嘘にも、順番がある。
現在を消し、過去を消し、最後に未来を消す。
順序を間違えれば、ただの感情的な否定に見える。正しく並べれば、聞いた相手の足元を一段ずつなくせる。
そこまで考えておきながら、僕は自分のすることを「黒馬を守るため」と呼んでいた。
便利な言葉だ。相談しなかった事実も、相手に選ばせない傲慢さも、包装紙の下へ隠してくれる。
本来なら、配信前には旧放送室で作戦を確認する。
鍵付き収納の最下段には王子様廃業同盟のノートがある。二番目には〈相手の秘密を勝手に使わない〉、三番目には〈重要な作戦は必ず相談する〉。どちらも僕自身の字だ。
黒馬がカメラの外で何を大切にし、どの言葉なら傷つくかは、二人だけの時間で知った。僕はそれを、配信で最も効く順番に使うつもりだった。
今日は、旧放送室へ行かなかった。
ノートを開けば、書かれていることを無視したと認めなければならない。開かなければ、まだ単独の判断で済む。紙を見なければ規則が消えると考えるあたり、僕もずいぶん都合よく人間らしくなったものだ。
九月に入って最初の公式生配信は、文化祭へ向けた宣伝を兼ねていた。
配信開始の二十分前。視聴覚室の前方には二脚の椅子と小さなテーブルが置かれ、その正面で小野寺がカメラを調整している。モニターには、〈文化祭直前 ダブルプリンス生配信〉という、何一つ直前ではないほど早く作られた画面が出ていた。
「白鳥」
視聴覚室へ入ってすぐ、黒馬が僕を呼んだ。
「今日、何か作戦ある?」
これまでなら、間の抜けた案でも一度は旧放送室で話した。黒馬が聞くのは当然だった。
「ない。質問に答えるだけだ」
重要な作戦について相談しないだけでなく、ないと答えた。
黒馬は数秒、僕を見た。
「分かった」
その返事を得てから、久世副校長が声をかけた。
「今日は質問項目だけです」
副校長が、僕たちへ一枚ずつ進行表を渡した。
「切り抜き動画以降、お二人の関係を心配する反応も残っています。仲がよいと無理に断言する必要はありません。普段どおりのやり取りから、信頼が伝われば十分です」
無理に断言する必要はない。
ただし、信頼は伝えろ。
大人の指示は、曖昧にするほど自由に見えるらしい。実際には、出口の位置だけ先に決めてある迷路だ。
黒馬が進行表を見た。
「『自然な受け答え』って、前に言われたのと同じですか」
「今回は台詞の指定はありません。質問へ率直に答えてください」
「分かりました」
黒馬は紙を二つ折りにしなかった。内容に食い違いがないからだろう。代わりに、椅子の脇へ置いたスポーツバッグの透明なファイルが見えた。先日の文化祭台本と、推薦や部費についての連絡文が入っている。
あれを持たせたまま、文化祭まで引きずるわけにはいかない。
透明な紙の束は、黒馬が自分で選んだ証拠であり、同時に自由に選べなかった証拠でもある。僕にはその両方が見えるのに、こいつには後者が分かっていないと決めつけていた。
僕が一人で悪者になればいい。僕との関係に価値がなくなれば、学校が黒馬を隣へ置く理由もなくなる。
そう結論づけたのは僕だ。
黒馬には聞いていない。聞けば、こいつは「嫌だけど、俺が決めた」と言う。僕の案を拒み、自分の選択を曲げない。
だから言わなかった。
守るためではなく、止められたくなかっただけではないのか。
浮かんだ疑問を、僕は進行表と一緒に伏せた。
「白鳥」
「何だ」
「親指、痛い?」
いつの間にか、左手で右手の親指を包んでいた。
僕は手を離し、膝の上へ置いた。
「何ともない」
黒馬は僕の手元を見たまま、すぐにはうなずかなかった。
「そう」
それ以上は聞かない。
こいつは、答えを勝手に直さない。僕が嘘をついても、言葉としては一度受け取る。
その性質まで利用しようとしている自分を、見ないことにした。
◇
赤いランプが点いた。
最初の十分は、予定どおりに進んだ。
文化祭で楽しみにしている企画。校内で好きな場所。準備期間に大変なこと。僕は外向きの声で答え、黒馬は意味の分からない質問だけ聞き返した。
「文化祭で、白鳥君に見てほしいものはありますか?」
小野寺が読み上げると、黒馬は少し考えた。
「バスケ部の企画。来られるなら」
「そうですね。時間が合えば、ぜひ伺いたいです」
嘘ではない。
行きたいと思った。黒馬がコートにいる時だけ見せる、迷いのない動きを、また近くで見たかった。
今から、それを望んだことまでなかったことにする。
続いて、互いの最近の印象を聞かれた。
「白鳥は、前より分からない時がある」
黒馬はそう答えた。
「以前より、ですか?」
「前は学校の白鳥と、旧――」
そこで一度止まり、カメラを見た。
「話しやすい時の白鳥が、分かれてた。今は、話しやすい方でも何を考えてるか分からない時がある」
旧放送室と言わなかった。
カメラのない場所を、こいつはまだ学校へ渡していない。
「僕にも考えごとはありますから」
笑って返すと、黒馬は追及しなかった。
画面の端では、穏やかな反応が流れていた。久世副校長も、カメラの後ろで小さくうなずいている。
小野寺が次の質問へ移った。
「切り抜き動画の件で、お二人が不仲なのではないかという声もありました。実際のところ、お二人は友達なんですか?」
来た。
用意していた問いと、ほとんど同じだった。
本来なら、笑って曖昧にすればいい。『友達という言葉で決めるのは難しいですね』とでも言えば、久世は信頼の余白として編集するだろう。
僕はカメラを見た。
テーブルの下で、左手が右手の親指を握る。爪が皮膚へ食い込むほど力を入れても、声は揺れなかった。
「正確にお答えします」
隣で、黒馬がこちらを向く気配がした。
「僕たちは友達ですらない」
一つ目で、今を消す。
旧放送室で向かい合って座る時間も、一組のイヤホンを分けた沈黙も、同じコメントを見て笑ったことも。
「学校に言われて一緒にいただけ」
二つ目で、過去を消す。
僕の本性を聞いても離れなかったこと。撮影ではない場所で、触れていいか一つずつ確かめたこと。切り取られた言葉の全文を信じたこと。
全部、学校が並べた結果にする。
最後が一番よく刺さると分かっていた。
黒馬は、勝手に意味をつけられることを嫌う。だから僕の気持ちを推測せず、答えを待っていた。
その待つ場所へ、僕は自分で扉を閉める。
「個人的に親しくなりたいと思ったことはない」
三つ目で、未来を消した。
室内から音がなくなった。
配信は続いている。画面には反応が流れ続け、小野寺の手もカメラから離れていない。それなのに、僕には隣の呼吸しか聞こえなかった。
黒馬は何も言わなかった。
意味が分からない時のように、首を傾げもしない。
僕を見ていた。
視線が一度だけ、テーブルの下へ落ちる。右手の親指を握った僕の左手を見て、また顔へ戻った。
膝に置かれた黒馬の指が、ゆっくり曲がる。
信じた顔ではなかった。
嘘だと気づいている。
そうとしか見えなかった。
僕の計算では、黒馬にだけは分かっても構わなかった。配信が終われば説明できる。怒られても、企画が壊れ、こいつが解放されるなら耐えればいい。
そのはずなのに、何も言わずに見つめられる方が、怒鳴られるより怖かった。
「……ありがとうございます」
小野寺の声がわずかに詰まった。
カメラの後ろで、久世副校長が片手を上げる。止める合図ではない。続行の合図だった。
「率直なお答えでした」
副校長が、画面の外から穏やかに言った。
「関係への認識が違うことも、成長の過程では珍しくありません。文化祭では、お二人がそれぞれ何を選ぶのかも含め、見守っていただければと思います」
たった数秒で、決裂まで教育的な成長物語へ編入された。
次の質問へ移るよう指示が出たが、小野寺は進行表を見たまま動けない。久世副校長が自ら締めの言葉を入れ、予定より七分早く配信を終えた。
赤いランプが消える。
黒馬は僕から視線を外し、胸元のマイクを外した。乱暴な動きではない。ケーブルを絡ませず、小野寺が受け取りやすい形にまとめて差し出す。
その丁寧さが、かえって何も挟ませなかった。
「黒馬――」
呼び止めた声へ、返事はなかった。
黒馬はスポーツバッグを肩へ掛け、透明なファイルが入っていることを確かめると、視聴覚室を出ていった。
追う前に、久世副校長が僕を呼んだ。
「白鳥君。今の発言は、事前の趣旨とはずいぶん違いましたね」
怒鳴りもしなければ、眉も吊り上げない。
「申し訳ありません。ただ、僕たちに個人的な関係がないと分かった以上、文化祭の仲直り企画は成立しないと思います。黒馬まで出演させる理由もありません」
ここまでが作戦だった。
僕が企画の価値を壊し、黒馬を切り離す。
副校長はモニターを見た。配信終了後も、視聴数の数字は増え続けている。
「いいえ。むしろ、文化祭で確認したいことが明確になりました」
「確認、ですか」
「仲直りを前提にする必要はありません。最後に互いが何を語るのか。それを見届けたいという関心は、先ほどまでより高まっています」
広報担当の教員が、すでに端末へ文字を打ち込んでいた。
配信管理画面では、終了直前から同時視聴数が跳ね上がっている。穏やかな信頼を見せていた時間より、僕が三つの文を口にしたあとの方が、数字は露骨に伸びていた。
人間は幸福の完成より、破裂する瞬間を見たがる。学校はその性質を嘆く代わりに、見出しへ変える。
久世副校長は、その画面を見て言った。
「告知は『衝撃の決裂。文化祭で二人は最後に何を語るのか』でいきましょう。配信の該当部分を短くまとめ、今日中に公開してください」
「副校長、黒馬は部活と推薦のことがあるから出演を選んだんです。関係まで否定されたあとも続けさせるのは――」
「黒馬君は、ご本人の意思で文化祭出演を選んでいます。白鳥君の発言だけで、その選択を取り消すことはできません」
正論の形をしていた。
僕が黒馬の代わりに決めたことを、久世副校長が指摘している。
「もちろん、校内推薦は総合的な評価ですし、部活動予算も企画一つで決まるものではありません。ただ、今日の反響を受けて企画を中止すれば、学校として十分な説明が必要になります」
穏やかな声のまま、逃げ道だけが塞がれていく。
僕は悪者になった。
関係も壊した。
それでも学校は黒馬を離さなかった。
自分だけが傷を引き受けたつもりで、実際に傷つけたのは黒馬だった。しかも、守るという目的すら果たせていない。
「白鳥先輩」
小野寺が、外したマイクを抱えたまま僕へ言った。
「今日の配信は、学校公式のアーカイブにそのまま残ります。元データも保存します」
「……分かりました」
消せない言葉が、また一つ増えた。
机に置いた端末が震えた。
学校公式アカウントには、もう新しい告知画像が上がっている。僕と黒馬の顔を左右へ離し、その間へ亀裂のような線が引かれていた。
物語を消すためについた嘘が、学校へ次の物語を与えている。
通知がもう一度鳴った。
差出人は黒馬だった。
本文は一文だけだった。
〈旧放送室に来て〉
現在を消し、過去を消し、最後に未来を消す。
順序を間違えれば、ただの感情的な否定に見える。正しく並べれば、聞いた相手の足元を一段ずつなくせる。
そこまで考えておきながら、僕は自分のすることを「黒馬を守るため」と呼んでいた。
便利な言葉だ。相談しなかった事実も、相手に選ばせない傲慢さも、包装紙の下へ隠してくれる。
本来なら、配信前には旧放送室で作戦を確認する。
鍵付き収納の最下段には王子様廃業同盟のノートがある。二番目には〈相手の秘密を勝手に使わない〉、三番目には〈重要な作戦は必ず相談する〉。どちらも僕自身の字だ。
黒馬がカメラの外で何を大切にし、どの言葉なら傷つくかは、二人だけの時間で知った。僕はそれを、配信で最も効く順番に使うつもりだった。
今日は、旧放送室へ行かなかった。
ノートを開けば、書かれていることを無視したと認めなければならない。開かなければ、まだ単独の判断で済む。紙を見なければ規則が消えると考えるあたり、僕もずいぶん都合よく人間らしくなったものだ。
九月に入って最初の公式生配信は、文化祭へ向けた宣伝を兼ねていた。
配信開始の二十分前。視聴覚室の前方には二脚の椅子と小さなテーブルが置かれ、その正面で小野寺がカメラを調整している。モニターには、〈文化祭直前 ダブルプリンス生配信〉という、何一つ直前ではないほど早く作られた画面が出ていた。
「白鳥」
視聴覚室へ入ってすぐ、黒馬が僕を呼んだ。
「今日、何か作戦ある?」
これまでなら、間の抜けた案でも一度は旧放送室で話した。黒馬が聞くのは当然だった。
「ない。質問に答えるだけだ」
重要な作戦について相談しないだけでなく、ないと答えた。
黒馬は数秒、僕を見た。
「分かった」
その返事を得てから、久世副校長が声をかけた。
「今日は質問項目だけです」
副校長が、僕たちへ一枚ずつ進行表を渡した。
「切り抜き動画以降、お二人の関係を心配する反応も残っています。仲がよいと無理に断言する必要はありません。普段どおりのやり取りから、信頼が伝われば十分です」
無理に断言する必要はない。
ただし、信頼は伝えろ。
大人の指示は、曖昧にするほど自由に見えるらしい。実際には、出口の位置だけ先に決めてある迷路だ。
黒馬が進行表を見た。
「『自然な受け答え』って、前に言われたのと同じですか」
「今回は台詞の指定はありません。質問へ率直に答えてください」
「分かりました」
黒馬は紙を二つ折りにしなかった。内容に食い違いがないからだろう。代わりに、椅子の脇へ置いたスポーツバッグの透明なファイルが見えた。先日の文化祭台本と、推薦や部費についての連絡文が入っている。
あれを持たせたまま、文化祭まで引きずるわけにはいかない。
透明な紙の束は、黒馬が自分で選んだ証拠であり、同時に自由に選べなかった証拠でもある。僕にはその両方が見えるのに、こいつには後者が分かっていないと決めつけていた。
僕が一人で悪者になればいい。僕との関係に価値がなくなれば、学校が黒馬を隣へ置く理由もなくなる。
そう結論づけたのは僕だ。
黒馬には聞いていない。聞けば、こいつは「嫌だけど、俺が決めた」と言う。僕の案を拒み、自分の選択を曲げない。
だから言わなかった。
守るためではなく、止められたくなかっただけではないのか。
浮かんだ疑問を、僕は進行表と一緒に伏せた。
「白鳥」
「何だ」
「親指、痛い?」
いつの間にか、左手で右手の親指を包んでいた。
僕は手を離し、膝の上へ置いた。
「何ともない」
黒馬は僕の手元を見たまま、すぐにはうなずかなかった。
「そう」
それ以上は聞かない。
こいつは、答えを勝手に直さない。僕が嘘をついても、言葉としては一度受け取る。
その性質まで利用しようとしている自分を、見ないことにした。
◇
赤いランプが点いた。
最初の十分は、予定どおりに進んだ。
文化祭で楽しみにしている企画。校内で好きな場所。準備期間に大変なこと。僕は外向きの声で答え、黒馬は意味の分からない質問だけ聞き返した。
「文化祭で、白鳥君に見てほしいものはありますか?」
小野寺が読み上げると、黒馬は少し考えた。
「バスケ部の企画。来られるなら」
「そうですね。時間が合えば、ぜひ伺いたいです」
嘘ではない。
行きたいと思った。黒馬がコートにいる時だけ見せる、迷いのない動きを、また近くで見たかった。
今から、それを望んだことまでなかったことにする。
続いて、互いの最近の印象を聞かれた。
「白鳥は、前より分からない時がある」
黒馬はそう答えた。
「以前より、ですか?」
「前は学校の白鳥と、旧――」
そこで一度止まり、カメラを見た。
「話しやすい時の白鳥が、分かれてた。今は、話しやすい方でも何を考えてるか分からない時がある」
旧放送室と言わなかった。
カメラのない場所を、こいつはまだ学校へ渡していない。
「僕にも考えごとはありますから」
笑って返すと、黒馬は追及しなかった。
画面の端では、穏やかな反応が流れていた。久世副校長も、カメラの後ろで小さくうなずいている。
小野寺が次の質問へ移った。
「切り抜き動画の件で、お二人が不仲なのではないかという声もありました。実際のところ、お二人は友達なんですか?」
来た。
用意していた問いと、ほとんど同じだった。
本来なら、笑って曖昧にすればいい。『友達という言葉で決めるのは難しいですね』とでも言えば、久世は信頼の余白として編集するだろう。
僕はカメラを見た。
テーブルの下で、左手が右手の親指を握る。爪が皮膚へ食い込むほど力を入れても、声は揺れなかった。
「正確にお答えします」
隣で、黒馬がこちらを向く気配がした。
「僕たちは友達ですらない」
一つ目で、今を消す。
旧放送室で向かい合って座る時間も、一組のイヤホンを分けた沈黙も、同じコメントを見て笑ったことも。
「学校に言われて一緒にいただけ」
二つ目で、過去を消す。
僕の本性を聞いても離れなかったこと。撮影ではない場所で、触れていいか一つずつ確かめたこと。切り取られた言葉の全文を信じたこと。
全部、学校が並べた結果にする。
最後が一番よく刺さると分かっていた。
黒馬は、勝手に意味をつけられることを嫌う。だから僕の気持ちを推測せず、答えを待っていた。
その待つ場所へ、僕は自分で扉を閉める。
「個人的に親しくなりたいと思ったことはない」
三つ目で、未来を消した。
室内から音がなくなった。
配信は続いている。画面には反応が流れ続け、小野寺の手もカメラから離れていない。それなのに、僕には隣の呼吸しか聞こえなかった。
黒馬は何も言わなかった。
意味が分からない時のように、首を傾げもしない。
僕を見ていた。
視線が一度だけ、テーブルの下へ落ちる。右手の親指を握った僕の左手を見て、また顔へ戻った。
膝に置かれた黒馬の指が、ゆっくり曲がる。
信じた顔ではなかった。
嘘だと気づいている。
そうとしか見えなかった。
僕の計算では、黒馬にだけは分かっても構わなかった。配信が終われば説明できる。怒られても、企画が壊れ、こいつが解放されるなら耐えればいい。
そのはずなのに、何も言わずに見つめられる方が、怒鳴られるより怖かった。
「……ありがとうございます」
小野寺の声がわずかに詰まった。
カメラの後ろで、久世副校長が片手を上げる。止める合図ではない。続行の合図だった。
「率直なお答えでした」
副校長が、画面の外から穏やかに言った。
「関係への認識が違うことも、成長の過程では珍しくありません。文化祭では、お二人がそれぞれ何を選ぶのかも含め、見守っていただければと思います」
たった数秒で、決裂まで教育的な成長物語へ編入された。
次の質問へ移るよう指示が出たが、小野寺は進行表を見たまま動けない。久世副校長が自ら締めの言葉を入れ、予定より七分早く配信を終えた。
赤いランプが消える。
黒馬は僕から視線を外し、胸元のマイクを外した。乱暴な動きではない。ケーブルを絡ませず、小野寺が受け取りやすい形にまとめて差し出す。
その丁寧さが、かえって何も挟ませなかった。
「黒馬――」
呼び止めた声へ、返事はなかった。
黒馬はスポーツバッグを肩へ掛け、透明なファイルが入っていることを確かめると、視聴覚室を出ていった。
追う前に、久世副校長が僕を呼んだ。
「白鳥君。今の発言は、事前の趣旨とはずいぶん違いましたね」
怒鳴りもしなければ、眉も吊り上げない。
「申し訳ありません。ただ、僕たちに個人的な関係がないと分かった以上、文化祭の仲直り企画は成立しないと思います。黒馬まで出演させる理由もありません」
ここまでが作戦だった。
僕が企画の価値を壊し、黒馬を切り離す。
副校長はモニターを見た。配信終了後も、視聴数の数字は増え続けている。
「いいえ。むしろ、文化祭で確認したいことが明確になりました」
「確認、ですか」
「仲直りを前提にする必要はありません。最後に互いが何を語るのか。それを見届けたいという関心は、先ほどまでより高まっています」
広報担当の教員が、すでに端末へ文字を打ち込んでいた。
配信管理画面では、終了直前から同時視聴数が跳ね上がっている。穏やかな信頼を見せていた時間より、僕が三つの文を口にしたあとの方が、数字は露骨に伸びていた。
人間は幸福の完成より、破裂する瞬間を見たがる。学校はその性質を嘆く代わりに、見出しへ変える。
久世副校長は、その画面を見て言った。
「告知は『衝撃の決裂。文化祭で二人は最後に何を語るのか』でいきましょう。配信の該当部分を短くまとめ、今日中に公開してください」
「副校長、黒馬は部活と推薦のことがあるから出演を選んだんです。関係まで否定されたあとも続けさせるのは――」
「黒馬君は、ご本人の意思で文化祭出演を選んでいます。白鳥君の発言だけで、その選択を取り消すことはできません」
正論の形をしていた。
僕が黒馬の代わりに決めたことを、久世副校長が指摘している。
「もちろん、校内推薦は総合的な評価ですし、部活動予算も企画一つで決まるものではありません。ただ、今日の反響を受けて企画を中止すれば、学校として十分な説明が必要になります」
穏やかな声のまま、逃げ道だけが塞がれていく。
僕は悪者になった。
関係も壊した。
それでも学校は黒馬を離さなかった。
自分だけが傷を引き受けたつもりで、実際に傷つけたのは黒馬だった。しかも、守るという目的すら果たせていない。
「白鳥先輩」
小野寺が、外したマイクを抱えたまま僕へ言った。
「今日の配信は、学校公式のアーカイブにそのまま残ります。元データも保存します」
「……分かりました」
消せない言葉が、また一つ増えた。
机に置いた端末が震えた。
学校公式アカウントには、もう新しい告知画像が上がっている。僕と黒馬の顔を左右へ離し、その間へ亀裂のような線が引かれていた。
物語を消すためについた嘘が、学校へ次の物語を与えている。
通知がもう一度鳴った。
差出人は黒馬だった。
本文は一文だけだった。
〈旧放送室に来て〉



