歯を磨いて、スキンケアして、電気を消して、布団に入る。
それから目を閉じる前に、私はいつも同じことをする。
明日を、視る。
視る、というのは正確じゃないかもしれない。誰かに教わるでも、夢に出るでもない。ただ瞼の裏に、明日という日がもう編集済みの映像みたいに流れてくる。朝、母がトーストを焦がすこと。担任が今日も同じ色のネクタイを締めていること。数学の小テストの、大問三の答えが「x=7」であること。
全部、まだ起きていないのに、もう知っている。

はじめて「これは、他の人にはないものらしい」と気づいたのは、五歳の冬だった。夕方、公園から帰る途中、ふいに分かった。明日、私はいちばん大事にしていたものをなくす。ボタンが犬の顔の形をした、赤い手袋。
なくす、と分かっているのに、明日は手袋をつけずにいこうとは思わなかった。なくすと決まっているものは、なくすものなんだと、その時はただそう思っただけだった。そして、赤い手袋に「バイバイ」と言って眠った。
次の日、手袋は本当になくなった。いつどこでなくしたのか、私にも分からなかった。私は、
「知ってたよ、なくすって」
と母に言った。
母は、驚いた顔をしてから、少し呆れたように笑った。
「知ってたなら、もっと気をつければよかったよね」
母は私が、なくしたことを怒られたくないから、ごまかそうとしていると受け取ったようだった。
そもそも、気をつける、ということが、私にはよく分からなかった。分かっている結末は、気をつけても、気をつけなくても、同じように訪れる気がしたから。でも、それをうまく言葉にできなくて、私は呟いた。
「昨日の夜、手袋さんにちゃんとバイバイって言ったの」
俯く私を見て、母は少し不思議そうな顔をした。それから、静かな、探るような声で聞いた。
「みらい、本当になくすって分かってたの?」
答えられなかった。分かったから分かった、としか言いようがなかったから。
その時の母の顔を、私は今でもよく覚えている。困っているのに、少しだけ私を怖がっているような顔だった。
それから私は、視たことを口にするのをやめた。分かるということは、時々、人を怖がらせる。そう学んだのが五歳で、それ以来ずっと、分かっていることを、分かっていない顔で生きている。
*     *     *
五歳の冬から、十二年。私はいま、十七歳になっている。
はじめは自分のことしか視えなかった。中学に上がる頃には、隣のクラスの誰かの明日まで視えるようになっていて、高校に入る頃には、天気予報も、駅の遅延も、ニュースの見出しさえも、寝る前の数分でひととおり流れてくるようになった。世界中の明日が、私の布団の中だけに先回りして届く。

視えることと、使うことの境目は、いつの間にか消えていた。誰かを出し抜こうと思ったことは、一度もない。ただ、明日の授業で先生が黒板に書く問いに、もう答えを知っていて、当てられれば、知っている通りに答えただけ。小テストの範囲が、前の晩にちゃんと視えていて、視えた通りに解いただけ。友達が明日話す話題を、今日のうちに知っていて、話が来たときに、ちょうどいい相槌を打っただけ。悪いことをしている感覚は、どこにもなかった。ただ、少しだけ楽をしているだけだと思っていた。

喧嘩になりそうな空気には、近づかなかった。誰かが誰かに苛立ちをぶつける明日を視た日は、なんとなく理由をつけて、その場に居合わせないようにした。
誰かが恥をかく明日を視た日は、それとなく助け舟を出した。
宿題を忘れて叱られる子には、朝のうちに「今日、忘れ物チェックあるかもよ」と声をかけておいた。
逆に、誰かが喜ぶ明日を視た日は、その輪の中心に、さりげなく入っていった。
誰かが探し物をして困る明日を視ていれば、探される前に、その場所を教えてあげることができた。
誰かの好きな話題が出る明日を視ていれば、その話に、ちょうどいいタイミングで相槌を打つことができた。
明日を知っているだけで、人より少しだけ立ち回りがうまくなる。
揉め事が起きる場所には近づかない。誰かが困る日は、ほんの少しだけ先回りする。そういうことを繰り返しているうちに、いつの間にか私は「察しがいい子」と呼ばれるようになった。
優しいとも、頼りになるとも言われた。本当は違う。ただ、答えを知っていただけだ。
そうしているうちに、私は気づけば、クラスでいちばん物分かりのいい子になっていた。

テストは常に満点だった。
授業中に先生が投げる質問にも積極的に手を上げた。
――すごいね、望月さんは。
昔、担任にそう言われたことがある。
すごい、のところで、私はいつも少しだけ黙る。すごいのは私じゃなくて、私が写した答えのほうだ。テストの答案も、授業の内容も、友達との会話の間合いも、全部あらかじめ配られた正解を、もう一度なぞっているだけ。満点を取っても、驚く人はいても、驚く私はいない。だってもう、昨日の夜に視てしまっているから。

朝が来るたびに、今日はどんな日になるんだろう、と少し胸が動く。
たぶん、多くの人はそうやって朝を迎える。
私には、その感覚がない。
朝は確認の時間だった。昨夜視た出来事が、一つずつ予定どおりに並んでいく。それを眺めながら一日を終える。
明日は未来じゃない。私にとっては、もう一度読み返す一ページだった。
今日を生きながら、もう一度昨日を追いかけているような、薄い既視感の連続。
誰かが「明日が楽しみ」と言うとき、私はその言葉の意味が、正確には分からなかった。楽しみとは、知らないから生まれるものだ。知っている明日を、楽しみにすることは、できない。できないことに、特に悲しくもなかった。ただ、そういうものだと思っていた。

倦怠、という言葉を、国語の授業で習ったとき、私は少しだけ止まった。飽き飽きすること、張り合いのなさ、という意味だと先生は言った。倦怠感、と板書された字を見ながら、私は思った。これは、私の話をしている。十七年間、一度も体験したことのない張り合いを、十七年間失い続けていた、ということに、その授業で初めて気づいた。
気づいても、どうすることもできなかった。
来てしまうものを、来ないようにする方法を、私は知らなかった。

母がトーストを焦がす。案の定、焦げくさい匂いで目を覚ます。
「あーもう、また焦がしちゃった」
「知ってた」
そう言うと、母は決まって笑う。
私の力のことを、母がどこまで知っているのか、私には分からない。あの日以来、母は一度も、私に「どうして分かるの」と聞かなくなった。聞かないことを選んだのか、それとも本当に忘れてしまったのか。確かめたことはない。ただ、少なくとも誰も、私に何かを尋ねてはこない。知らないふりをする人たちに囲まれて、私は生きている。

制服のリボンを結び直しながら、教室に着く。今日も窓際から三列目、後ろから二番目の席。数学の小テストが配られる。大問三、証明の式を三行たどってから、x=7、と書く。答えを書くというより、記憶を清書している感覚に近い。鉛筆を置くのは、いつもクラスで一番早い。
「ミク、はやすぎ」
隣の席の亜矢が、笑いながら小声でささやく。私は「なんとなく分かった」と返す。なんとなく、というのは便利な言葉だ。本当のことを半分だけ隠して、残りの半分だけ差し出せる。

昼休み、友達が「昨日、駅前で偶然すごい人に会ってさ」と話し出す。私はその話を、もう昨夜のうちに知っている。誰に会って、何を話して、友達がどんな顔で笑ったかまで。それでも私は、初めて聞く顔を作る。「え、誰に?」目を丸くしてみせる。驚く演技は染みついている。心が動く演技も。友達は嬉しそうに続きを話す。私はその横で、もう終わっている物語を、もう一度、律儀に最後まで聞く。

放課後、誰かの誕生日を祝う相談が、こっそり始まっていた。今度の金曜、みんなでケーキを買って、帰りのホームルームの後に驚かせよう――計画は昨夜のうちに、もう全部視てしまっている。誰がケーキを買いに行くか、何色のろうそくを立てるか、「せーの」で電気を消すタイミングまで。
金曜日、放課後の教室。電気が消えて、扉が開いて、「おめでとう」の声が重なる。祝われる子は本当に驚いた顔をして、目に涙まで浮かべていた。まわりのみんなも、心から嬉しそうに手を叩いている。私も、拍手をする。拍手の仕方も、驚いた顔の作り方も、もう身についている。
驚けないのは、私だけだ。
教室が暗くなることも、「おめでとう」の声が重なることも、その子が泣きそうな顔で笑うことも、私は昨夜もう見てしまっている。
だから拍手をしながら、少しだけ置いていかれた気持ちになる。
この教室で今いちばん遅れているのは、みんなじゃない。
今日をもう一度生きている、私だった。
*     *     *
教室の後ろのほうで、誰かが笑う声がした。振り返ると、森田歩(もりたあゆむ)くんが椅子を斜めに傾けて、隣の席の子と何か話している。話したことは、たぶん数えるほどしかない。
ふと、思う。彼の明日を、視たことがあっただろうか。
考えてみて、少し戸惑う。世界中の明日が流れ込んでくる私の夜に、彼の顔だけが、はっきりと像を結んだ記憶がない。天気とニュースと、私に関する顔ぶれの中に、彼だけがいつも、輪郭の薄いまま紛れている。気のせいかもしれない。そう思うことにして、私はチャイムの音のほうへ顔を戻す。

放課後、誰もいない教室で、窓の外の雲を見る。視た通りの角度で、視た通りの速さで動いている。答え合わせのような毎日に、間違いはひとつもない。間違いがないということは、たぶん、正しく生きているということなんだと思っていた。
夜になって、また布団に入る。歯を磨いて、電気を消して、目を閉じる。
明日を、視る。
こうして毎晩、一日分の未知を、寝る前にすべて使い切ってしまう。
今日も、眠る前に明日を視終える。だから朝になっても、新しく知ることはほとんどない。
驚きも、期待も、少しだけ薄い。そんな毎日が当たり前になっていた。
当たり前というものは、ときどき一番やっかいだ。
その頃の私は、まだ知らなかった。