幼馴染はおれのことが好きすぎる

 桂木優希は、俺の憧れだった。

 引っ込み思案で、臆病。人とは違う、普通じゃない。そんな言葉に怯え、何をするにも、他人と一緒がいい。それが、昔の俺。
 桂木優希は、俺が幼稚園児の頃に突如として現れた。初めて顔を合わせたのは、隣へ引っ越してきた、という挨拶をしに、母親と俺の家へやってきた時だ。虚空を見つめる大きな目。への字に曲がった口。話しかけられても微動だにしない表情。後から「あの時なんであんな態度だったの?」と聞いたら「綾瀬のお母さんの背が高かったから、一体俺が縦に何人並んだら勝てるんだろうと思って、目で数えてた」という答えが返ってきた。桂木優希は、昔からそういう男だ。
 例えば、水の中に物を落としてしまったら。俺は自分の服を汚してしまうこととか、その後両親へどう謝るかとか、そもそも水の中に何か変な生き物がいるかもしれないとか、いろいろなことを気にして飛び込めないタイプだけど、優希はまず飛び込んで物を拾ってから、自分の体が濡れたことに気がつくような性格だった。人とは違ってもかまわない。誰にどうみられても気にしない。すごい。俺には絶対に真似できない。そう思ううち、いつしか、優希のようになりたい、優希のように生きてみたい、という気持ちが生まれた。
 だから、幼稚園はもちろん小学校に上がっても、俺は優希のそばをついて離れなかった。どうすればいいか迷った時、そばに優希がいてくれる。臆病な俺とは違って、思うままに生きている優希を見ているだけで、不思議と自分もそういうふうになれているような気がして、心強かった。
 これからもずっと、優希のそばにいたい。俺には優希が必要だ。


「引越しするかもしれないんだって、おれ」

 そこかしこで蝉が鳴いている、やかましくて気持ちの悪い季節だった。いつも遊んでいる公園にある、怖くて登れない遊具のてっぺん。半分に割った棒アイスの片割れに齧り付きながら、優希が何でもなさそうに言った。俺はそれを、信じられないような気持ちで見上げている。

「……引越し?」
「そう。なんか、兄ちゃんが遠い学校受験するから、それにあわせるんだって」
「……学校は?」
「わかんない。転校かも」
「どこに?」
「わかんない」

 優希の顔が見たいのに、太陽が眩しくて邪魔だった。溶けた青い氷が、足元に落ちる。乾いた土が湿って、泥みたいな色になる。

「ゆう、いなくなっちゃうの?」

 自分がどんな声色で、この言葉を発したか覚えていない。甘い匂いに引き寄せられて、蟻たちがどこからともなく列を成す。

「わかんないよ、まだ」
「……ゆうは、新しい学校でもたくさん友達ができそうだよね」

 黒い粒が群がって、青色はたちまち見えなくなった。べったりと肌に染み込む汗が気持ち悪い。
 普通は。
 普通の友達はここで、離れても友達だよ、とか。そんな明るい言葉を言える。だけど、俺は。

「転校したら、俺のことなんかすぐに忘れちゃうんだ、きっと」

 俺はそんなこと、いえない。
 どすん。何かが落下して、危険を察知した蟻たちが、方々へ逃げていく。
 顔を上げると、先ほどまで遊具のてっぺんにいたはずの優希が、目の前にいた。大きな瞳には、驚く俺の顔が映っている。

「おれが、綾瀬のことを忘れるわけないじゃん」
「……本当に? 俺のこと、覚えていてくれる?」
「もちろん。だって、綾瀬はおれの一番だから」
「……いち、ばん」

 一番。繰り返す。一番。何度も、胸の中で。
 たった四文字。初めて知った言葉でもない。何なら、今までに何度だって口にしたことがある。けれど、どうして。
 どうして優希からもらう一番は、こんなにも嬉しいんだろう。

「……ありがとう、ゆう」

 今までに味わったことのない感情が、体の内側にじわじわと広がっていく。そうか、これだ。

「おれも、ゆうが一番だよ」

 俺が欲しかったのは、これなんだ。