王子様たちの憂鬱

密着という言葉は、他人の生活へ靴のまま上がり込む時に使う免罪符らしい。

旧放送室の長机に置かれた予定表には、昼休み、授業間の移動、部活動、下校時と、僕たちの日常が十五分刻みで切り分けられていた。

一番下にある〈二人きりの作戦会議撮影候補〉だけは、赤字で丸までついている。

「ここも撮るのか」

黒馬が紙を指した。

「候補だ。候補のまま埋葬する」

「副校長は、素顔を撮るって言ってた」

「一度玄関を開けたから、今後は勝手に寝室まで入っていいという理屈か。配信で見せたのは、僕らが選んだ時間と場所だけだ」

僕は予定表を裏返した。

台本なし配信は、僕たちが自分で決めた。丁寧な口調を捨て、黒馬の分からなさも隠さず、王子様を壊すために素顔を見せた。

その結果、過去最高の反響と一緒に、学校は僕らの素顔へ所有権まで得たつもりになった。

しかも黒馬は、配信中に余計な言葉を置いていった。

――俺は学校で笑ってる白鳥より、今の白鳥の方が好きだけど。

意味を聞けばいい。こいつなら、質問には文字どおり答える。

ただし答えを聞いた瞬間、僕が何を期待して質問したのかまで明らかになる。そんな自爆装置を自分で押すほど、僕は正直ではない。

「旧放送室は撮らせない」

「分かった」

黒馬は僕の理由を足さず、予定表を二つ折りにして透明なファイルへ入れた。

その素直さへ安堵した直後、僕はもう一つ決めた。

ここ以外では、黒馬へ本物の反応を見せない。

その日のうちに、僕たちは予定表を持って広報室へ行った。

「旧放送室での撮影には同意しません」

僕が外向きの声で告げると、久世副校長は赤い丸へ視線を落とした。

「候補として挙げただけですよ。先日の配信で、君たちは普段に近い姿を見せてくれました。視聴者からは、二人が自然に話す場面をもっと見たいという声が多くてね」

「配信は、僕たちが内容を決め、カメラがあると分かった上で行いました。待機場所での会話とは条件が違います」

「隠し撮りをするつもりはありません。事前に説明し、君たちにも確認してもらいます」

「説明されれば私的な会話が公的な素材へ変わるわけではありません」

副校長は怒らなかった。むしろ僕が幼い境界線へ固執しているように、わずかに眉を下げた。

「分かりました。旧放送室は、ひとまず撮影対象から外しましょう。ただ、昼休みや下校時は、ほかの生徒も過ごす通常の学校生活です。そこまで特別に構えなくてもよいと思いますよ」

私的な場所を一つ守った代わりに、残りの日常は共有部分として明け渡せということらしい。

黒馬は広報室を出てから、僕へ聞いた。

「ひとまず、って、あとでまた撮る?」

「撮らせない」

「俺も嫌だって言う」

短い返事が頼もしかった。だからこそ、その隣で気を緩める瞬間だけは、学校へ一秒も渡したくなかった。



翌日の昼休み、食堂脇のテラスへカメラが入った。

「今回は、お二人の自然な昼休みをお願いします」

久世副校長はそう言ってから、僕たちの椅子を十五センチ近づけた。

「話題は夏休みの予定で。黒馬君から質問し、白鳥君は一度中庭の方を見てから答えてください。黒馬君は白鳥君の返事を聞く時、少し体を向けて。お二人ともカメラは意識しないように」

自然は、話題と位置と視線を指定して初めて発生するらしい。学校の敷地内では、雑草にも発芽時刻が配られているのだろう。

撮影が始まった。

「白鳥、夏休みは何する」

「特に予定はない」

「撮影がある」

「それを予定へ数えたくないだけだ」

黒馬の口元がわずかに緩んだ。

以前なら、僕も笑っていたかもしれない。

カメラの赤いランプが、その小さな変化を狙っている。僕は中庭へ視線を逃がし、表情を動かさなかった。

「白鳥君、もう少し黒馬君を見てもらえますか」

「自然な会話では、相手の顔を見続けませんよ」

「では、返事の最後だけで結構です」

僕は指定された瞬間だけ黒馬を見た。鏡の前で作るのと同じ、意味のない視線だった。

その日から、撮影範囲は順調に増殖した。

廊下で偶然会う場面を撮るため、僕らは別々の教室から同時刻に出された。体育館前では、練習へ向かう黒馬を僕が見送る「日常」が三度撮り直された。下校撮影では、いつも使わない正門まで並んで歩かされた。

カメラが回っている間、僕は必要なことしか言わなかった。黒馬が曖昧な指示へ首を傾げても助け舟を出さず、笑いそうになれば先に目を逸らした。

撮影が終われば、さらに距離を取った。

一緒に旧放送室へ向かっている姿まで「撮影候補」にされかねない。僕は別の階段を使い、廊下で呼ばれても立ち止まらず、下校撮影の終了後は黒馬が靴を履き替える前に昇降口を出た。

守るべきものを見せないためだ。

何を守っているのか、本人へは言えなかった。



終業式の前日、旧放送室へ入ると、黒馬は壁側のいつもの席に座っていた。

僕が扉側の椅子を引く前に、聞かれる。

「白鳥。俺、何かした?」

「何もしていない」

「撮影中は近づけって言われる。終わったら、白鳥は離れる」

「公私を分けているだけだ」

黒馬は首を傾げなかった。意味が分からない時ではなく、答えを受け取っても納得できない時の顔だった。

「前は、廊下で会ったら一緒にここまで来た」

「状況が変わった」

「配信で、俺が好きって言ったから?」

呼吸が一拍止まった。

こいつは人の言葉の裏を読めないくせに、呼吸だけは見逃さない。

「お前の不用意な一言を、僕が重大事件として扱っているとでも?」

「分からないから聞いてる」

「なら、違う」

「何が違う?」

一つ答えれば、次の質問が来る。黒馬は曖昧さへ遠慮しない。

本物の反応を学校へ渡したくない。お前の隣で気を抜く自分を撮らせたくない。配信で言われた言葉を、僕だけの意味にしたい。

どれを口にしても、好意の輪郭が出る。

「撮られていない時まで、僕と一緒にいる必要はないだろ」

黒馬の目が、わずかに細くなった。

「必要だから一緒にいたんじゃない」

責める声ではなかった。だから余計に、逃げ道がなかった。

僕は同盟ノートを開くふりをした。

「部活へ行け。遅れるぞ」

黒馬はしばらく動かなかった。

やがて椅子を戻し、スポーツバッグを肩へ掛ける。

「分かった。外では、近づかない」

厚い扉が閉まる。

守るために置いた距離が、本人の言葉で境界線になった。



夏休み最初の撮影は、空いた教室で行われた。

配信後の変化について答える短いインタビューだった。黒馬は部活着、僕は制服姿で、窓際へ並ばされた。肩は触れていない。

「黒馬君は、白鳥君のどちらの姿が本当だと思いますか」

「どっちも白鳥です」

「学校で笑っている姿と、毒舌な姿の両方が?」

「はい。白鳥が選んで使ってるなら、両方です」

台本にはない答えだった。

僕は横を見なかった。見れば、何かが顔へ出る。

「はい、終了です。ありがとうございました」

カメラの赤いランプが消えた。黒馬は練習へ戻るため、先に教室を出た。窓際の椅子には、部活用の黒いタオルが残っている。

小野寺が三脚の横で音声機材を片づけながら、ためらいがちに聞いた。

「白鳥先輩。今の黒馬先輩の答えも、配信の『好き』も、撮影向けに考えた言葉だと思いますか」

「黒馬に、そんな器用な計算ができるように見える?」

「見えません。でも、久世副校長は『視聴者が求める言葉を自然に出せる』と……」

「黒馬は本当に何も考えていない。だからあいつの言葉は嘘じゃない」

言ってから、小野寺の手元で緑のランプが点滅していることに気づいた。

彼女も同時に見下ろし、顔色を変えた。

「すみません。送信機を止める前でした。今の会話も、撮影音声の続きに入っています」

「消せる?」

「編集用の複製からは外せます。でも、元データは消しません。使わない部分も含めて撮影単位で保存しないと、どこで切ったか確認できなくなるので。カメラ映像と外部音声は、日付ごとの原本として一式で残しています」

緊張で声は速いが、最後だけは明確だった。小野寺は音声ファイル全体を〈未編集・原本〉のフォルダへ保存した。

ふと窓際を見ると、さっきまであった黒いタオルが消えていた。黒馬が取りに戻ったのだろう。廊下の足音にも気づかなかった僕は、それ以上考えなかった。

そこへ、廊下へ出ていた久世副校長が戻ってきた。

「何かありましたか」

小野寺が事情を説明すると、副校長は音声を最初から確認させた。

僕の声が、小さなヘッドホンから漏れる。

〈黒馬は本当に何も考えていない。だからあいつの言葉は嘘じゃない〉

「これは使えますね」

副校長が穏やかに言った。

「前半だけなら、素顔の白鳥君らしい率直さが出ます」

「後半まで含めて一文です」

「もちろん、全文にはそういう意味があります。ただ、短い予告では印象的な箇所を抜き出すことも必要です」

「意味が反対になります」

小野寺が言った。早口ではなかった。

副校長は彼女を責めず、困った生徒を諭すように微笑んだ。

「反対にするのではありません。二人の関係にある揺れを見せるだけです。公開前には本人確認を行います」

その日の夜、確認依頼より先に通知が来た。

学校公式へ、新しい短編動画が投稿されている。

〈白王子が黒王子を見下していた? 素顔密着で見えた本音〉

再生すると、撮影後の僕の声が流れた。

〈黒馬は本当に何も考えていない〉

そこで音声は切れた。

続くはずの言葉は、最初から存在しなかったように消されている。僕は反射的に画面を録画し、投稿時刻が表示された状態で保存した。公開前確認の連絡は、一件も届いていない。

公開通知の宛先には、僕と黒馬の名前が並んでいた。

僕が守るために隠した本心より先に、切り取られた嘘が黒馬へ届いた。