこまれた庭の中心に、桜の木が一本だけたたずんでいる。
鼓御前をおどろかせたのは、梅雨の時期にもかかわらず、その桜が満開だったことだ。
「きれい……でも、不思議な色をした桜ですね。淡い青と紫がまじって、まるで……」
「まるで紫陽花のよう、でしょう?」
鼓御前の言葉を継いだふゆは、傘越しに桜の木を見あげた。
「私は紫陽桜と呼んでいます。この島にふたつとない桜の木です。私が生まれた年に、両親が幸福をねがって植えたものだそうです。でも……」
ぐっと口をつぐむふゆ。
それでも言葉を詰まらせながら、懸命に語る。
「私がこどものころです。神隠しにあったんです。七歳のときと十四歳のときの、二度」
「神隠しですって……!」
「えぇ……それから私は、周囲から腫れ物あつかいをされるようになりました」
ふゆは自嘲気味に笑った。
みなまで言わずとも、その言葉の意味が鼓御前にはわかってしまった。
若い娘が神隠しにあうということは、あやかしの嫁にされることをさす。
ふゆは薄気味悪い娘だと影でささやかれた。
嫁のもらい手もなくなってしまった。
それでもふゆは、懸命に生きてきた。
「私は甘いものが好きでしたので、あるときおはぎを作ったんです。そうしたら、においにつられて小豆洗いがやってきて」
ちいさなこどものすがたをしたあやかしが家に棲みつき、ふと思い立ったふゆは、甘味処をはじめる。
そのことがきっかけで、すこしずつひととの交流を取りもどしていったのだ。
「それから数十年、私はこの島でずっと暮らしてきました。これからも、島を離れるつもりはありません。……だって私がいなくなったら、この桜は……」
何事か言いかけて、ふゆは口をつぐむ。
「ふゆさんはお店だけでなく、この桜にも深い思いいれがあるようですね」
ひととおり話を聞き、千菊は口をひらく。
なにか思うところがあるようだ。
ふゆの反応から、鼓御前も気になることが。
「前にこちらにお邪魔したとき、この桜の木がある方角で、若い男性のすがたを見ました。花びらとおなじ色の着物をお召しになった方です。その方は、ひとでもあやかしでもない『気』をまとっていらっしゃいました」
「ほう……それは興味深いですね」
鼓御前の言葉にまず反応したのは、千菊だ。
「ひとでもあやかしでもない──となれば、答えはひとつ。その男性は、こちらの桜の木に根づいた桜の精でしょう」
「紫陽さまをごらんになったのですか!?」
無意識の発言だったのだろう。
「あ……」と声をもらすふゆだが、千菊はそれを見逃さなかった。
ふゆの発言は、桜の精と会ったことがある者のそれだ。
「見たところふゆさんは、小豆洗いさんがなつくほど非常に高い霊力をお持ちです。そして精霊がやどった桜の木に、二度にわたる神隠し」
鼓御前は息をのむ。千菊が言わんとすることを、悟ったためだ。
「無礼を承知でおたずねします。ふゆさん、神隠しにあったとき、なにが起こったのですか?」
「それは……」
ふゆが言いよどむ。わずかだが、たしかに動揺していることが鼓御前にもわかった。
「──ふゆさん、いるんでしょう!?」
雨音だけが聞こえる静寂を、かん高い声が打ち壊した。



