一年の教室は同じ階にあるけれど、一から三組、四から六組で方向が若干異なる。俺は二組、綾瀬は五組だ。だから、まっすぐ自分の教室へ向かった方が早いのに、綾瀬は当然のように俺の隣を歩き、そのまま二組の前までついてくる。
「じゃあ」
教室の入口で、綾瀬が言った。
「昼休み迎えに来るから、忘れないでね」
「うん……いつも言うけど、食堂で直接待ち合わせたらよくない?」
「いつもいうけど、フラフラ動き回るゆうを人が多い食堂で探す方が大変だもん」
「あーそうですか、わかったよ」
「授業中、寝たらだめだよ」
「寝ないって」
「本当に? 昨日、二時くらいまで起きてたでしょう」
「えっ、なんで知ってんの?」
「ゲームのステータスがオンラインになってたから」
「綾瀬って全然あのゲームやってないのに、そういうところは見てるのね」
まるで俺のオンライン状況を監視するためにインストールしているみたい。なんちゃって。あまり冗談っぽくならなさそうだったので、そんな言葉たちは喉の奥へしまっておくことにした。今度からステータス非表示にしようかな。考えていると、綾瀬が俺の肩に手を伸ばし、制服についていた糸くずを摘む。
「──うん。これで完璧」
そして、一歩下がって俺の全身を見ながら、そんなことを言う。俺も知らない、俺自身の完璧を、綾瀬は知っているらしい。
「それじゃあまたあとでね」
「うん、ばいばい」
言いながら手を振って、綾瀬はようやく五組のほうへ歩いていった。その背中が廊下の角を曲がるまで見届けてから、俺も教室に入る。
自分の席へ向かうと、前の席に座っていた友人の佐伯が、にやにやしながら振り返った。
「おはよー桂木」
「おはよう、佐伯」
「今日も彼氏に送ってもらったんだ?」
「綾瀬は彼氏じゃないよ」
「毎朝家まで迎えに来て教室まで送ってくれて、身だしなみを整えてくれる上に、昼休みも放課後も迎えに来るのに?」
「それは、幼馴染だから」
「幼馴染って、ネクタイまで結んでくれるもんなの?」
俺は思わず自分の首元を押さえた。その仕草を見て、佐伯の表情が固まる。
「……冗談で言ったんだけど、マジで結んでもらってんの?」
「今日だけ。いつもは自分で結んでるから、本当に。本当に今日だけ」
「お前……」
「引かないで。だいたい、俺は自分で結ぶって言ったのに、綾瀬が」
必死に反論をしようとしたら、なんだか綾瀬を責めるような口調になっていることに気がついて、途中でやめた。佐伯が呆れたようにため息を吐く。
「なー、やっぱり一条とお前って付き合ってんじゃないの? 俺にだけは教えてよ。他の誰にも言わないからさ」
「他の誰にも言わないって、誰が言っても信用ない言葉だから、やめた方がいいよ」
「はいはい。それで? 付き合ってないの?」
「付き合ってないよ」
「ほんとにー? 少なくとも、一条はの方は桂木のこと大好きですってオーラ出しまくってるけどなあ」
「まあ……それは、そうなんじゃない?」
答えると、佐伯が意外そうな顔をする。
「桂木には、好かれてる自覚があんの?」
「だって、嫌いな奴の世話をこんなに一生懸命焼かないだろ。綾瀬は俺のことが好きだよ」
幼馴染だし。心の中で付け足して、鞄からノートと筆箱を取り出す。そろそろ英語の課題がしたいのに、佐伯はまだ話し足りない様子だった。
「じゃあさあ、桂木くん」
「なに」
「どうして一条くんは、桂木くんに告白をしないんでしょうか」
「……告白?」
予想もしていなかった言葉が飛び出して、課題の準備を進めていた手がぴたりと止まる。
「一条はお前のことが好きなんだろ」
「うん、たぶん」
「なら、普通は付き合ってくださいとか言うんじゃない?」
「……そうかな?」
首を傾げながら、考える。
毎朝家まで迎えに来て、教室まで送って、お昼も一緒に食べて、放課後も予定がなければ一緒に帰る。休日には当たり前のようにどちらかの家へ行ったり、遊びに行ったりして、お互いの予定を把握していない瞬間がない。昔からずっと一緒。隣にいるのが当たり前。確かに、もしも綾瀬が俺のことを好きで、付き合いたいと思っているなら、今までにいくらでも気持ちを打ち明けるタイミングはあった。けれど、綾瀬にそんな様子はない。
「……綾瀬の好きは、そういう好きじゃないんじゃない?」
「あんなにべたべたしておいて? いくら幼馴染でも、友情で済ませるには一線超えてると思うけどなあ、俺は」
「じゃあ……なんでだろ」
「俺に聞いても答えはないよ、桂木くん」
「佐伯が言い出したんだろ」
「そうだけど。ていうか、一条は本当にお前のこと好きなの?」
「え、それは好きだろ」
「変なところで自信すごいな」
「だって、綾瀬は俺以外の面倒見ないし」
今までずっと隣で見てきたけれど、実際、綾瀬が他の誰かの寝癖を直しているところなんて見たことがない。忘れ物を気にすることもなければ、授業中に寝るなと釘を刺すこともない。綾瀬が世話を焼くのは、俺に対してだけだ。
「じゃあ、あれじゃない?」
佐伯が頬杖をつく。課題のノートがその下敷きになった。
「なに、あれって」
「桂木にムードを作り出す力がないから、告白したくてもできないんじゃない?」
「……ムード?」
「だってお前、告白されそうな雰囲気になってもぶち壊しそうじゃん。二人で夜景とか見てても「綺麗だね」って言葉より先に「今視界に収めている光熱費の合計っていくらくらいなんだろうな」とか言うタイプ」
否定ができない。なぜなら、その可能性が大いにあるからだ。返事に困っていると、佐伯が呆れたように笑う。
「まあ、もし本当に告白するつもりなら、一条もタイミングをうかがってるんじゃないの。幼馴染なら余計、失敗したら気まずいだろうし」
「なるほど……」
そんなのは、考えたこともなかった。あの、綾瀬が。昔から何でもできて、いつだって冷静で、困ったり慌てたりしているところなんか数えるほどしか見たことがない、一条綾瀬が。俺のことが好きで、告白をしたいのに、きっかけをつかめず困っている。
毎日迎えに来るのも、昼休みに会いに来るのも、放課後に一緒に帰るのも、休日家に来るのだって、すべては告白のタイミングを伺っているからだ。そう考えると、これまでの行動にも説明がつく。
悪いことをした。綾瀬は俺のために何だってやってくれるのに、俺は綾瀬のために何もできていない。今からでも何か、できることはないだろうか。
……そうか。
「……やべ、話しすぎた。桂木、そろそろホームルームが始ま」
「俺が、ムードを作ればいいのか」
「は?」
呟くと同時に教室の前方から担任が入ってきて、佐伯は慌てて前を向く。教卓から繰り広げられる朝の諸連絡の全てを聞き流して、俺はつい先ほど閃いたアイディアに夢中だった。
俺にムードを作る力がないせいで、綾瀬が告白をできずに困っている。となれば、俺にできることはたった一つだ。大切な幼馴染のために、一肌でも二肌でも脱いでやろう。


