共犯者になれ、と言われたわけではない。
黒馬はただ、二人で辞めればいいと言っただけだ。書類へ署名するのと同じくらい簡単な口調で。
「僕だけ辞退する」
僕が言うと、黒馬は椅子へ座ったまま首を傾げた。
「二人で辞めるんじゃないのか」
「まず白王子が消えれば、ダブルプリンスは成立しない。企画の看板を片方から折る」
「俺だけ残る」
「残される。そして副校長は、お前を『相棒を失っても仲間のために立つ孤高の黒王子』にする」
「俺、そんなこと言わない」
「言う必要はない。黙って立っていれば、周囲が勝手に意味をつける。さっき実演しただろ」
黒馬は、反論する代わりに今日の確定版台本を見た。
僕が辞退した場合も同じだ。学校への重圧に悩みながら身を引く繊細な白王子。二人の物語が終わっても、別々の物語へ切り分ければ商品は二つ残る。
退場まで見せ場にされるとは、王族も楽ではない。
「じゃあ、二人で同時に辞退する」
「同意書上はできる」
「なら、そうする」
「昨日できなかった二人が、今日なら急にできると思うのか」
黒馬が黙る。
「副校長は僕には期待と生徒の好意を、お前には部活を並べる。二人で広報室へ行けば、二人分の弱点を一つずつ押されるだけだ」
「それでも、嫌だって言えばいい」
「それができる人間なら、最初から王子様になっていない」
自分で言っておいて、ひどく情けない結論だった。
黒馬は僕を責めなかった。ただ、分からないものを確認する時の顔で聞いた。
「じゃあ、どうやって辞める」
「向こうから、僕たちには価値がないと思わせる」
僕は長机の上の台本を裏返した。
「二人の商品価値を、同時に落とす。僕は愛想を減らす。お前は分からないことを分かったふりせず、失敗も隠さない。王子様として扱いにくい二人になれば、学校の方から企画を畳む」
「俺は、今までと同じじゃないか」
「今までは僕が隣で、お前の失敗をそれらしい言葉に直していた。次はしない」
「白鳥は笑わない?」
「必要最低限にする。誰かへ失礼なことは言わない。ただし、好かれるための余分な一言も足さない」
黒馬は少し考えてから、うなずいた。
「人を困らせるのはなし」
「当然だ。第三者を巻き込めば、学校に被害者の席を与えるだけだからな」
「白鳥の今の話も、撮影で使わない」
僕は黒馬を見た。
こいつは僕の秘密を、武器にすれば一番早いと理解しているのかもしれない。それでも使わないと先に決めた。
「口約束では、お前が忘れる」
「手順は覚える」
「では、書く」
待機時に借りた鍵束の小さい鍵で、壁際の収納を開けた。中には古い配線と、未使用の大学ノートが数冊残っている。そのうち一冊を取り出し、表紙へ油性ペンで書いた。
〈王子様廃業同盟〉
「同盟なのか」
「共犯より健全だろ」
「廃業って、仕事に使う言葉じゃないのか」
「僕らは本人の知らない間に商品へ就職させられた。用法として正しい」
最初のページを開き、四つの規則を書いた。
1. 他人を傷つける作戦は禁止。
2. 相手の秘密を勝手に使わない。
3. 重要な作戦は必ず相談する。
4. どちらかが辞めると言ったら解散する。
黒馬は上から順に読み、四番で指を止めた。
「片方が続けたくても?」
「同盟は二人でするものだ。片方だけになった時点で成立しない」
「分かった」
今度の返事は、本当に意味を理解した音だった。
僕がページの下へ署名すると、黒馬も隣へ〈黒馬柾〉と書いた。僕の字より大きく、線に迷いがない。
広報室の同意書でも、僕たちの名前は隣に並んでいた。あちらは学校が用意した目的へ従う署名で、こちらは誰にも見せない目的を二人で選んだ署名だ。同じ二つの名前なのに、並んでいる意味がまるで違う。
誰かと規則を決めるのは、相手を管理することとは違う。僕が一方的に正解を用意するのではなく、黒馬の嫌なことも、辞める権利も、同じ紙の上に置かれている。
たったそれだけのことが、妙に気分を高揚させた。
僕の本性を知る人間が増えたのではない。
僕と同じ秘密を守る人間が、一人できた。
ノートは旧放送室の鍵付き収納、その最下段へ入れた。待機時に借りる鍵束の小さい鍵で扉を施錠する。
「ここ以外へ持ち出さない」
「それも規則に書く?」
「保管場所だ。規則を増やすと、守るより読む方が面倒になる」
黒馬がうなずいた時、厚い扉が二度ノックされた。
「白鳥先輩、黒馬先輩。確認用の映像ができました」
小野寺の声だった。
僕は収納の鍵を鍵束へ戻し、表情を外向きの位置へ戻した。
黒馬だけが、その変化を黙って見ていた。
◇
最初の作戦を実行する機会は、二日後に来た。
初回動画へ加える短いインタビュー撮影だった。中庭のベンチの前にカメラが置かれ、久世副校長と小野寺が立っている。
「今回は、台本を意識しすぎず、お二人の自然な受け答えを見せてください」
自然という名の罠が、また口を開けた。
「白鳥君、学校で一番好きな時間は?」
「放課後です」
「理由もお願いできますか」
「帰れるので」
笑顔は足さなかった。声も必要以上に柔らかくしない。
小野寺がカメラ越しに一度瞬き、久世副校長は穏やかな表情のまま続けた。
「率直ですね。では黒馬君、白鳥君の言葉を受けて、話を膨らませてもらえますか」
黒馬が首を傾げた。
「何を足すんですか」
「たとえば、放課後も部活動や委員会など、学校生活にはさまざまな魅力があるという形で」
「それは俺の答えですか。白鳥の答えを直すんですか」
「直すということではなく、二人の会話として自然につないでください」
「分かりません」
黒馬はカメラの前で、はっきり言った。
以前なら、僕が横から適当な橋を架けただろう。だが今日は黙った。
沈黙が五秒続く。
「一度止めましょうか」
小野寺が尋ねると、黒馬は首を振った。
「今、分からなくて止まったので、そこも残してください。失敗を隠さない方が自然です」
久世副校長の視線が、僕と黒馬の間を往復した。
「なるほど。それも一つの見せ方ですね」
立て直しが速い。さすが、転倒した企画へ車輪をつけて走らせる職業である。
次の質問は、互いの印象だった。
「黒馬君から見た白鳥君の意外な一面は?」
黒馬は僕を見た。
一瞬だけ、旧放送室の低い声を思い出した。だが黒馬はカメラへ向き直る。
「秘密なので言いません」
「では、公開できる範囲で何か」
「まだ三日くらいしか話してないので、よく知りません」
今度は僕が、笑いそうになるのを堪えた。
作戦は順調だった。
この時点では。
◇
公開された動画の題名は、〈完璧じゃないダブルプリンス〉だった。
僕の「帰れるので」には〈白王子、今日は省エネモード〉という字幕がつき、黒馬が「分かりません」と止まった場面には、疑問符が三つ飛んでいた。僕たちが隠さなかった不都合は、親しみやすさという包装紙に包まれている。
旧放送室の長机へ僕の端末を置き、黒馬と向かい合ってコメント欄を見た。
〈白王子、放課後が好きなの普通の高校生で安心する〉
〈分からないってちゃんと言う黒王子、むしろ信頼できる〉
〈まだ友達じゃない二人が、これから仲良くなるところを見たい〉
最後の一文で、胃の奥が冷えた。
関係がないことまで、これから始まる物語へ変えられている。
黒馬が画面を指した。
〈白王子が営業時間外で、黒王子が説明書に質問してるみたいでかわいい〉
「説明書に質問はできない」
「否定する場所はそこなのか」
黒馬の口元が緩み、やがて声を立てて笑った。撮影中には求められた通りに笑えなかった男が、カメラのない場所ではずいぶん簡単に笑う。
僕も耐えきれず、短く笑った。鏡で角度を確かめる暇も、相手の反応を計算する必要もなかった。
同じ画面の、同じ一文を見て笑ったのは、僕たちだけだった。コメントを書いた人間は、まさか王子様本人たちに比喩の精度を採点されているとは思わないだろう。
笑いが収まる前に、端末へ通知が重なった。
学校公式アカウントのフォロワー数は、公開前より四百人以上増えている。続いて届いた久世副校長からの連絡には、今回の反響を受け、文化祭まで週一回の短編動画、昼休みのミニ企画、月一回の生配信を追加すると書かれていた。
昨日まで空白だった予定表が、王子様で埋められていく。
人気を落とすために笑わず、失敗を見せた。
その結果、完璧ではない二人という新商品が完成した。
僕たちは廃業するどころか、増産されている。
黒馬はただ、二人で辞めればいいと言っただけだ。書類へ署名するのと同じくらい簡単な口調で。
「僕だけ辞退する」
僕が言うと、黒馬は椅子へ座ったまま首を傾げた。
「二人で辞めるんじゃないのか」
「まず白王子が消えれば、ダブルプリンスは成立しない。企画の看板を片方から折る」
「俺だけ残る」
「残される。そして副校長は、お前を『相棒を失っても仲間のために立つ孤高の黒王子』にする」
「俺、そんなこと言わない」
「言う必要はない。黙って立っていれば、周囲が勝手に意味をつける。さっき実演しただろ」
黒馬は、反論する代わりに今日の確定版台本を見た。
僕が辞退した場合も同じだ。学校への重圧に悩みながら身を引く繊細な白王子。二人の物語が終わっても、別々の物語へ切り分ければ商品は二つ残る。
退場まで見せ場にされるとは、王族も楽ではない。
「じゃあ、二人で同時に辞退する」
「同意書上はできる」
「なら、そうする」
「昨日できなかった二人が、今日なら急にできると思うのか」
黒馬が黙る。
「副校長は僕には期待と生徒の好意を、お前には部活を並べる。二人で広報室へ行けば、二人分の弱点を一つずつ押されるだけだ」
「それでも、嫌だって言えばいい」
「それができる人間なら、最初から王子様になっていない」
自分で言っておいて、ひどく情けない結論だった。
黒馬は僕を責めなかった。ただ、分からないものを確認する時の顔で聞いた。
「じゃあ、どうやって辞める」
「向こうから、僕たちには価値がないと思わせる」
僕は長机の上の台本を裏返した。
「二人の商品価値を、同時に落とす。僕は愛想を減らす。お前は分からないことを分かったふりせず、失敗も隠さない。王子様として扱いにくい二人になれば、学校の方から企画を畳む」
「俺は、今までと同じじゃないか」
「今までは僕が隣で、お前の失敗をそれらしい言葉に直していた。次はしない」
「白鳥は笑わない?」
「必要最低限にする。誰かへ失礼なことは言わない。ただし、好かれるための余分な一言も足さない」
黒馬は少し考えてから、うなずいた。
「人を困らせるのはなし」
「当然だ。第三者を巻き込めば、学校に被害者の席を与えるだけだからな」
「白鳥の今の話も、撮影で使わない」
僕は黒馬を見た。
こいつは僕の秘密を、武器にすれば一番早いと理解しているのかもしれない。それでも使わないと先に決めた。
「口約束では、お前が忘れる」
「手順は覚える」
「では、書く」
待機時に借りた鍵束の小さい鍵で、壁際の収納を開けた。中には古い配線と、未使用の大学ノートが数冊残っている。そのうち一冊を取り出し、表紙へ油性ペンで書いた。
〈王子様廃業同盟〉
「同盟なのか」
「共犯より健全だろ」
「廃業って、仕事に使う言葉じゃないのか」
「僕らは本人の知らない間に商品へ就職させられた。用法として正しい」
最初のページを開き、四つの規則を書いた。
1. 他人を傷つける作戦は禁止。
2. 相手の秘密を勝手に使わない。
3. 重要な作戦は必ず相談する。
4. どちらかが辞めると言ったら解散する。
黒馬は上から順に読み、四番で指を止めた。
「片方が続けたくても?」
「同盟は二人でするものだ。片方だけになった時点で成立しない」
「分かった」
今度の返事は、本当に意味を理解した音だった。
僕がページの下へ署名すると、黒馬も隣へ〈黒馬柾〉と書いた。僕の字より大きく、線に迷いがない。
広報室の同意書でも、僕たちの名前は隣に並んでいた。あちらは学校が用意した目的へ従う署名で、こちらは誰にも見せない目的を二人で選んだ署名だ。同じ二つの名前なのに、並んでいる意味がまるで違う。
誰かと規則を決めるのは、相手を管理することとは違う。僕が一方的に正解を用意するのではなく、黒馬の嫌なことも、辞める権利も、同じ紙の上に置かれている。
たったそれだけのことが、妙に気分を高揚させた。
僕の本性を知る人間が増えたのではない。
僕と同じ秘密を守る人間が、一人できた。
ノートは旧放送室の鍵付き収納、その最下段へ入れた。待機時に借りる鍵束の小さい鍵で扉を施錠する。
「ここ以外へ持ち出さない」
「それも規則に書く?」
「保管場所だ。規則を増やすと、守るより読む方が面倒になる」
黒馬がうなずいた時、厚い扉が二度ノックされた。
「白鳥先輩、黒馬先輩。確認用の映像ができました」
小野寺の声だった。
僕は収納の鍵を鍵束へ戻し、表情を外向きの位置へ戻した。
黒馬だけが、その変化を黙って見ていた。
◇
最初の作戦を実行する機会は、二日後に来た。
初回動画へ加える短いインタビュー撮影だった。中庭のベンチの前にカメラが置かれ、久世副校長と小野寺が立っている。
「今回は、台本を意識しすぎず、お二人の自然な受け答えを見せてください」
自然という名の罠が、また口を開けた。
「白鳥君、学校で一番好きな時間は?」
「放課後です」
「理由もお願いできますか」
「帰れるので」
笑顔は足さなかった。声も必要以上に柔らかくしない。
小野寺がカメラ越しに一度瞬き、久世副校長は穏やかな表情のまま続けた。
「率直ですね。では黒馬君、白鳥君の言葉を受けて、話を膨らませてもらえますか」
黒馬が首を傾げた。
「何を足すんですか」
「たとえば、放課後も部活動や委員会など、学校生活にはさまざまな魅力があるという形で」
「それは俺の答えですか。白鳥の答えを直すんですか」
「直すということではなく、二人の会話として自然につないでください」
「分かりません」
黒馬はカメラの前で、はっきり言った。
以前なら、僕が横から適当な橋を架けただろう。だが今日は黙った。
沈黙が五秒続く。
「一度止めましょうか」
小野寺が尋ねると、黒馬は首を振った。
「今、分からなくて止まったので、そこも残してください。失敗を隠さない方が自然です」
久世副校長の視線が、僕と黒馬の間を往復した。
「なるほど。それも一つの見せ方ですね」
立て直しが速い。さすが、転倒した企画へ車輪をつけて走らせる職業である。
次の質問は、互いの印象だった。
「黒馬君から見た白鳥君の意外な一面は?」
黒馬は僕を見た。
一瞬だけ、旧放送室の低い声を思い出した。だが黒馬はカメラへ向き直る。
「秘密なので言いません」
「では、公開できる範囲で何か」
「まだ三日くらいしか話してないので、よく知りません」
今度は僕が、笑いそうになるのを堪えた。
作戦は順調だった。
この時点では。
◇
公開された動画の題名は、〈完璧じゃないダブルプリンス〉だった。
僕の「帰れるので」には〈白王子、今日は省エネモード〉という字幕がつき、黒馬が「分かりません」と止まった場面には、疑問符が三つ飛んでいた。僕たちが隠さなかった不都合は、親しみやすさという包装紙に包まれている。
旧放送室の長机へ僕の端末を置き、黒馬と向かい合ってコメント欄を見た。
〈白王子、放課後が好きなの普通の高校生で安心する〉
〈分からないってちゃんと言う黒王子、むしろ信頼できる〉
〈まだ友達じゃない二人が、これから仲良くなるところを見たい〉
最後の一文で、胃の奥が冷えた。
関係がないことまで、これから始まる物語へ変えられている。
黒馬が画面を指した。
〈白王子が営業時間外で、黒王子が説明書に質問してるみたいでかわいい〉
「説明書に質問はできない」
「否定する場所はそこなのか」
黒馬の口元が緩み、やがて声を立てて笑った。撮影中には求められた通りに笑えなかった男が、カメラのない場所ではずいぶん簡単に笑う。
僕も耐えきれず、短く笑った。鏡で角度を確かめる暇も、相手の反応を計算する必要もなかった。
同じ画面の、同じ一文を見て笑ったのは、僕たちだけだった。コメントを書いた人間は、まさか王子様本人たちに比喩の精度を採点されているとは思わないだろう。
笑いが収まる前に、端末へ通知が重なった。
学校公式アカウントのフォロワー数は、公開前より四百人以上増えている。続いて届いた久世副校長からの連絡には、今回の反響を受け、文化祭まで週一回の短編動画、昼休みのミニ企画、月一回の生配信を追加すると書かれていた。
昨日まで空白だった予定表が、王子様で埋められていく。
人気を落とすために笑わず、失敗を見せた。
その結果、完璧ではない二人という新商品が完成した。
僕たちは廃業するどころか、増産されている。



