【終点】
「ほんまに良かったの?」
子安町行きの電車は人がほとんどいなくて、いつか水族館に行った時の混雑とは比べものにならない。
「うん、決めた。僕は子安に戻る。自分で考えて納得できた。シアンが僕を大阪に連れてきてくれたおかげ」
「そっか」
「僕は子安に戻るけど、でも、次の贄にも選ぶ機会をあげてほしいと思ってる」
「うん、イサミに掛け合ってみよう」
あれ? シアン、イサミおじさんのこと、親父って呼んでなかった?
隣に座るシアンの顔をのぞきこむと、なに、と視線で問われた。
「イサミおじさんのこと、名前で呼んでた?」
「ああ、僕の中にだいぶ子安神の記憶が入ってきてる。それに引っ張られたみたい」
少しずつ、シアンも変化している。でも、僕だって変わっていってる。
「不安?」
「ううん。カンジ君に対する気持ちは変わらん。これが僕の核なんやと思う。ここがゆらがんのやったら、怖くない」
さすがに照れるので、軽くシアンをどついておく。
「それにしても、決断が急でびっくりした。一週間ぶりにバイト行って、帰ってきたら辞めてきたって言うんやもん」
すみませんが僕ーー、辞めます。
あの事件の直後、カンジはバイトを辞めた。正確には、その時点で入っていたシフトを全てこなしてから辞めたのだが、周囲に与えた衝撃は大きかったようだ。
「あの日、急にいろんなことが見えたんやもん」
時間のせいでハイテンションになっていたのもあるかもしれない。
そういえばあの後、消息不明になっていた堀から、桑久保に連絡があった。
店長が逮捕されたという桑久保のメッセージに対して、「なんで?」と一言。堀がお金に気づいて細川にやり返したにしては、あまりにおかしな返答だ。
違和感を覚えた桑久保が鞄の中をチェックするよう促したところ、なんと堀の鞄からお金が出てきた。
「これって店から俺への慰謝料⁉︎ ラッキー!」
と喜ぶ堀をよそに、カンジ達は困惑した。
なくなったお金が、二カ所から出てきた。お金が倍に増えている。桑久保と高峰と一緒にさんざん頭をひねったが、答えは出なかった。迷宮入りだ。
ちなみに堀はそのお金を持って飛んだ。もう帰魚来には現れないだろう。
「あのさ、子安神の記憶でちょっと気になることがあるんやけど言っていい?」
「え、何?」
「カンジ君の名前のこと」
カンジの名前は、子安神が付けた。甘くて栄養たっぷりの「甘滋」と。カンジは、元々自分の名前が好きではなかった。だって、なんだか古くてダサいと思っていたから。
「まるで餌みたいな名前を付けて、カンジ君を傷つけたんちゃうかって、ちょっと思ってたみたい」
「もっと前にそれ聞いてたら、じゃあもっと今風のかっこいい名前にしてって言ったかも」
今でも、響きは古くさいしちょっとダサいと思っている。でも今は知っている。
「我が身が滅んでもいいくらい愛しくて大切な存在のこと、ハニーって言うねん。甘くて、栄養いっぱいの蜂蜜。だから僕は、この名前を餌みたいやとは思わへんよ愛してもらったって、ちゃんとわかってる」
大阪留学は、いろんな人に出会って、いろんなことを学んだ。これも、そのうちの一つ。
「良かった……。大切で、愛おしい気持ちは本当やから」
重すぎても、捕食者のように残酷な面はあっても、カンジのことが大切という気持ちに嘘はない。
「あ〜、大阪、長かったような、短かったような。シアンはどう、長かった?」
「僕は短かったかな。最初に大阪駅に着いたのが昨日のことみたい」
「じゃあ僕は長かったな。かなり前のことに感じるもん。あとさ、預金通帳見てたら、頑張った自分の形跡が見えて面白いなぁって思う。自分で稼いでさ、こんな風に目で見えるのって楽しくない?」
カンジは鞄から通帳を取り出してパラパラ眺める。人のいない電車だからできることだ。大阪でやったらシアンに怒られるだろう。
「なぁ、シアンのも見してよ、交換」
大阪で生活していた歴史みたいなものが、通帳には刻まれている気がする。おおげさかもしれないが。
シアンは少し考えるそぶりを見せたが、通帳を渡してくれた。
「はい」
「交換な」
通帳をパラパラとめくっていく。少しずつ残高が積み重なっていくのは、やっぱり歴史っぽい。
あれ、なんやろこの出金。
そこには、とても印象深い数字が記載されていた。
201,551円。匂い、蓬莱ーー。
これは……。事件の真相は神のみぞ知るということか。まぁ、許せなかったのだろう。
重くても、残酷な面はあっても、受け入れるよ。限度はあるかもしれんけど。
「ありがとう、見せてくれて」
「ううん、こちらこそ」
電車はもうすぐ、終点ーー子安町駅に着く。
*
飼い犬に選挙権を与えた方が良いという方はいないと思います。……いませんよね?
はいはい、無理に手をあげていただかなくて結構ですよ。
では、贄に選択権を与えた方が良いという方は?
はい、ありがとうございます。半分くらいですね。
(子安町役場保存、『贄の倫理に関する講演会』より抜粋)
因習村で贄やってるけど思春期なので外に出ます 完
「ほんまに良かったの?」
子安町行きの電車は人がほとんどいなくて、いつか水族館に行った時の混雑とは比べものにならない。
「うん、決めた。僕は子安に戻る。自分で考えて納得できた。シアンが僕を大阪に連れてきてくれたおかげ」
「そっか」
「僕は子安に戻るけど、でも、次の贄にも選ぶ機会をあげてほしいと思ってる」
「うん、イサミに掛け合ってみよう」
あれ? シアン、イサミおじさんのこと、親父って呼んでなかった?
隣に座るシアンの顔をのぞきこむと、なに、と視線で問われた。
「イサミおじさんのこと、名前で呼んでた?」
「ああ、僕の中にだいぶ子安神の記憶が入ってきてる。それに引っ張られたみたい」
少しずつ、シアンも変化している。でも、僕だって変わっていってる。
「不安?」
「ううん。カンジ君に対する気持ちは変わらん。これが僕の核なんやと思う。ここがゆらがんのやったら、怖くない」
さすがに照れるので、軽くシアンをどついておく。
「それにしても、決断が急でびっくりした。一週間ぶりにバイト行って、帰ってきたら辞めてきたって言うんやもん」
すみませんが僕ーー、辞めます。
あの事件の直後、カンジはバイトを辞めた。正確には、その時点で入っていたシフトを全てこなしてから辞めたのだが、周囲に与えた衝撃は大きかったようだ。
「あの日、急にいろんなことが見えたんやもん」
時間のせいでハイテンションになっていたのもあるかもしれない。
そういえばあの後、消息不明になっていた堀から、桑久保に連絡があった。
店長が逮捕されたという桑久保のメッセージに対して、「なんで?」と一言。堀がお金に気づいて細川にやり返したにしては、あまりにおかしな返答だ。
違和感を覚えた桑久保が鞄の中をチェックするよう促したところ、なんと堀の鞄からお金が出てきた。
「これって店から俺への慰謝料⁉︎ ラッキー!」
と喜ぶ堀をよそに、カンジ達は困惑した。
なくなったお金が、二カ所から出てきた。お金が倍に増えている。桑久保と高峰と一緒にさんざん頭をひねったが、答えは出なかった。迷宮入りだ。
ちなみに堀はそのお金を持って飛んだ。もう帰魚来には現れないだろう。
「あのさ、子安神の記憶でちょっと気になることがあるんやけど言っていい?」
「え、何?」
「カンジ君の名前のこと」
カンジの名前は、子安神が付けた。甘くて栄養たっぷりの「甘滋」と。カンジは、元々自分の名前が好きではなかった。だって、なんだか古くてダサいと思っていたから。
「まるで餌みたいな名前を付けて、カンジ君を傷つけたんちゃうかって、ちょっと思ってたみたい」
「もっと前にそれ聞いてたら、じゃあもっと今風のかっこいい名前にしてって言ったかも」
今でも、響きは古くさいしちょっとダサいと思っている。でも今は知っている。
「我が身が滅んでもいいくらい愛しくて大切な存在のこと、ハニーって言うねん。甘くて、栄養いっぱいの蜂蜜。だから僕は、この名前を餌みたいやとは思わへんよ愛してもらったって、ちゃんとわかってる」
大阪留学は、いろんな人に出会って、いろんなことを学んだ。これも、そのうちの一つ。
「良かった……。大切で、愛おしい気持ちは本当やから」
重すぎても、捕食者のように残酷な面はあっても、カンジのことが大切という気持ちに嘘はない。
「あ〜、大阪、長かったような、短かったような。シアンはどう、長かった?」
「僕は短かったかな。最初に大阪駅に着いたのが昨日のことみたい」
「じゃあ僕は長かったな。かなり前のことに感じるもん。あとさ、預金通帳見てたら、頑張った自分の形跡が見えて面白いなぁって思う。自分で稼いでさ、こんな風に目で見えるのって楽しくない?」
カンジは鞄から通帳を取り出してパラパラ眺める。人のいない電車だからできることだ。大阪でやったらシアンに怒られるだろう。
「なぁ、シアンのも見してよ、交換」
大阪で生活していた歴史みたいなものが、通帳には刻まれている気がする。おおげさかもしれないが。
シアンは少し考えるそぶりを見せたが、通帳を渡してくれた。
「はい」
「交換な」
通帳をパラパラとめくっていく。少しずつ残高が積み重なっていくのは、やっぱり歴史っぽい。
あれ、なんやろこの出金。
そこには、とても印象深い数字が記載されていた。
201,551円。匂い、蓬莱ーー。
これは……。事件の真相は神のみぞ知るということか。まぁ、許せなかったのだろう。
重くても、残酷な面はあっても、受け入れるよ。限度はあるかもしれんけど。
「ありがとう、見せてくれて」
「ううん、こちらこそ」
電車はもうすぐ、終点ーー子安町駅に着く。
*
飼い犬に選挙権を与えた方が良いという方はいないと思います。……いませんよね?
はいはい、無理に手をあげていただかなくて結構ですよ。
では、贄に選択権を与えた方が良いという方は?
はい、ありがとうございます。半分くらいですね。
(子安町役場保存、『贄の倫理に関する講演会』より抜粋)
因習村で贄やってるけど思春期なので外に出ます 完
