幼馴染はおれのことが好きすぎる

 インターホンが鳴ったのは、家を出る予定時刻の五分前だった。

「優希ー。綾瀬くん来たよー」
「わかってる」

 続けて一階から聞こえてきた母親の声に返事をして、俺は履いている途中だった靴下を引っ張り上げると、ベッドの上に放り出していた鞄をつかんだ。別に寝坊をしたわけじゃないのに、俺の準備はいつも時間ギリギリになる。理由はあんまりわからない。

「行ってきます」
「はーい、気をつけてね」

 階段を駆け降り玄関へ行って、途中でリビングにいる母親へ声をかけると、つま先に靴を引っ掛けて扉を開ける。
 家の前には、すでに幼馴染の一条綾瀬が立っていた。無造作、のように見えてしっかりセットされた髪型。俺と同じ高校の制服をきっちり着込み、シャツはもちろんスボンにだってシワがなくて、革靴はピカピカに磨かれている。対する俺は、中途半端に履いた靴を引きずりながら、片手に鞄と、結ぶ時間を確保できなかったネクタイを握っていた。どうして朝の時点でこうも違うんだろう。

「おはよう、綾瀬」
「おはよ、ゆう」

 のんびりとした口調だった。綾瀬は俺の顔を見たあと、視線をゆっくり上へ移動させる。

「ゆう、ねぐせついてるよ」
「マジか。まあ、そのうち重力で直るだろ」
「いつもそう言うけど、直ってたことないよ」

 言いながら、綾瀬は俺の方へ手を伸ばし、頭のてっぺんを何度か撫でつける。

「ちょっと、自分で直すって」
「おれがやった方が早いもん。……はい、直ったよ」
「う……ありがとう」
「どういたしまして。今日の準備はきちんとした? 教科書とか、全部入ってる?」
「大丈夫、昨日の夜に確認した」
「えらいね、ゆうは」
「もう高校生なんだし、普通のことだろ」

 綾瀬の大きな手のひらに押さえ込まれ、寝癖はあっという間に姿を消したようだ。
 綾瀬は昔からこうだ。幼稚園の頃からずっとそばにいて、俺の寝癖を直すし、忘れ物を確認してくれるし、時間になれば迎えに来る。毎回一応抵抗みたいなことはしてみるけれど、俺も今さら本気で嫌がったりはしない。……恥ずかしいことに、変わりはないけど。
 感謝と情けなさが入り混じった気持ちでいると、綾瀬が俺の手、正確にはそこに握っていたものを指さす。

「ゆう、ネクタイも結べてないよ」
「ああ……忘れてた。学校着くまでにやる」
「貸して」
「できるって」
「ゆうがやると曲がるから」
「俺がやっても曲がらないよ」

 言いながら鞄を一度足元に置いて、ネクタイを首にかける。いつも通り結ぼうとして、何か違和感があるな、と思っていたら、表裏が逆だった。慌ててかけなおすと、今度は左右が逆だった。その様子を見た綾瀬がため息をついて、俺の手からネクタイを取り上げる。

「ゆうは一回こうなるともうだめだよ」
「待ってほんと、ネクタイくらい自分でできるから」
「はいはい。良い子だから、じっとして」
「良い子って、子供じゃないんだけど」
「知ってるよ。おれ、ゆうと同い年だもん」

 そう答えながら、綾瀬は俺の襟元にネクタイを通していく。顔を少し下げれば、屈んだ綾瀬のつむじが見えた。朝の光を受けた黒髪には、光の輪が浮かんでいる。多分この髪も、綾瀬の手で丁寧に管理をされているんだろう。今の俺みたいに。

「はい、できた」

 そんなことを考えていると、綾瀬が結び目を整え、一歩後ろに下がる。

「ありがとう、綾瀬」
「どういたしまして」
「綾瀬、シャンプーなに使ってる?」
「薬局で適当に買ってきたやつだけど……なに。ネクタイ結んでるときなんか一生懸命見てるなあと思ってたら、おれの髪が気になってたの?」
「うん。きれいだなと思って」
「……はあ。ゆうはほんと、自分の時間を生きてるよね」

 首を傾げると、綾瀬がふい、とわざとらしくそっぽを向く。その仕草が、昨日の夜に動画サイトで見かけた犬みたいで、少し可愛いと思った。