王子様たちの憂鬱

嘘は一枚なら、「認識の違い」で済ませられる。

十枚並べれば、時系列になる。

文化祭まで数日。旧放送室の長机は、王子様廃業同盟を作った時より狭くなっていた。

僕の前には初版の出演同意書。黒馬の前には、何度も二つ折りにされた台本と連絡文。小野寺の前には、放送部の映像管理簿と、放送部の提出用記録媒体が置かれている。

壁際の鍵付き収納には、余白へ「解散」と書かれた同盟ノートが入ったままだ。

僕たちは同盟を結び直していない。

黒馬はまだ怒っている。すぐ前には戻れないとも言った。

それでも、学校にどうするかは自分も決めると、ここへ来た。

許しではない。その区別を、僕は都合よく忘れないようにしている。

「最初はこれだ」

僕は同意書の本人控えを透明なファイルから出した。

〈本企画への参加は本人の自由意思による〉

〈参加者は、いつでも辞退できる〉

〈撮影・編集した映像は、公開前に参加者本人が確認する〉

六月に受け取った紙は、今も無責任なくらい白かった。

その右へ、初回の仮台本と確定版を置く。さらに、撮影のたびに増えた修正版を日付順に並べた。肩へ手を置く。握手をする。十秒見つめる。肩を抱く。「これからも一緒」と言う。

自然な関係は、回を重ねるごとに秒数と接触面積を増やしていた。

「次が、校内連絡アプリの記録」

黒馬が紙を差し出した。

〈学校活動への貢献度は、校内推薦の総合評価に含まれる〉

〈企画辞退時は、部活動特別遠征費を再検討する〉

送信者名と日時、久世副校長の署名まで残っている。

「こっちは原本?」

小野寺が聞いた。

「俺の端末に来た連絡を、送信者と日時が見える状態で印刷した。端末にも残ってる」

「では、端末上の記録を一次資料、紙は提出用の写しとして記載します」

小野寺は証拠について話す時だけ、緊張より正確さが勝つ。

「映像は?」

僕が尋ねると、彼女は記録媒体へ手を置いた。

「密着撮影時の元映像と、その後の公開版です。元映像は放送部の保管用ドライブから消していません。撮影日時と素材番号は映像管理簿に残っています。これは校外提出用に作った複製で、作成したことも管理簿へ記載しました。顧問にも、提出先と資料名を届け出ています」

万能な秘密兵器ではない。

放送部員として担当した撮影を、放送部の規則どおりに保管していた。それだけだ。

だが、組織が一番嫌うのは、規則に従って残った記録である。

小野寺が元映像を再生した。

撮影終了後も生きていたマイクが、僕の声を拾う。

『黒馬は本当に何も考えていない。だからあいつの言葉は嘘じゃない』

次に公開版を再生する。

『黒馬は本当に何も考えていない』

そこで切れた。

僕の性格の悪さだけが、編集技術によって美しく保存されている。

「公開前確認の記録もあります」

小野寺が管理簿の次のページを開いた。

確認用データを僕たちへ送る手順について、彼女が広報担当へ問い合わせた記録。返信を待たないまま、学校公式アカウントへ公開された時刻。そのあとに届いた、公開済み動画の通知。

紙の約束と、実際の手順が、きれいに逆を向いていた。

僕は一覧表の最後の欄へ線を引いた。

「一つずつなら、全部言い換えられる。同意書は原則。連絡は総合評価の説明。台本は演出。切り取りは尺の都合。確認しなかったのは連携不足」

「全部一緒なら?」

黒馬が聞いた。

「本人の自由意思を尊重すると書いておいて、辞退へ不利益を示し、本人の言葉を変え、確認なしで公開した。同じ方向の処理が、何度も続いている」

「偶然じゃない?」

「偶然だと言うなら、学校はずいぶん勤勉に同じ偶然を繰り返したことになる」

黒馬が、僕の肩越しにある文化祭台本へ視線を向けた。

立ち上がり、長い腕を伸ばしかけて止まる。

「白鳥、触る」

「何を」

「肩。後ろの紙を取る」

「……分かった」

大きな手が、制服越しに僕の肩へ触れた。体を支えるほどの力はなく、僕へ近づきすぎないための目印のような接触だった。

呼吸が一拍止まる。

黒馬は紙を取り、すぐに手を離した。僕の反応に気づいたように一度だけこちらを見たが、意味を決めつけず、元の席へ戻る。

確認する丁寧さは、前と同じだ。

違うのは、その丁寧さの向こうに、触れてもいい関係だという期待が一つもないことだった。

謝ったからといって、触れられる権利が戻るわけではない。

分かっている。分かっていることほど、痛い。

「送る資料は二組です」

小野寺の声で、僕は表へ視線を戻した。

僕が作った時系列対照表を表紙にする。初版同意書、修正版を含む台本、連絡記録、未編集映像と公開版の比較、公開前確認依頼と公開時刻。原本の保管場所と、提出する複製の作成経路も記載した。

一組は全国スクールPR動画コンテスト事務局の規定違反申告窓口へ。

もう一組は、学校法人のコンプライアンス窓口へ。

申告者欄の先頭には、出演当事者である僕と黒馬の名前を書いた。小野寺一人を、危険な内部告発者の席へ座らせるつもりはない。彼女は資料提供者として、放送部での担当と保管経路だけを記した。

「本当に名前を出していいのか」

僕が聞くと、小野寺は少しだけ指を強く組んだ。

「はい。私は、映像で嘘を作りたくありません。それに、正式な照会が来れば、顧問と管理簿で元データを確認できます。私しか証明できない状態ではないです」

恩返しではない。

自分の仕事を、自分で選んでいる顔だった。

「黒馬」

「送る。俺も決めた」

「では、送信する」

二つの正式窓口へ、同じ資料を送った。

画面に受付完了の表示が出る。少し遅れて、二通の自動返信が届いた。

それぞれに受付番号と受信時刻が記されている。

僕は返信を保存し、印刷用データにもした。黒馬と小野寺の端末へ、送付控えと受付記録を共有する。

これで文化祭当日に、初めて騒ぎ出す生徒にはならない。

学校が舞台上で何を言っても、その前に申告は受け付けられている。

王子様たちの反乱は、観客の前へ出るより先に、受付番号を持った。



翌日の放課後、僕と黒馬は久世副校長に呼ばれた。

広報室の机には、文化祭用の最終台本が二部置かれている。表紙の題名は、相変わらず〈二人の王子、感動の仲直り〉だった。

「本番まで時間がありません。今日は、最終的な進行だけ確認しましょう」

副校長は穏やかにページをめくった。

僕の謝罪。黒馬の十秒の沈黙。視線を合わせる。肩を抱く。「これからも一緒」と言う。

本人たちの現在より、紙の上の関係の方が、よほど修復が早い。

「以前お話しした推薦評価や部費の件ですが」

僕は公の声で切り出した。

「僕たちと副校長の間に、認識の違いがあったということでしょうか」

「そうですね。学校活動への貢献を総合的に評価することと、出演を強制することは同じではありません。部活動予算も、企画参加だけで決まるものではない。君たちが圧力と受け取ったのであれば、認識の違いがあったことは残念です」

やはり、その言葉を使う。

事実を否定せず、受け取った側の認識へ責任を移す。床に落とした刃物を、拾った人間の持ち方の問題にするような話だ。

黒馬が台本を見た。

「俺たちは、まだ仲直りしてません」

「関係は一言で区切れるものではありません。文化祭の舞台を通じて、互いの認識を整理する。その過程も含めてお見せする企画です」

「台本どおりに肩を抱けば、整理したことになりますか」

「黒馬君。映像には、伝わる形が必要です。君たちの本心を偽れと言っているのではありません。誤解を招かない表現へ整えるだけです」

整える。

切り取る時も、勝手に近づける時も、同じ動詞が使えるらしい。

僕は反論しなかった。

「承知しました。当日の進行は確認しました」

黒馬も、決めていた通りに答える。

「台本は読みました。立ち位置と順番は覚えました」

嘘は一つもない。

副校長の表情は、それを従うという意味に受け取った人のものだった。

人は、自分に都合のいい含みなら、こちらが足さなくても勝手に読む。



旧放送室へ戻ると、僕は一覧表の余白へ〈認識の違い〉と書き足した。

「副校長が最初に逃げる場所は分かった」

「俺が何から聞く?」

黒馬が尋ねる。

僕は最初、論点を一文へ詰め込もうとした。

「初版同意書における自由意思と、その後の推薦評価および部活動予算に関する――」

「長い」

「まだ途中だ」

「俺はそんなふうに聞かない」

以前の僕なら、正しい質問へ直させただろう。

今は、紙から顔を上げた。

「お前なら、どう聞く」

黒馬は初版同意書と連絡文を並べた。

「自由参加なのに、断ると推薦と部費に影響するのは、どうしてですか」

「それでいい」

「久世先生が、取り消すとは言ってないって答えたら?」

「僕が聞く。では、企画を辞退しても推薦評価と特別遠征費へ影響しないと、今ここで明言できますか、と」

「総合的に判断するって言ったら?」

「その総合評価に、広報企画への参加を含めるのかと聞く」

「認識の違いって言ったら?」

「紙に書かれた文言は認識ではない。本人が圧力と受け取る表現だったことを認めるか、認めないかへ戻す」

黒馬はうなずき、次の台本を指した。

「二番目は、これ?」

「自然な仲直りと書かれた台本だ。お前が、十秒の視線と肩を抱く秒数を読む」

「台本どおりが自然なんですか、って聞く」

「副校長が演出だと答えたら、僕が、本人の意思と違う演出を本人の自然な姿として応募するのかと聞く」

三番目は映像だった。

小野寺が未編集版と公開版を、同じ位置から再生できるよう準備する。

「私は、放送部の正式保管データであることと、二つのファイルの撮影日時、公開時刻だけを説明します」

「それでいい。動機まで舞台で証明する必要はない。時刻と映像は、勝手に感情を足さない」

「白鳥先輩が言うと、少し怖いです」

「褒め言葉として受け取っておく」

黒馬が三枚の紙を順番に重ねた。

「俺が聞く。白鳥が、逃げた答えを戻す。小野寺が映像を出す」

「そうだ。ただし、当日変えたいと思ったら言え。お前の質問を僕が勝手に決めない」

「白鳥も、変えたいなら言って」

「分かった」

「俺たちのことを聞かれたら?」

僕は一度、答える前に考えた。

学校の不正を示すために、僕たちの関係を差し出す必要はない。

怒っていることも、好きだということも、触れてほしいと思うことも、観客への証拠ではない。

「答えない。学校が説明すべきことと、僕たちが自分で決めることを分ける」

黒馬は、今度はすぐにうなずいた。

ばらばらだった紙と映像が、一つの順番になった。

ばらばらになった僕たちも、元へ戻ったわけではない。それでも、同じ作戦の両側を、自分の意思で持っている。

それで十分だと、今は言える。



文化祭当日の朝。

控室の全身鏡の前に、白王子用の衣装を着た僕と、黒王子用の衣装を着た黒馬が並んだ。

学校が求めた通り、正反対で、よくできた一組に見える。

僕は襟を直し、口角をいつもの位置へ上げた。

笑顔を作ることまで、学校に奪われたわけではない。これは僕が必要だと決めて使う顔だ。

鏡の中で、黒馬が僕を見る。

「白鳥」

「何だ」

「今度は勝手に決めない?」

僕は、鏡ではなく隣の本人を見た。

「決めない」