最初に気づいたのは、通学路でだった。
十二月の朝。いつもの交差点で信号を待ちながら、私はぼんやりと、行き交う自転車を目で追っていた。そのとき、ふと思った。
そういえば、最近、見ていない。
自転車が誰かにぶつかりそうになるところ。
傘が階段を転がり落ちるところ。
何かが、誰かのすぐそばに落ちてくるところ。
ああいう、息の止まりそうな「ぎりぎり」を、私はもう、ずいぶん長いこと見ていない。
最後に見たのは、いつだっけ。
歩きながら、記憶を遡った。夏休み前の、渡り廊下の照明カバー。あれが最後だ。
あの後、夏休みがあって、二学期が始まって、秋が来て――何もない。
五ヶ月近く、何もない。
それまでは春から夏にかけて、四ヶ月で四回だったのに。
偶然だろうか。
偶然だ、と思おうとした。そもそも、ああいうヒヤリとする場面なんて、意識して数えるものじゃない。数えていた私のほうが、どうかしていたのだ。数えるのをやめれば、あってもなくても気づかない。それだけのこと。
でも、その日の授業中も、帰り道も、その考えは、喉に刺さった小骨みたいに、抜けなかった。
なぜなら、時期が、合ってしまうからだ。
ニアミスが止んだのは、夏の終わりから秋のどこか。
明日が視えなくなったのは、十月の頭。正確に一致するわけじゃない。
でも、近い。近すぎる。
あの奇妙な「ぎりぎり」の連続と、私の力は、同じ季節に、そろって消えた。
* * *
その夜、私は問題集を開く代わりに、ノートの新しいページを開いた。
覚えている限りの「ぎりぎり」を、書き出してみた。
一つ目。春の朝の、交差点。書きながら、あの瞬間が甦る。飛び出してきた自転車の、前かごの赤。会社員の革靴が、あと半歩、前に出かけていたこと。ブレーキの音はしなかった。自転車はまるで、最初からそこに人がいないと知っていたみたいな角度で、すっと逸れた。会社員は、イヤホンをしたまま、何も気づかずに改札へ歩いていった。気づいていないのは、彼だけじゃない。周りの誰も、立ち止まらなかった。世界中で私一人だけが、いま起きなかった事故を見ていた。
二つ目。駅の階段の、傘。あれは梅雨時だった。濡れた傘が手すりを滑って、先端から落ちて、一段、二段、と跳ねた。私は反射的に「危ない」と思った。夕方の駅の階段は、人で埋まっているのが普通だ。なのにあの日、あの数秒だけ、傘の通り道になった右端の一列は、きれいに空いていた。傘は誰の足にも触れず、踊り場の隅で止まった。ちょうど、人のいない段だけを選んで転がったみたいに。偶然にしては、きれいすぎる軌道だった。持ち主が駆け下りてきて、拾って、頭を下げて、それで終わりだった。
三つ目。工事現場の、資材。夏の初めの、放課後だった。金属の何かが、足場の高いところから落ちて、乾いた地面に刺さるみたいに立った。ガン、という音が、通りに響いた。作業員の人たちが駆け寄って、上を見上げて、何か怒鳴り合っていた。落下地点の周りには、ロープが張ってあった。でも私は見ていた。その数分前まで、ロープの内側を突っ切って歩く人が、何人もいたことを。落ちた瞬間だけ、誰もいなかったことを。
四つ目。渡り廊下の、照明カバー。これはもう、何度も思い出している。ガラスの砕ける音。飛び散る破片が、午後の光を反射した一瞬。数メートル先で笑い続けていた、後輩二人の背中。
四つ。日付は正確には思い出せないけれど、順番と、だいたいの季節は書ける。春、梅雨、夏の初め、夏休み前。書き出して、並べて、眺めた。並べてみて、初めて気づくことがあった。
四つとも、私が、その場にいた。
当たり前といえば、当たり前だ。私が見たものしか、私は数えられない。私のいない場所のぎりぎりなんて、知りようがない。でも、それにしたって――四回とも、あと数十センチ、あと二、三秒で誰かが大怪我をするような場面に、私はたまたま居合わせている。そんなに何度も、人は事故未然の現場に立ち会うものだろうか。
十七年間で四回なら、分かる。四ヶ月で四回は、多くないか。
そして、もうひとつ。
四つとも、怪我人は、出ていない。
自転車は逸れた。傘は誰もいない階段の端を滑り落ちた。資材の下には誰もいなかった。照明カバーは、二人が通り過ぎた「直後」に落ちた。四回とも、たった数秒、たった数十センチの差で、全員が無事だった。まるで――
まるで、何かが、ぎりぎりのところで手加減したみたいに。
ノートの上で、シャーペンが止まった。自分の書いた文字を、読み返す。馬鹿げている。何かって、何だ。手加減って、誰が。
でも、一度浮かんだ考えは、消えなかった。むしろ、書き出した四つの出来事が、紙の上で静かに繋がって、ひとつの形になろうとしているのが分かった。形になる前の、輪郭だけの予感。それは、視えていた頃に毎晩感じていた「明日が像を結ぶ直前」の感覚に、少しだけ似ていた。
* * *
翌日の昼休み、私はさりげなく、亜矢に聞いてみた。
「ねえ、変なこと聞くけど。最近、危ない目に遭ったりした? 車とぶつかりそうになったとか、何か落ちてきたとか」
「え、なに急に」
亜矢は箸を止めた。
「ないよ、別に。なんで?」
「ん、ちょっとね。……ちなみに、去年から今までで、あった?」
「去年? んー……あ、あった。ほら、この夏の渡り廊下の照明カバーが落ちてきたやつ。あれあたし、けっこう近くにいたんだよね。びっくりした」
それから亜矢は、思い出したように付け足した。
「あとさ、記録的な話でいいなら、うちの部に一人いるよ。あいつ、昔から妙に危ない目に遭うんだよね」
「……」
「同じクラスの、森田なんだけど。練習中にゴールポストに頭ぶつけるわ、飛んできたボールが顔面すれすれで逸れるわ、この前なんて部室の棚が倒れてきて、五センチ横に立ってたら潰されてたからね。マネージャーとして怪我記録つけてるんだけど、二学期から急に増えてて、ちょっと気になってたんだよね」
歩くん。
その名前が、いま、このタイミングで出てくるのか。私は箸を持ったまま、少しのあいだ、動けなかった。
「そう、それ。そういうの、最近ないなって」
「ないね、そういえば」
亜矢はあっさり言って、弁当の玉子焼きをつまんだ。
「まあ、ない方がいいじゃん、そんなの」
ない方がいい。その通りだ。世界は今、以前より安全になっている。誰もひやりとしない。誰も、ぎりぎりを渡らない。喜ぶべきことのはずなのに、私の胸の中では、その「安全」が、逆向きの意味を持ち始めていた。
あの頃、世界は、ぎりぎりだった。私の周りだけ、やたらと、ぎりぎりだった。
そして今、私の明日が閉じられたのと同じ時期から、世界は、ぴたりと穏やかになった。
家に帰って、私はもう一度ノートを開いた。四つの出来事の下に、余白を空けて、二つの日付を書いた。力が「世界まで」広がりきった時期。力が消えた日。そして、その間に挟まれた半年に、四つの丸をつけた。
ぎりぎりの半年は、力がいちばん強かった半年と、重なっていた。
これが偶然なら、偶然という言葉は、ずいぶん働き者だ。
シャーペンを置いて、私は椅子の背にもたれた。天井を見上げる。頭の中で、誰かの声がした。――気にしすぎだよ、たまたまでしょ。一年前の友達の声。あのときは、その言葉に頷けた。頷いて、忘れることができた。
今は、できない。
なぜなら私は、あれから、たまたまじゃないものを知ってしまったからだ。十二年間続いた力が、ある夜、前触れもなく消える。そんなことが起きる世界で、「たまたま」は、もう以前ほど信用できる言葉じゃない。
私の力と、あのぎりぎりの日々は、関係がある。
根拠はまだ、ノート一ページ分の走り書きしかない。でも、その直感だけは、妙にはっきりしていた。視えなくなってから、私は初めて、自分の頭で考えることを覚えた。分からないことを、分からないままにしないで、教科書まで戻って調べることを覚えた。だったら、これも同じだ。
私の十二年に、何が起きていたのか。あの半年に、何が起きていたのか。そして、あの夜、何が終わったのか。
答えのページは、どこにも印刷されていない。誰の明日にも、映っていない。
だから、調べる。自分で。
ノートの新しいページに、私は大きく、ひとつだけ問いを書いた。
――あの「ぎりぎり」は、誰に向かっていた?
書いてから、自分の書いた問いに、背中が少し冷たくなった。四つの場面を、もう一度思い出す。会社員。傘の下の通行人。資材の下の空白。後輩の二人。狙われたように見える人たちは、毎回、違う。共通点なんて、ない。
ただ一人、四回とも、必ずその場にいた人間を除いて。
私だ。
ノートを閉じて、電気を消して、布団に入った。眠れなかった。暗闇の中で、書いたばかりの問いが、ずっと点滅していた。
もし、あのぎりぎりが、私に向かっていたのだとしたら。あの半年、私は四回、何かに命を狙われて、四回とも、紙一重で外れたことになる。馬鹿げている。中学生や高校生が、誰かに命を狙われる理由なんてない。私は誰の恨みも買っていない。買うほどの関わりすら、誰とも持っていない。
でも――「誰か」じゃなかったとしたら?
自転車に、悪意はなかった。傘にも、資材にも、照明カバーにも。あれは全部、ただの物だ。ただの物が、ただの偶然で、あの半年だけ、私の周りに集中して落ちてきた。人の悪意なら、警察に行けばいい。物の偶然は、どこに行けばいいんだろう。
考えているうちに、もうひとつ、思い出したことがあった。
彼のことだ。
視えていた頃、彼の明日だけが、探さないと来なかった。他の全員は勝手に届くのに、彼だけは、真っ暗な水の底で、いつも輪郭が薄かった。あの「視えにくさ」と、この「ぎりぎりの半年」は、同じ世界で起きていた。関係があるのかないのか、分からない。分からないけれど、私の十七年に起きた「説明のつかないこと」を全部並べるなら、あれも、この表のどこかに書き込まれるべきことのはずだった。
私はもう一度電気をつけて、ノートを開いて、四つの出来事の下に、小さく書き足した。
――歩くんの明日だけ、視えにくかったのは、なぜ?
書いてから、眺めて、また消したくなった。彼の名前が、事故未然のリストと同じページにあるのが、嫌だったからだ。理屈じゃなかった。ただ、嫌だった。消しゴムに手が伸びかけて、止めた。嫌だから消す、をやっていたら、たぶん本当のことには一生たどり着けない。
消さないまま、ノートを閉じた。
調べることが、二つになった夜だった。
十二月の朝。いつもの交差点で信号を待ちながら、私はぼんやりと、行き交う自転車を目で追っていた。そのとき、ふと思った。
そういえば、最近、見ていない。
自転車が誰かにぶつかりそうになるところ。
傘が階段を転がり落ちるところ。
何かが、誰かのすぐそばに落ちてくるところ。
ああいう、息の止まりそうな「ぎりぎり」を、私はもう、ずいぶん長いこと見ていない。
最後に見たのは、いつだっけ。
歩きながら、記憶を遡った。夏休み前の、渡り廊下の照明カバー。あれが最後だ。
あの後、夏休みがあって、二学期が始まって、秋が来て――何もない。
五ヶ月近く、何もない。
それまでは春から夏にかけて、四ヶ月で四回だったのに。
偶然だろうか。
偶然だ、と思おうとした。そもそも、ああいうヒヤリとする場面なんて、意識して数えるものじゃない。数えていた私のほうが、どうかしていたのだ。数えるのをやめれば、あってもなくても気づかない。それだけのこと。
でも、その日の授業中も、帰り道も、その考えは、喉に刺さった小骨みたいに、抜けなかった。
なぜなら、時期が、合ってしまうからだ。
ニアミスが止んだのは、夏の終わりから秋のどこか。
明日が視えなくなったのは、十月の頭。正確に一致するわけじゃない。
でも、近い。近すぎる。
あの奇妙な「ぎりぎり」の連続と、私の力は、同じ季節に、そろって消えた。
* * *
その夜、私は問題集を開く代わりに、ノートの新しいページを開いた。
覚えている限りの「ぎりぎり」を、書き出してみた。
一つ目。春の朝の、交差点。書きながら、あの瞬間が甦る。飛び出してきた自転車の、前かごの赤。会社員の革靴が、あと半歩、前に出かけていたこと。ブレーキの音はしなかった。自転車はまるで、最初からそこに人がいないと知っていたみたいな角度で、すっと逸れた。会社員は、イヤホンをしたまま、何も気づかずに改札へ歩いていった。気づいていないのは、彼だけじゃない。周りの誰も、立ち止まらなかった。世界中で私一人だけが、いま起きなかった事故を見ていた。
二つ目。駅の階段の、傘。あれは梅雨時だった。濡れた傘が手すりを滑って、先端から落ちて、一段、二段、と跳ねた。私は反射的に「危ない」と思った。夕方の駅の階段は、人で埋まっているのが普通だ。なのにあの日、あの数秒だけ、傘の通り道になった右端の一列は、きれいに空いていた。傘は誰の足にも触れず、踊り場の隅で止まった。ちょうど、人のいない段だけを選んで転がったみたいに。偶然にしては、きれいすぎる軌道だった。持ち主が駆け下りてきて、拾って、頭を下げて、それで終わりだった。
三つ目。工事現場の、資材。夏の初めの、放課後だった。金属の何かが、足場の高いところから落ちて、乾いた地面に刺さるみたいに立った。ガン、という音が、通りに響いた。作業員の人たちが駆け寄って、上を見上げて、何か怒鳴り合っていた。落下地点の周りには、ロープが張ってあった。でも私は見ていた。その数分前まで、ロープの内側を突っ切って歩く人が、何人もいたことを。落ちた瞬間だけ、誰もいなかったことを。
四つ目。渡り廊下の、照明カバー。これはもう、何度も思い出している。ガラスの砕ける音。飛び散る破片が、午後の光を反射した一瞬。数メートル先で笑い続けていた、後輩二人の背中。
四つ。日付は正確には思い出せないけれど、順番と、だいたいの季節は書ける。春、梅雨、夏の初め、夏休み前。書き出して、並べて、眺めた。並べてみて、初めて気づくことがあった。
四つとも、私が、その場にいた。
当たり前といえば、当たり前だ。私が見たものしか、私は数えられない。私のいない場所のぎりぎりなんて、知りようがない。でも、それにしたって――四回とも、あと数十センチ、あと二、三秒で誰かが大怪我をするような場面に、私はたまたま居合わせている。そんなに何度も、人は事故未然の現場に立ち会うものだろうか。
十七年間で四回なら、分かる。四ヶ月で四回は、多くないか。
そして、もうひとつ。
四つとも、怪我人は、出ていない。
自転車は逸れた。傘は誰もいない階段の端を滑り落ちた。資材の下には誰もいなかった。照明カバーは、二人が通り過ぎた「直後」に落ちた。四回とも、たった数秒、たった数十センチの差で、全員が無事だった。まるで――
まるで、何かが、ぎりぎりのところで手加減したみたいに。
ノートの上で、シャーペンが止まった。自分の書いた文字を、読み返す。馬鹿げている。何かって、何だ。手加減って、誰が。
でも、一度浮かんだ考えは、消えなかった。むしろ、書き出した四つの出来事が、紙の上で静かに繋がって、ひとつの形になろうとしているのが分かった。形になる前の、輪郭だけの予感。それは、視えていた頃に毎晩感じていた「明日が像を結ぶ直前」の感覚に、少しだけ似ていた。
* * *
翌日の昼休み、私はさりげなく、亜矢に聞いてみた。
「ねえ、変なこと聞くけど。最近、危ない目に遭ったりした? 車とぶつかりそうになったとか、何か落ちてきたとか」
「え、なに急に」
亜矢は箸を止めた。
「ないよ、別に。なんで?」
「ん、ちょっとね。……ちなみに、去年から今までで、あった?」
「去年? んー……あ、あった。ほら、この夏の渡り廊下の照明カバーが落ちてきたやつ。あれあたし、けっこう近くにいたんだよね。びっくりした」
それから亜矢は、思い出したように付け足した。
「あとさ、記録的な話でいいなら、うちの部に一人いるよ。あいつ、昔から妙に危ない目に遭うんだよね」
「……」
「同じクラスの、森田なんだけど。練習中にゴールポストに頭ぶつけるわ、飛んできたボールが顔面すれすれで逸れるわ、この前なんて部室の棚が倒れてきて、五センチ横に立ってたら潰されてたからね。マネージャーとして怪我記録つけてるんだけど、二学期から急に増えてて、ちょっと気になってたんだよね」
歩くん。
その名前が、いま、このタイミングで出てくるのか。私は箸を持ったまま、少しのあいだ、動けなかった。
「そう、それ。そういうの、最近ないなって」
「ないね、そういえば」
亜矢はあっさり言って、弁当の玉子焼きをつまんだ。
「まあ、ない方がいいじゃん、そんなの」
ない方がいい。その通りだ。世界は今、以前より安全になっている。誰もひやりとしない。誰も、ぎりぎりを渡らない。喜ぶべきことのはずなのに、私の胸の中では、その「安全」が、逆向きの意味を持ち始めていた。
あの頃、世界は、ぎりぎりだった。私の周りだけ、やたらと、ぎりぎりだった。
そして今、私の明日が閉じられたのと同じ時期から、世界は、ぴたりと穏やかになった。
家に帰って、私はもう一度ノートを開いた。四つの出来事の下に、余白を空けて、二つの日付を書いた。力が「世界まで」広がりきった時期。力が消えた日。そして、その間に挟まれた半年に、四つの丸をつけた。
ぎりぎりの半年は、力がいちばん強かった半年と、重なっていた。
これが偶然なら、偶然という言葉は、ずいぶん働き者だ。
シャーペンを置いて、私は椅子の背にもたれた。天井を見上げる。頭の中で、誰かの声がした。――気にしすぎだよ、たまたまでしょ。一年前の友達の声。あのときは、その言葉に頷けた。頷いて、忘れることができた。
今は、できない。
なぜなら私は、あれから、たまたまじゃないものを知ってしまったからだ。十二年間続いた力が、ある夜、前触れもなく消える。そんなことが起きる世界で、「たまたま」は、もう以前ほど信用できる言葉じゃない。
私の力と、あのぎりぎりの日々は、関係がある。
根拠はまだ、ノート一ページ分の走り書きしかない。でも、その直感だけは、妙にはっきりしていた。視えなくなってから、私は初めて、自分の頭で考えることを覚えた。分からないことを、分からないままにしないで、教科書まで戻って調べることを覚えた。だったら、これも同じだ。
私の十二年に、何が起きていたのか。あの半年に、何が起きていたのか。そして、あの夜、何が終わったのか。
答えのページは、どこにも印刷されていない。誰の明日にも、映っていない。
だから、調べる。自分で。
ノートの新しいページに、私は大きく、ひとつだけ問いを書いた。
――あの「ぎりぎり」は、誰に向かっていた?
書いてから、自分の書いた問いに、背中が少し冷たくなった。四つの場面を、もう一度思い出す。会社員。傘の下の通行人。資材の下の空白。後輩の二人。狙われたように見える人たちは、毎回、違う。共通点なんて、ない。
ただ一人、四回とも、必ずその場にいた人間を除いて。
私だ。
ノートを閉じて、電気を消して、布団に入った。眠れなかった。暗闇の中で、書いたばかりの問いが、ずっと点滅していた。
もし、あのぎりぎりが、私に向かっていたのだとしたら。あの半年、私は四回、何かに命を狙われて、四回とも、紙一重で外れたことになる。馬鹿げている。中学生や高校生が、誰かに命を狙われる理由なんてない。私は誰の恨みも買っていない。買うほどの関わりすら、誰とも持っていない。
でも――「誰か」じゃなかったとしたら?
自転車に、悪意はなかった。傘にも、資材にも、照明カバーにも。あれは全部、ただの物だ。ただの物が、ただの偶然で、あの半年だけ、私の周りに集中して落ちてきた。人の悪意なら、警察に行けばいい。物の偶然は、どこに行けばいいんだろう。
考えているうちに、もうひとつ、思い出したことがあった。
彼のことだ。
視えていた頃、彼の明日だけが、探さないと来なかった。他の全員は勝手に届くのに、彼だけは、真っ暗な水の底で、いつも輪郭が薄かった。あの「視えにくさ」と、この「ぎりぎりの半年」は、同じ世界で起きていた。関係があるのかないのか、分からない。分からないけれど、私の十七年に起きた「説明のつかないこと」を全部並べるなら、あれも、この表のどこかに書き込まれるべきことのはずだった。
私はもう一度電気をつけて、ノートを開いて、四つの出来事の下に、小さく書き足した。
――歩くんの明日だけ、視えにくかったのは、なぜ?
書いてから、眺めて、また消したくなった。彼の名前が、事故未然のリストと同じページにあるのが、嫌だったからだ。理屈じゃなかった。ただ、嫌だった。消しゴムに手が伸びかけて、止めた。嫌だから消す、をやっていたら、たぶん本当のことには一生たどり着けない。
消さないまま、ノートを閉じた。
調べることが、二つになった夜だった。

