王子様たちの憂鬱

初回撮影は、翌日の放課後、中央階段前の吹き抜けで行われた。

制服姿の僕と黒馬の前に、床へ二本のテープが貼られている。白い印が僕、黒い印が黒馬。名字から役割、立ち位置まで色分けしてもらわなければ成立しない王子様とは、ずいぶん安価な身分だった。

「本日は、学校生活の魅力をお二人の言葉で紹介してもらいます」

久世副校長が笑顔で言った。

小野寺はカメラの横で進行表を抱え、広報担当の教員が照明を確認している。昨日は仮台本だった紙が、今日は「確定版」と書かれたものへ変わっていた。

黒馬は二枚を見比べた。

「昨日は『正反対の二人』で、今日は『互いを認め合う相棒』になってます」

「企画の方向性を、より分かりやすく整理しました」

「俺と白鳥、相棒なんですか」

「現時点の親密さを断定するというより、これから関係を築いていく二人として見せたい、という意味です」

副校長の説明は、答えに見える形で質問の周囲を一周した。

黒馬は首を傾げたまま、昨日の仮台本と今日の確定版を重ね、二つ折りにして透明なファイルへ入れた。

「分かりました」

絶対に分かっていない顔だった。

もっとも、僕は分かっている顔を作るのが仕事なので、他人のことは言えない。

最初の台詞は僕からだった。

「麗峰学園では、一人一人の個性を尊重し、互いに支え合える環境を大切にしています」

声の高さ、視線、間。全部、指定どおりに収める。

「続いて黒馬君、白鳥君の言葉を受けて、半歩前へ。少しワイルドにお願いします」

黒馬が半歩前へ出た。大股だったため、黒い印を越え、カメラのすぐ手前まで来た。

「すみません、もう少し小さくて大丈夫です」

「半歩って、何センチですか」

「そこまで厳密でなくて構いません。白鳥君を立てるような気持ちで、一歩引いてもらえれば」

黒馬は僕を見たあと、本当に一歩後ろへ下がった。

広報担当の教員が吹き出し、小野寺が進行表で口元を隠す。

「なるほど。黒馬君らしいですね」

副校長は一拍で笑顔を立て直した。

「その飾らない反応も、君の魅力です。今のワイルドなアドリブを少し残しましょう」

アドリブではない。説明を額面どおり受け取り、額面どおり失敗しただけだ。

だが周囲は、失敗に意味をつける準備ができていた。大柄な男が無言で下がれば、白王子を引き立てる黒王子の余裕になる。本人の理解は不要らしい。

撮影を再開した。

僕が同じ台詞を同じ速度で言い直す。黒馬は今度こそ指定の位置へ入り、僕の左側で止まった。具体的な場所を一度示されると、その後は撮り直しても靴先を同じ位置へ戻した。曖昧な指示には弱いが、距離と手順の記憶は正確らしい。

「黒馬君、本校で得た一番大切なものは何ですか」

台本上の答えは、〈仲間と高め合う時間です〉だった。

黒馬は黙った。

三秒。四秒。

カメラの横で、広報担当の教員が小さく手を回す。早く言え、の合図だ。

「黒馬?」

僕が自然な呼びかけに見える声で促すと、黒馬は僕を見た。

「一番は決めてません」

「……そうなんですね」

「部活は大事です。でも授業もあるし、まだ二年なので」

台本を土葬する回答だった。

久世副校長が止める前に、僕は笑顔のまま続けた。

「一つに決められないほど、得られるものが多いということですね」

「それなら、そうです」

「昨日も、黒馬君には展示パネルを支えていただきました。違う得意分野を持つ人同士だからこそ、補えることもあると思います」

黒馬は少し考えたあと、うなずいた。

「白鳥が人を動かしたから、俺も戻せた。俺一人だと、押さえたままで終わってた」

それは台本よりずっと正確で、困ったことに、聞こえもよかった。

「はい、そこまで。とても自然でした」

副校長の声に、撮影スタッフが安堵した。

自然だったのは、僕が死にかけた台本を蘇生し、黒馬が事実だけを述べたからだ。学校の教育方針は一切関係ない。

最後は、昨日確認した肩へ手を置く場面だった。

黒馬は右手を上げる前に、僕へ顔を寄せるでもなく聞いた。

「白鳥。左肩、触っていい?」

「どうぞ」

大きな手が、制服越しに左肩へ置かれた。昨日と同じ場所、同じ力加減だった。僕を引き寄せず、ただ決められた位置へ止まっている。

「二人とも、顔を見合わせてください」

僕は黒馬を見上げ、最適な角度で笑った。

黒馬は笑わなかった。

ただ、次の指示を待つように僕を見ていた。

「いいですね、その間。黒馬君の余裕が出ています」

広報担当の教員が満足そうに言う。

「次に何をするか待ってました」

黒馬が答えると、また笑いが起きた。

冗談だと思われている。

僕だけが、こいつは本気で言っているのではないかと疑い始めていた。



撮影素材の確認用データができるまで、僕たちは特別棟三階の旧放送室で待つことになった。

今後も撮影前後の待機や打ち合わせに使っていい、と副校長は言った。扉は厚く、閉めると廊下の声がほとんど聞こえない。室内には古いミキサー、小さな長机、向かい合わせに置かれた二脚の椅子、壁際には鍵付きの収納がある。常設のカメラは見当たらない。

学校にも、撮らない場所を残す程度の理性はあるらしい。

小野寺にナレーション部分の確認を頼まれ、僕は一度廊下へ出た。戻ると、椅子は二脚とも空いていた。黒馬の姿もない。部活へ行ったのだろう。

僕は重い扉を閉め、長机へ確定版の台本を置いた。

「生徒の自然な姿を、秒数どおりに撮影か」

防音を確かめるように、普段より低い声が出た。

「死体に頬紅を塗って健康的だと言い張る方が、まだ慎みがある。副校長の脳内では、盆栽も野生植物なんだろうな」

誰もいない場所でまで笑う必要はない。

「ダブルプリンス。名字が白鳥と黒馬だから白黒に分ける発想が、幼稚園の名札以下だ。あげく『白鳥を立てて』で本当に一歩下がった人間を、ワイルドなアドリブ扱い」

僕は台本の端を指で弾いた。

「あいつは黙って深く考えているんじゃない。本当に何も考えていないだけだ」

「そこは合ってる」

長机の向こうから、声がした。

僕の心臓が、一度だけ大きく鳴った。

黒馬が床から立ち上がる。手には、机の下へ落ちたらしい昨日の仮台本があった。

「……いつからいた?」

「最初から。紙が下に入った」

社会的な死は、もっと大きな音を立てるものだと思っていた。

以前にも一度、こういう声を他人に聞かれたことがある。翌日には、僕の知らない人間まで知っていた。信頼は、秘密より伝播速度が遅い。

僕は表情を整えた。

「今のは、撮影で少し気が立って――」

「その話し方、学校の白鳥だ」

修復用の言葉を、途中で切られた。

黒馬は仮台本の埃を払うと、今日の紙と一緒にファイルへ戻した。

「学校で話す時より、今の方が何を言いたいか分かる」

「僕がお前を何も考えていないと評したことまで、分かりやすくて結構だと?」

「うん」

「怒らないのか」

「白鳥、性格悪いんだなとは思った」

胸の奥で、古い警報が鳴る。

黒馬は僕から目を逸らさず、続けた。

「でも、何が嫌だったかは分かった。学校で笑ってる時は分からなかった」

本当は優しい、でもない。誤解だ、でもない。

性格が悪いと認識した上で、話を続けている。

「お前は、本当に何も考えていないのか」

「言われてない意味は、あまり考えない」

黒馬は椅子へ座った。

「黙ってると、余裕があるとか、考えが深いとか言われる。でも、返すことがないか、意味が分からないだけ。訂正するのも面倒だから、そのままにしてた」

「今日の撮影も?」

「『白鳥を立てる』は、立つ場所の話だと思った。『自然に』って言われたから、一番大切なものは決めてないって答えた」

「普通は、求められている答えを推測する」

「それで違ったら、また違うって言われる。最初から言ってくれた方が早い」

理屈だけなら、間違ってはいない。

ただ、人間社会は間違っていないだけでは運用できない。曖昧さと社交辞令と、言わなくても分かれという怠慢で構築されている。

「黒王子の余裕も豪快さも、全部、周りが勝手につけた意味か」

「全部ではない。体が大きいのと、バスケは得意」

「そこだけは自己評価が正確だな」

「白鳥の笑顔も、周りが勝手につけた意味?」

今度は僕が黙る番だった。

黒馬は答えを補わない。ただ待っている。

「……あれも僕だ。必要だから、そうしている」

「今の白鳥も?」

「残念ながら」

「じゃあ、今の方が分かりやすい」

不気味だった。

僕は何年もかけて、本音を知られた時に最も起こりにくい反応を計算してきた。拒絶、失望、噂、距離。そのどれでもないものを、黒馬は平然と差し出している。

「黒馬は、この企画を続けたいのか」

「部のことを紹介できるのはいい。でも、俺と白鳥が相棒だとか、俺が余裕あるとか、勝手に決められるのは嫌だ」

「昨日は、撮影は面倒なだけだと言っていただろ」

「今日、やってみて嫌になった」

黒馬はそれを、天気が変わった程度の口調で言った。

「白鳥は?」

「見れば分かるだろ」

「分からない。言って」

逃げ道を塞ぐための言葉ではない。ただ、書かれていない答えを足さないための要求だった。

僕は笑わずに答えた。

「嫌だ」

「俺も嫌だ」

二人分の拒否が、防音された部屋へ落ちた。

黒馬は少し考え、実に簡単な結論へたどり着いた。

「じゃあ、二人で辞めればいい」

馬鹿げている。

一人で断れないものが、二人なら断れるという保証はない。副校長は好意も期待も部活も、必要なだけ並べ直すだろう。

それでも、僕一人では管理できなくなった物語を終わらせるには、同じ画面に閉じ込められたもう一人が必要なのかもしれない。

僕の本性を聞いて、最初に背を向けなかった人間が、よりにもよって、言葉の裏を一つも読めない黒馬柾だった。

そしてそいつは今、僕に共犯者になれと言っている。