黒馬の予言を外すため、僕は食堂紹介動画の撮影日に、最も売れている皿を選んだ。
人気のない料理を酷評しても、売れないものへ追い打ちをかけるだけだ。食堂の人間を傷つければ、王子様廃業同盟の第一規則にも抵触する。
支持されているものを、味と値段だけで切る。
狙うのは食堂ではなく、僕の好感度だ。
理論上は、完璧だった。
昼休み前の食堂には、撮影用のテーブルが一つ用意されていた。中央には一番人気の〈ふわとろオムライス〉と、六月限定の〈レモンムース〉が二つずつ並んでいる。
久世副校長と小野寺のほかに、食堂の責任者らしい女性がカウンターの内側で見守っていた。僕はそちらへ毒を飛ばさないよう、皿だけを見る。
人ではなく商品を批評する。僕にも最低限の品位はある。発見されにくいだけで。
「今回は、生徒に人気の食堂メニューを、お二人の自然な言葉で紹介してください」
久世副校長が言った。
自然な言葉。
この学校は、罠へ同じ名前をつけすぎだ。
「率直な感想でよろしいんですよね」
「ええ。実際に食べて感じた魅力を伝えてもらえれば」
魅力がなかった場合の取扱説明はない。
撮影が始まり、僕はオムライスへスプーンを入れた。卵の中央は柔らかいが、端は冷めて薄い膜になっている。中の米は一部が固まり、甘いケチャップの味が先に立った。
隣では、黒馬が大きな一口を食べている。
「黒馬、どうですか?」
「うまい。俺はケチャップが甘い方が好き」
模範解答のようでいて、台本はない。こいつは本当にそう思っている。
僕はカメラへ向き直った。
「甘めがお好きな方には合うと思います。ただ、商品名の『ふわとろ』は中央部分に限られます。端の卵は冷めて固く、中の米は水分が均一ではありません。五百二十円なら、量より温度と食感をそろえてほしいです」
小野寺の持つ進行表が、わずかに下がった。
「白鳥君」
久世副校長が、穏やかな声で割って入る。
「少し表現を整えましょうか。一度、撮影を止めて――」
「どの部分が事実と違いましたか?」
「間違いということではありません。今回は食堂の魅力を紹介する企画ですから、受け取られ方も考える必要があります」
「でも、嘘は言ってないです」
黒馬がスプーンを置いた。
「俺は甘い方が好きだからうまいです。でも、端が固いのも、米が固まってるのも合ってます」
副校長は黒馬を見たあと、僕の前の皿へ視線を落とした。
「なるほど。好みの違いも含めて見せる、という形なら成立しますね。白鳥君、あくまで個人の感想だと分かる言い方でお願いします」
さらに小野寺へ向き直る。
「冒頭に注意書きを入れましょう。白鳥君の率直な評価へ、黒馬君が別の好みを示す。二人の違いが分かりやすくなります」
立て直しが速い。
撮影を止めるために上げた手で、そのまま新商品の包装紙を広げている。失言や失敗を消すのではなく、見出しへ変えて所有する。それが久世副校長のやり方らしい。
次はレモンムースだった。
透明なカップの上には、薄いレモンと白いクリームが飾られている。見た目だけなら、六月の湿気まで爽やかに解決しそうだった。
一口食べる。
「見た目はきれいです。ただ、ムースは甘さが強く、レモンの酸味が香りの後ろへ隠れています。底のクッキー生地は水分を吸って、さくさくというより湿った粉に近いです。二百八十円なら、量を少し減らしてでも土台の食感を残した方が、二度目を買いたくなると思います」
「俺はこれも好き」
黒馬は二口目を食べた。
「お前は甘ければ大抵好きだろ」
「うん。だから、白鳥の好みとは違う」
「今、それを言いました」
「じゃあ、両方入れればいい」
カメラの向こうで、小野寺の肩が小さく揺れた。
久世副校長は、もう止めなかった。
むしろ撮影が終わる頃には、僕の酷評をどこで区切れば最も見やすいか、小野寺へ具体的に確認していた。
失敗を隠すより、失敗へ題名をつけて売る。
僕たちが相手にしているのは、そういう大人だった。
◇
翌日、学校公式アカウントへ公開された動画の題名は、〈白王子の忖度なしレビュー〉だった。
僕が卵の端を持ち上げる場面には〈商品名に異議あり〉、ムースを食べた直後には〈二度目はあるのか?〉という字幕がついている。隣で食べ続ける黒馬には、〈黒王子、辛口にも動じず〉とあった。
動じないのではない。甘いものを食べて機嫌がいいだけだ。
公開後の昼休み、限定ムースの前には普段より長い列ができた。
「白王子が二度目は買わないって言った味、確認したくない?」
前に並ぶ一年生の会話が聞こえた。
批評は購買意欲を削るものだと思っていた。人間は、王子様が止めると書いた扉ほど開けたくなるらしい。僕の毒舌は、試食を促す呼び込みへ転職していた。
旧放送室の長机で、僕は同盟ノートへ結果を書き込んだ。
〈作戦二 食堂メニューを忖度なく評価する〉
〈結果 失敗〉
〈副作用 限定レモンムース、当日分完売〉
「売れた」
向かいの席で、黒馬が言った。
「見れば分かる」
「俺、言った」
「予言者の職へ転向しろ。王子様より迷惑が少ない」
コメントは、こちらの期待と逆方向へ伸びていた。
〈言い方はきついけど、どこが駄目か分かる〉
〈甘い方が好きなら合うって言ってるのは公平〉
〈黒王子の舌が白王子への安全装置になってる〉
最後の一文は意味が分からないので無視した。
「白鳥」
「何だ」
「これ、嫌われる作戦だった?」
「そのはずだった」
「また直す?」
「直すのは作戦だ。僕ではない」
言い切ったあと、少し前の自分なら出さなかった答えだと気づいた。
黒馬は何も指摘せず、ノートの失敗という文字を見た。
◇
変化があったのは、その二日後だった。
食堂のオムライスには、〈ケチャップ少なめも選べます〉という小さな札が増えていた。レモンムースの底の生地は、販売直前に入れる方式へ変えたらしい。
食堂の責任者が、僕たちへ試食用の小さなカップを差し出した。
「全部は変えられないけど、できるところだけね。甘い方が好きな子もいるから、ムースの味はこのまま」
「その方がいいと思います。僕一人の好みへ合わせる必要はありません」
「白鳥君の言い方は、ずいぶん容赦なかったけどね」
「否定はしません」
女性は呆れたように笑い、カウンターへ戻った。
放課後、僕たちはそのムースを旧放送室へ持ち込んだ。
底の生地は、今度は軽い音を立てて割れた。酸味の弱さは変わらないが、食感だけで前より最後まで食べやすい。
「前よりましだ」
「褒めてる?」
「最大限に」
黒馬は自分の分を食べ終えると、僕を見た。
「お前の悪口、何が駄目か分かるから役に立つ」
「悪口を褒めるな」
「褒めてない。白鳥は性格が悪い」
「知っている」
「でも、嫌いって言うだけじゃない。どこが駄目で、どうならいいか言う」
胸の内側で、何かが一拍遅れた。
本当は優しい、と言われるよりずっとましだった。
ここで「口は悪いけど、本当は優しい」とでも言われたら、僕は笑って受け流しただろう。それは僕を理解した言葉ではない。都合よく扱える善人へ修正するための、聞こえのいい誤植だ。
黒馬の言葉は、僕の毒をなかったことにしない。性格の悪さを白い布で包み、善人として返品もしない。
僕を美化せず、そのまま役に立つと言った。
胸の奥が落ち着かないのは、評価の精度が高すぎるせいだ。そういうことにしておく。
正確に見られるのは怖いはずなのに、黒馬に限っては、逃げるより先にもう少し聞きたいと思ってしまう。最悪だ。
「……お前の評価は、言い方が悪い」
「どこが駄目?」
「今すぐ改善するな。腹が立つ」
黒馬が笑った。
その顔を見ていると、僕まで口元が緩みそうになり、端末へ視線を落とした。
ちょうど、久世副校長から新しい企画書が届いていた。
〈次回オープンキャンパス生配信 黒王子と歩く校内案内〉
「黒馬。校内の順路は分かるのか」
「体育館からなら」
「正門から図書館は?」
黒馬は添付された校内図を開き、画面を九十度回した。
「一度、体育館へ行けば分かる」
「正門から図書館へ行くために、なぜ校舎の反対側を経由する」
「体育館を基準にすると、右と左が分かる」
「方角は体育館への敬意で決まらない」
黒馬は校内図を元の向きへ戻し、また首を傾げた。
次の生配信で、僕たちは人気ではなく、現在地を失うかもしれない。
人気のない料理を酷評しても、売れないものへ追い打ちをかけるだけだ。食堂の人間を傷つければ、王子様廃業同盟の第一規則にも抵触する。
支持されているものを、味と値段だけで切る。
狙うのは食堂ではなく、僕の好感度だ。
理論上は、完璧だった。
昼休み前の食堂には、撮影用のテーブルが一つ用意されていた。中央には一番人気の〈ふわとろオムライス〉と、六月限定の〈レモンムース〉が二つずつ並んでいる。
久世副校長と小野寺のほかに、食堂の責任者らしい女性がカウンターの内側で見守っていた。僕はそちらへ毒を飛ばさないよう、皿だけを見る。
人ではなく商品を批評する。僕にも最低限の品位はある。発見されにくいだけで。
「今回は、生徒に人気の食堂メニューを、お二人の自然な言葉で紹介してください」
久世副校長が言った。
自然な言葉。
この学校は、罠へ同じ名前をつけすぎだ。
「率直な感想でよろしいんですよね」
「ええ。実際に食べて感じた魅力を伝えてもらえれば」
魅力がなかった場合の取扱説明はない。
撮影が始まり、僕はオムライスへスプーンを入れた。卵の中央は柔らかいが、端は冷めて薄い膜になっている。中の米は一部が固まり、甘いケチャップの味が先に立った。
隣では、黒馬が大きな一口を食べている。
「黒馬、どうですか?」
「うまい。俺はケチャップが甘い方が好き」
模範解答のようでいて、台本はない。こいつは本当にそう思っている。
僕はカメラへ向き直った。
「甘めがお好きな方には合うと思います。ただ、商品名の『ふわとろ』は中央部分に限られます。端の卵は冷めて固く、中の米は水分が均一ではありません。五百二十円なら、量より温度と食感をそろえてほしいです」
小野寺の持つ進行表が、わずかに下がった。
「白鳥君」
久世副校長が、穏やかな声で割って入る。
「少し表現を整えましょうか。一度、撮影を止めて――」
「どの部分が事実と違いましたか?」
「間違いということではありません。今回は食堂の魅力を紹介する企画ですから、受け取られ方も考える必要があります」
「でも、嘘は言ってないです」
黒馬がスプーンを置いた。
「俺は甘い方が好きだからうまいです。でも、端が固いのも、米が固まってるのも合ってます」
副校長は黒馬を見たあと、僕の前の皿へ視線を落とした。
「なるほど。好みの違いも含めて見せる、という形なら成立しますね。白鳥君、あくまで個人の感想だと分かる言い方でお願いします」
さらに小野寺へ向き直る。
「冒頭に注意書きを入れましょう。白鳥君の率直な評価へ、黒馬君が別の好みを示す。二人の違いが分かりやすくなります」
立て直しが速い。
撮影を止めるために上げた手で、そのまま新商品の包装紙を広げている。失言や失敗を消すのではなく、見出しへ変えて所有する。それが久世副校長のやり方らしい。
次はレモンムースだった。
透明なカップの上には、薄いレモンと白いクリームが飾られている。見た目だけなら、六月の湿気まで爽やかに解決しそうだった。
一口食べる。
「見た目はきれいです。ただ、ムースは甘さが強く、レモンの酸味が香りの後ろへ隠れています。底のクッキー生地は水分を吸って、さくさくというより湿った粉に近いです。二百八十円なら、量を少し減らしてでも土台の食感を残した方が、二度目を買いたくなると思います」
「俺はこれも好き」
黒馬は二口目を食べた。
「お前は甘ければ大抵好きだろ」
「うん。だから、白鳥の好みとは違う」
「今、それを言いました」
「じゃあ、両方入れればいい」
カメラの向こうで、小野寺の肩が小さく揺れた。
久世副校長は、もう止めなかった。
むしろ撮影が終わる頃には、僕の酷評をどこで区切れば最も見やすいか、小野寺へ具体的に確認していた。
失敗を隠すより、失敗へ題名をつけて売る。
僕たちが相手にしているのは、そういう大人だった。
◇
翌日、学校公式アカウントへ公開された動画の題名は、〈白王子の忖度なしレビュー〉だった。
僕が卵の端を持ち上げる場面には〈商品名に異議あり〉、ムースを食べた直後には〈二度目はあるのか?〉という字幕がついている。隣で食べ続ける黒馬には、〈黒王子、辛口にも動じず〉とあった。
動じないのではない。甘いものを食べて機嫌がいいだけだ。
公開後の昼休み、限定ムースの前には普段より長い列ができた。
「白王子が二度目は買わないって言った味、確認したくない?」
前に並ぶ一年生の会話が聞こえた。
批評は購買意欲を削るものだと思っていた。人間は、王子様が止めると書いた扉ほど開けたくなるらしい。僕の毒舌は、試食を促す呼び込みへ転職していた。
旧放送室の長机で、僕は同盟ノートへ結果を書き込んだ。
〈作戦二 食堂メニューを忖度なく評価する〉
〈結果 失敗〉
〈副作用 限定レモンムース、当日分完売〉
「売れた」
向かいの席で、黒馬が言った。
「見れば分かる」
「俺、言った」
「予言者の職へ転向しろ。王子様より迷惑が少ない」
コメントは、こちらの期待と逆方向へ伸びていた。
〈言い方はきついけど、どこが駄目か分かる〉
〈甘い方が好きなら合うって言ってるのは公平〉
〈黒王子の舌が白王子への安全装置になってる〉
最後の一文は意味が分からないので無視した。
「白鳥」
「何だ」
「これ、嫌われる作戦だった?」
「そのはずだった」
「また直す?」
「直すのは作戦だ。僕ではない」
言い切ったあと、少し前の自分なら出さなかった答えだと気づいた。
黒馬は何も指摘せず、ノートの失敗という文字を見た。
◇
変化があったのは、その二日後だった。
食堂のオムライスには、〈ケチャップ少なめも選べます〉という小さな札が増えていた。レモンムースの底の生地は、販売直前に入れる方式へ変えたらしい。
食堂の責任者が、僕たちへ試食用の小さなカップを差し出した。
「全部は変えられないけど、できるところだけね。甘い方が好きな子もいるから、ムースの味はこのまま」
「その方がいいと思います。僕一人の好みへ合わせる必要はありません」
「白鳥君の言い方は、ずいぶん容赦なかったけどね」
「否定はしません」
女性は呆れたように笑い、カウンターへ戻った。
放課後、僕たちはそのムースを旧放送室へ持ち込んだ。
底の生地は、今度は軽い音を立てて割れた。酸味の弱さは変わらないが、食感だけで前より最後まで食べやすい。
「前よりましだ」
「褒めてる?」
「最大限に」
黒馬は自分の分を食べ終えると、僕を見た。
「お前の悪口、何が駄目か分かるから役に立つ」
「悪口を褒めるな」
「褒めてない。白鳥は性格が悪い」
「知っている」
「でも、嫌いって言うだけじゃない。どこが駄目で、どうならいいか言う」
胸の内側で、何かが一拍遅れた。
本当は優しい、と言われるよりずっとましだった。
ここで「口は悪いけど、本当は優しい」とでも言われたら、僕は笑って受け流しただろう。それは僕を理解した言葉ではない。都合よく扱える善人へ修正するための、聞こえのいい誤植だ。
黒馬の言葉は、僕の毒をなかったことにしない。性格の悪さを白い布で包み、善人として返品もしない。
僕を美化せず、そのまま役に立つと言った。
胸の奥が落ち着かないのは、評価の精度が高すぎるせいだ。そういうことにしておく。
正確に見られるのは怖いはずなのに、黒馬に限っては、逃げるより先にもう少し聞きたいと思ってしまう。最悪だ。
「……お前の評価は、言い方が悪い」
「どこが駄目?」
「今すぐ改善するな。腹が立つ」
黒馬が笑った。
その顔を見ていると、僕まで口元が緩みそうになり、端末へ視線を落とした。
ちょうど、久世副校長から新しい企画書が届いていた。
〈次回オープンキャンパス生配信 黒王子と歩く校内案内〉
「黒馬。校内の順路は分かるのか」
「体育館からなら」
「正門から図書館は?」
黒馬は添付された校内図を開き、画面を九十度回した。
「一度、体育館へ行けば分かる」
「正門から図書館へ行くために、なぜ校舎の反対側を経由する」
「体育館を基準にすると、右と左が分かる」
「方角は体育館への敬意で決まらない」
黒馬は校内図を元の向きへ戻し、また首を傾げた。
次の生配信で、僕たちは人気ではなく、現在地を失うかもしれない。



