王子様たちの憂鬱

鏡の前で黒馬へ「決めない」と答えてから、ほどなくして、僕たちは文化祭ステージの袖に並んでいた。

学校が用意した王子衣装は、本人が着やすいかより、照明の下でどう映るかを優先した形だ。六月からずっと、僕たちの都合は画角の外に置かれてきた。

正面の大型モニターには、学校公式配信の待機画面が映っている。全国スクールPR動画コンテストの最終収録も兼ねているため、客席には在校生だけでなく、保護者や受験希望者らしい姿もあった。

「白鳥先輩、黒馬先輩」

操作卓から来た小野寺が、端末を僕たちへ向けた。

コンテスト事務局からの返信には、申告資料を受領したこと、応募作品の審査を保留し、事実関係の確認を開始することが記されていた。学校法人のコンプライアンス窓口からも、受付番号が届いている。

失格でも、処分でもない。
ただ、昨日までに送った資料は、もう久世副校長の机の中だけで処理できるものではなくなった。

「比較映像は、放送部の正式な保管データから作っています。元データは別に残しています」

「ありがとうございます。小野寺さんは、聞かれたことだけ答えてください」

「はい」

小野寺はうなずき、操作卓へ戻った。

黒馬は舞台を見たまま聞いた。

「白鳥、今から変えることある?」

「ない。質問の順番も、出す資料も、昨日決めたとおりだ。予定にない答えが出たら、お前が分からないことを聞け。僕が補う」

「白鳥が先に答えを決めない?」

「決めない。お前の質問を待つ」

舞台上で司会の声が響いた。

「それでは、麗峰学園文化祭特別ステージ、『二人の王子、感動の仲直り』です!」

拍手と歓声が起きた。
人は内容を知らなくても、照明が点けば拍手できる。

僕たちは並んで舞台へ出た。

照明を正面から受けた瞬間、客席は暗くなり、赤いカメラランプだけが目についた。以前なら、その点に合わせて笑顔を整えただろう。今日は、どう映るかではなく、何を渡さないかだけを決めている。



序盤は、台本どおりに進んだ。

倒れかけた展示パネル、食堂でのレビュー、校内案内、体育館での撮影、台本なしの生配信。最後に、僕が「僕たちは友達ですらない」と言った映像が流れる。

〈すれ違った二人は、もう一度向き合えるのか〉

学校は疑問形が好きだ。答えを用意している時ほど、選ばせるふりをする。

司会を務める三年生の女子生徒が、僕へマイクを向けた。

「白鳥君。先日の配信では、黒馬君との関係について厳しい言葉がありました。今日、この場で伝えたいことがあるんですよね」

台本では、ここで僕が謝罪する。
黒馬が十秒黙って僕を見つめ、握手を受け入れ、最後は肩を抱いて「これからも一緒」と言う。

僕はマイクを持ち直した。

「あの配信で僕がしたことについては、黒馬本人へ話しました。ですが、その前に、黒馬から確認したいことがあります」

司会の笑顔が固まった。
舞台袖で、久世副校長がわずかに身を乗り出す。

これは黒馬が奪われた選択について問う場だ。

黒馬は衣装の内側から、二つ折りにした紙を取り出した。

「最初にもらった出演同意書です」

大型モニターへ書面の写しが映る。黒馬は一行ずつ読んだ。

「『本企画への参加は本人の自由意思による』『参加者は、いつでも辞退できる』『撮影・編集した映像は、公開前に参加者本人が確認する』」

続いて、久世副校長からの連絡文を開く。

「『学校活動への貢献度は校内推薦の総合評価に含まれる』『企画辞退時は、男子バスケットボール部の特別遠征費を再検討する』」

カメラが、舞台袖の久世副校長を捉えた。
司会が困ったように二人を見比べる。

「副校長先生、こちらへお願いできますか」

久世副校長は表情を崩さず、舞台へ上がった。

黒馬が尋ねる。

「自由参加なのに、断ると推薦と部費に影響するのはなぜですか」

質問は短く、逃げ道がない。

「取り消すとは言っていません。推薦は学業、生活態度、活動実績などを含めて総合的に評価します。部活動費も年度予算全体の中で検討するものです。企画への参加だけで決まるわけではありません」

黒馬が僕を見た。
今度は僕の番だ。

「では、企画を辞退しても、黒馬の推薦評価とバスケットボール部の特別遠征費には影響しないと、今ここで明言できますか」

久世副校長の笑顔が薄くなった。

「個別の推薦や予算について、この場で一律に保証することはできません」

「つまり、影響しないとは言えない」

「評価や予算は複数の事情を踏まえるものです。単純に結びつけるべきではありません」

「『企画辞退時は再検討する』と、同じ連絡文で結びつけたのは副校長です」

客席のどこかで、「それはそう」と小さな声がした。
別の場所からは、「でも部費ってそういうものじゃないの」という囁きも聞こえる。

全員が同じ答えへ傾く必要はない。
少なくとも今、用意された感動だけを見ている人間はいなかった。

黒馬が次の紙を出した。

「今日の台本です。表題は『自然な仲直り』」

モニターへ台本が映る。

「『白鳥の謝罪後、黒馬は白鳥を十秒見つめる』『握手。五秒間保持』『黒馬、白鳥の肩を抱く。八秒間』『二人で、これからも一緒、と言う』」

黒馬は顔を上げた。

「台本どおりが自然なんですか」

客席に、笑いとも息を呑む音ともつかないものが広がった。

「生配信には進行が必要です。沈黙の長さや立ち位置を決めることは、安全で分かりやすい番組を作るための準備です。君たちの感情を強制する意図はありません」

「肩を抱くのも?」

「嫌であれば、調整できると伝えていました」

「俺は嫌だと言いました。それでも修正版では、握手が肩を抱く動きに変わってました。どこが調整されたんですか」

分からないから捨てなかった紙が、大人の言葉の食い違いを一枚ずつ並べていく。

黒馬は制度を理解していないのではない。
説明の方が矛盾しているから、理解できなかったのだ。



「小野寺さん、映像をお願いします」

モニターが二分割された。

左は、放送部が保管していた未編集映像。
右は、学校公式で公開された動画。

左の画面で、撮影終了後の僕が言う。

〈黒馬は本当に何も考えていない。だからあいつの言葉は嘘じゃない〉

右の公開版では、最初の一文だけが残されていた。

〈黒馬は本当に何も考えていない〉

そこで音が切れ、暗い音楽とともに、〈白王子が黒王子を見下していた?〉という文字が重なる。

客席が、それまでとは違う音でざわついた。

「後半、あったんだ」
「じゃあ意味が逆じゃない?」
「でも、最初の言い方もひどいだろ」

最後の感想だけは正しい。僕は性格が悪い。
だからといって、発言を半分に切って別の意味へしてよいわけではない。

小野寺の声が、舞台脇のマイクから入った。

「左は、公式撮影機材で収録した放送部保管の元データです。次に、公開前確認を依頼した記録と公開時刻を出します」

画面が切り替わる。

確認依頼の送信記録。
学校公式での公開時刻。
僕と黒馬が内容を確認し、承認した記録はない。

小野寺はそれ以上、何も足さなかった。
事実は、説明を盛らない方が重い。

久世副校長が静かに息を吸った。

「編集上、限られた尺へ内容を整理する必要はあります。結果として誤解を招いたのであれば、残念に思います。ただ、本校が置かれている状況も理解してください」

声は穏やかなままだった。

「志願者が減れば、教育環境を維持できません。授業の選択肢も、部活動も、生徒の将来も影響を受ける。今回の企画によって、本校へ関心を持った受験生は増えました。学校を存続させ、生徒の未来を守るため、魅力を分かりやすく伝える必要があったのです」

学校。未来。生徒。必要。
僕も以前、同じ種類の言葉を使った。

「僕たちは、学校の広報が必要かどうかを聞いていません。本人の撤回権を無視し、公開前確認を行わなかった理由を聞いています」

「学校全体の利益を考えれば、ある程度の調整は――」

「必要性は、本人の返事を代わりに決める理由にはなりません」

久世副校長が僕を見た。

「僕も一度、黒馬のためだと言って、黒馬へ相談せずに結末を決めました。間違いでした。相手のためという言葉は、相手の返事を消す免罪符にはなりません」

これは謝罪ではない。
僕が同じ間違いを知っているから、学校の言い換えを見逃さないというだけだ。

「資料は昨日までに、コンテスト事務局と学校法人のコンプライアンス窓口へ送付済みです。受付記録もあります。コンテスト事務局からは今朝、応募作品の審査保留と調査開始の連絡を受けました」

客席が再び揺れた。

「失格も、副校長の処分も、まだ決まっていません。だからこそ、今日ここで『二人が自発的に仲直りした』という最終映像を完成させることには同意しません」

久世副校長は否定も謝罪もしなかった。

「外部機関の確認には、学校として誠実に対応します」

整った答えだった。
だが、それ以上僕たちを台本へ戻す言葉もなかった。



沈黙に耐えられなくなったのか、司会が進行表を見た。

「では……お二人は仲直りをした、ということではないのでしょうか」

彼女も、渡された台本の上で着地を探しているだけだ。

客席から声が飛んだ。

「結局、二人はどういう関係なの?」
「付き合ってるってこと?」
「ただの演出だったの?」

笑いも、期待も、苛立ちも混ざっていた。

学校が答えないなら、本人から本物を取り出そうとする。

僕はマイクを上げた。

「学校が説明すべきなのは、僕たちの関係ではありません」

客席の何人かが息を止めたのが分かった。

「学校が説明すべきなのは、生徒の言葉と姿をどう扱ったのかです。僕と黒馬が友人か、相棒か、それ以外か。それを皆さんへ提出する義務はありません」

それ以外、の四文字だけで、心臓が余計な仕事を始める。
けれど、答えは足さなかった。

黒馬がマイクを持ち上げた。

「俺たちのことは、学校に渡さない」

告白ではない。
否定でもない。

僕たちの間にあるものを、見たい人間へ配らないと決めただけだ。

舞台袖から、予定されていた音楽が一瞬流れ、すぐ止まった。
司会の手元には、まだ最後の進行が残っている。

握手。
肩を抱く。
「これからも一緒」。

黒馬は僕へ手を伸ばさなかった。
僕も伸ばさなかった。

舞台の上で触れないことが、こんなにも明確な連帯になるとは思わなかった。

「下りる?」

「下りる」

僕たちは観客へ一礼した。

拍手はすぐには起きなかった。
一度だけ手を叩く音がし、少し離れた場所で別の拍手が続いた。賛同の声もあれば、「文化祭でやることか」という低い声もある。戸惑う顔、納得できない顔、久世副校長を見る顔、端末へ視線を落とす顔。

きれいにはそろわない。

その不揃いさが、用意された大歓声より、ずっと正しかった。

僕と黒馬は、握手も、抱擁も、仲直りの台詞も行わないまま、並んで舞台を降りた。



厚い幕の裏へ入ると、客席のざわめきが遠ざかった。

呼吸は浅いが、足は止まらない。
黒馬が僕の顔を見る。

「白鳥、座る?」

「必要ない」

「分かった」

触れずに、選択肢だけを置く。
以前なら痛かった距離が、今は僕の返事を待つ距離だと分かる。

小野寺が操作卓から走ってきた。

「配信は最後まで続いています。比較映像も記録されました。コンテスト事務局は調査開始、学校法人は受付までです」

「それで十分です。正式な判断は調査の後です」

「元データと送信控えは、別々に保管します」

小野寺は呼ばれて操作卓へ戻った。

久世副校長は、まだ舞台上にいる。
誰もその場で連行しないし、役職も消えない。学校は拍手一つで倒れるほど単純ではない。

それでも、今日撮るはずだった最終映像は完成しなかった。

黒馬が幕の隙間から舞台を一度見た。

「まだ怒ってる」

「知ってる」

「白鳥が謝ったから、今日一緒にやったわけじゃない」

「それも知ってる。お前が自分で決めた」

黒馬は僕を見る。

「白鳥も、今日は俺の分まで決めなかった」

褒められたとは思わない。
当たり前のことを、ようやく当たり前にしただけだ。

「学校の話は終わった」

黒馬は言った。

「次は俺たちの話」

喉が、舞台の上より狭くなる。

「……何を聞くつもりだ」

「まだ聞かない。白鳥、今は逃げる答えを作りそうだから」

「失礼な評価だな」

「違う?」

否定できない。

黒馬は僕の返事を推測せず、ただ一つだけ求めた。

「次は逃げないで」

カメラはない。
司会も、台本も、拍手もない。

僕は右手の親指を包まず、黒馬を見る。

「逃げない」

「分かった。覚えた」

学校に渡さなかったものを、次は自分の言葉で、黒馬へ渡さなければならない。

文化祭のステージより怖い場所が、まだ僕たちの前に残っていた。