【告白】
水族館の出口付近で、自動販売機とベンチを見つけた。どことなくさびれていて、あまり利用されてなさそうだ。
外に出ればキッチンカーが何台も止まっていてオシャレなドリンクが買えるし、薄暗い水族館からみると余計にキラキラして見えるんだろう。
お見送り用の水槽も小さくて、誰にも注目されていない。カンジとシアンは、安心してベンチを占領することにした。
「あーあ、カンジくん、ここまで考えてたんやね。そら一日中ため息もでるよなぁ」
「あッ! ため息の理由はちょっと別なんやけど」
「えっ、別なん⁉︎」
「まぁそれはおいおい話すとして、シアンの方から聞かせてほしい」
ため息の原因になった夢はシアンの秘密と完全に無関係ではないし、先にシアンの話を聞いた方がいいはずだ。
シアンは話すと決めたものの、どこから話すべきか悩んでいるようだった。
「めっちゃ少食な理由からはどう?」
「いや、それは唐突っていうか、カンジ君びっくりするとおもうから」
「じゃあよなよな僕の部屋に来てた理由は」
「いっ、いいなりそこ……⁉︎」
「かーっ! 時系列で最初から話せよもう」
メニューを決められない女子みたいな優柔不断さを発揮するシアンに笑ってしまう。今まで見なかった姿だ。
「最初からね……」
結局それが一番速いと思ったのか、シアンはゆっくりと話し始めた。
「直接のきっかけは、あの記者、杉本やったと思う。子安町には選択がないって指摘されてショックやった。でもその前から、カンジ君が当然のように贄として扱われてるのをみて違和感はあった」
記者と会った日のことを思い出す。たしかにあの日、シアンはカンジに問いかけた。「贄のこと、どう思ってるん?」と。
「シアンが養子って知ったのもその時やったな」
「そう。守村として認められてないんちゃうかとか、そんなことでもいろいろ悩んでた」
複雑な生まれで悩んでたところに、記者から嫌な指摘をされて、かなり精神的に辛かっただろう。
「そんなとき、カンジ君が直接親父に聞いたらいいって言ってくれて」
「確かに言ったわ」
カンジがお茶を一口飲む。でも、そのあとシアンが実際に尋ねたのかどうかは聞いていなかった。
「そんで僕、ぜんぶ親父に言うた。杉本のことも、養子のことも、カンジ君のことも。親父はできる範囲で答えてくれて、やっぱりカンジ君の言うとおりにしてよかったと思った」
シアンの養父、イサミは答えられることは全て答えてくれた。
杉本の批判に対するイサミの考えを聞かせてくれたし、シアンは養子だけど大切だという気持ちも語ってくれた。そして二十歳になったら大切な役割があることも教えてくれた。だから今は子安神様に会えないのだと。
でも、カンジの扱いに関してはイサミ自身の意見を言わなかった。
それでもカンジにだって選ぶ自由があるはずだと訴えたら、こう提案したのだ。「子安神様に会ってみるか」と。
カンジは唾を飲み込んだ。
「それで、会うたんか」
カンジの手のなかの缶ジュースがペキリと音を立てた。
「うん。僕、子安神に会った瞬間に全部わかってん」
あの時の衝撃を、シアンは忘れることができない。頭の中に子安神の記憶が流れ込んできた。
ーー自分と、目の前の神が同化する感覚。
「カンジ君、僕な、二十歳になったら子安神になるねん」
はたちになったらこやすがみになるねん。
カンジの耳に音だけが響く。
は? 意味わからんけんけど。
そう思うと同時に、ある種の納得もある。シアンの食事量の少なさは、とっくに人間離れしている。
神ならば、人間の食事をしなくても平気だろう。神ならば、親がいないのも頷ける。神ならばーー。
カンジから美味しそうな匂いがする。
カンジの中で全てが繋がっていく。
「なんで……」
カンジはそう言ったものの続きが出てこなかった。自分が何を聞こうとしたのかわからない。
「カンジ君、ジュース落ちそうになってるよ」
呆然として手から力が抜けていた。うまく力が入らないのを見て、シアンが缶を引き取ってくれる。
シアンは優しいから。シアンは優しいから、こんな重い秘密を自分だけで抱えていた。カンジが自由に将来を選択できるように。
「こんなん、いちばん自由じゃないの、シアンやん」
シアンがいちばん大変やん。
外の世界を見て、カンジが納得のいく選択をできるように、シアンはそのためにずっと動いてくれていたのに。
「シアンがいちばん大変やのに、僕のことやってる場合なん」
「カンジ君、僕のこと心配してくれるん? ありがとう」
「だから、そんなん言ってる場合じゃッ……」
シアンがカンジを覗き込む。優しく弧を描くシアンの目の奥に、わずかの狂気が見えた。
「僕はきっと、カンジ君が思ってるような人間じゃない。いや、カンジ君が思ってるより人間じゃないんよ」
「どういう、こと……?」
「自分が次の神やと知って、僕が最初に感じた感情が何かわかる? 嬉しいって気持ち。カンジ君が贄で嬉しい。伴侶にできて嬉しいって気持ち」
シアンの目は狂気と一緒に、後悔も映していた。
「カンジ君の自由を奪うことの恐怖よりも、真っ先に嬉しかった」
これはシアンの懺悔だ。
「カンジ君を僕のものにしたいと思った」
おいしそうなカンジ君が自分のものになるのが待ち遠しいと。おぞましい捕食者のような考えを抱いた自分にシアンはゾッとした。自分を恥じ、そして誓ったのだ。カンジには、絶対に自由に将来を選ばせると。
「なぁシアン、お前さぁ、たしかに人間じゃないかもな」
シアンの胸に痛みが走る。カンジにおぞましい捕食者だと思われることは覚悟していたはずだったが、いざそう言われるとキツイ。
うなだれるシアンだったが、突然ふわりといい匂いに包まれた。
「普通の人間はさ、そこまで抱えきれんて」
カンジの手が、シアンの背中をポンポンとたたく。
「ちょっと人間超えてるわ」
「僕が、怖くないん?」
断罪を待っていたはずなのに、カンジに抱きしめられている。
「怖いわけないやん。シアンはさぁ、どんだけ僕に優しいか自分でわかってないん」
カンジの笑った振動がシアンに伝わる。それが温かくて、気持ちよくて、興奮していた体が落ち着いていく。
シアンの緊張が少し緩んだのをみて、カンジの腕がほどけていった。
「今の話きいてちょっとおもったんやけど、僕もちょっと人間っぽくないかも」
シアンがギョッとする。
「僕がため息止まらんかった理由なんやけど、あれ、夢のせいやねん」
「夢?」
「うん。シアンの夢をみて」
「それって、僕がでてきたから悪夢でってこと……?」
全てをネガティブに解釈するシアンがちょっとおもしろい。自分のことを恐ろしい存在だというシアンが、小さくなって怯えているのはコメディにも思える。少なくともカンジには、ちっとも恐ろしい存在には見えない。
シアンを安心させてくて、ゆっくりと首を振った。そして、そのまま、首に手を添える。
「僕さ、シアンにここ、噛まれる夢みて。食べられるって思った瞬間ーー」
カンジは決意をこめて息を吸った。
「ーーすごい、嬉しかった」
シアンに食べられて、シアンを満たす喜びが体を貫いて目覚めた朝、自分の考えが信じられなかった。
「これってさ、人間っていうか、贄よな?」
「ち、ちが……」
「うん。でも僕は、贄だけじゃない。僕は贄やけど、それだけじゃない、いろんな選択ができる、僕っていう存在なんよ。シアンがそういって、ここまで連れてきてくれたんやんか」
シアンの一部を切り取って人間じゃないと言うのなら、カンジだってそうだ。
でも大事なのは、そんな一部じゃない。
「シアンは全部でシアン。神様になるとしても、シアンはシアンで、優しくて、僕を優先してこんなに抱えこんでるのがシアンやん」
あれ、僕いま何回シアンって言ったやろ。
「僕はちゃんと考えるよ。シアンの気持ちは受け取った。自分が将来どうするか、子安をどうするか、ちゃんと考える」
シアンはやっと、いつもみたいに笑った。
水族館から出たら、外は猛烈に眩しくてムスカ大佐みたいになった。
「うわっ、まぶしっ。目が、目があぁ」
カンジがムスカ大佐のモノマネをする横でシアンがサボっていたので、有名なあのセリフを言わせてみる。
「人間がゴミのようだよ」
「なんかシアンがいうとシャレにならんな……。神様ジョークやん」
「カンジ君が現実を受け入れすぎなうえにネタにしてる……」
カンジはちょっとハイテンションのまま帰りの電車に乗り込んだ。やっぱり、駅とか電車ではシアンが注目を集めている。しかし当のシアンはなぜかカンジをじっと見ている。
「なに?」
「今日の夕飯なんやけど、カンジ君のバイト先に行ってもいいかなって」
シアンが遠慮がちに提案する。カンジとしては大歓迎だ。
「行こう行こう! いつも僕の失敗作しか食べてないもんな。美味しいやつ食べよ」
「いつものんも美味しいからね」
シアンがすかさず訂正を入れてくる。カンジが軽く流して時計を確認すると、ちょうどもうすぐ開店時刻だった。
「今の時間やったらすいてるし、このままいくか」
駅から歩いて居酒屋「帰魚来」へ向かう。ふたりでこの道を歩くのは二度目だ。
一度目は面接の時。方向音痴のカンジが迷うわないように、シアンがついてきてくれた。でも、今までバイト先に来ることはなかった。
カンジを伴侶にしたい、自分のものにしたいという思いを抱えていながら、必要以上に踏み込むことはしなかった。
カンジの邪魔にならないようにと言って、わざわざ別の仕事を選んで身を引いていた。
今日、シアンが帰魚来に行きたいと言ったのは、シアンなりに一歩踏み込んだ行為なのだろう。
カンジはそれが嬉しかった。
「ついたで」
店の戸を引くと、なかのざわめきはまだ小さめで、店員の声も心もちゆったりしていた。
「いらっしゃいませ。何名さま……て、守田君やん! わぁいらっしゃい」
「あれっ、店長今日はホール出てるんですか」
「うん。今日は休みの予定やってんけど色々あって出てきて、そのままおる」
「それはお疲れさまです」
さゆりに案内され、テーブルへ通してもらう。
「地元の友達? 仲良しやね。今日はテナガが入ってるけど、これはちょっと高いから……、太刀魚がおすすめ。あとは安定のアジ」
さゆりのおすすめを注文して待っていると、奥から派手な金髪がやってくるのが見えた。
「守田君来てるって聞いたからこr渡そうと思って」
堀の手には、年季の入ったCDプレイヤーが握られている。これでHoneyTuneの曲を聞くんやでとカンジに手渡したあと、向かいに座っているシアンを見て素っ頓狂な声を上げた。
「エッ! 守田君の友達⁉︎ ヤッベどこの人⁉︎」
「子安町から一緒に出てきた友人ですけど」
「はじめまして、守村シアンです」
シアンが軽く挨拶すると、堀はさらにテンションを上げた。
「クッソイケメンやん! まだどこの事務所にも入ってないの⁉︎」
「えっと?」
シアンがちょっと引いている。
「ジュノンいけるって! 子安町の神秘的美少年ってコピーでグランプリ獲れる。ビジュ強い、ヤベェ。ビジュ担でいいからHoney Tune入って欲しい。守村君、どう、音楽やらん⁉︎」
「いやあの、ちょっとカンジ君? ねぇ笑ってんと止めて」
「シアン、堀さんは音楽のことを愛するハニーと呼んではばからない人で、ハニーのためならこの身が滅んでもいいらしいから僕では止められへん」
カンジが説明すると、堀がきらりと目を光らせ、今度はカンジに突進してきた。
「守田君……、俺のことめっちゃ覚えてるやん‼︎ ファンか? ファンになってもうたか?」
「こらぁ堀、いつまで油売ってんの」
堀の勢いにちょっと困っていたら、高峰が料理を運んできてくれた。アジフライの匂いが香ばしくて唾液がわいてくる。
「あっ、シアン、僕の教育係の高峰さん。めっちゃお世話になってます」
「そうなんや。高峰さん、いつもありがとうございます」
「子安町って、出生率だけじゃなくて教育も日本一なん? 礼儀正しすぎるんやけど」
高峰の感覚はもっともだ。子安町民のサンプル数が二で、その二人がたまたま神社やら儀式やらで礼儀を仕込まれた二人だったのだから。
高峰はたんとお食べといいながら料理を並べてくれる。
「そういえば堀、あの話はもうしたやんな?」
「アッ、ごめんまだ……。ヤメテッ! 使えねえなって顔するのヤメテッ!」
高峰は少し声をひそめた。
「ゆりちゃん店長、異動やねんて。帰魚来が東京進出するらしくて、その店長に抜擢されてん」
さっきさゆりが色々あって休日だけど出てきたと言っていたのはこういう事情だったのか。
東京店の店長ということは実力を買われても栄転だろうが、いなくなってしまうのは悲しい。
「ゆりちゃん店長なしでやっていけるか不安やわ」
高峰の気持ちはカンジにもよくわかる。さゆりは店にとって本当に重要な人だったから。
「寂しくなるね」
カンジがしんみりすると、高峰がハッとして明るく言った。
「ごめんごめん、とりあえず大ニュースやから知らせとこと思って。今日はおいしいのいっぱい食べていってな」
高峰はそういうと、お盆と堀を回収して帰った。
「店長さん、変わっちゃうんやね」
シアンがアジフライをかじって、そのフカフカ加減に驚いている。できたては偉大なのだ。
ほんのわずかなやり取りではあったが、シアンにもこの店の空気がよくわかった。その空気の中心が店長のさゆりであることも。
「店長にとってはおめでたい話やと思うけど、残念や。変わってほしくない」
カンジはポロリと本音をもらした。
それでも、全ては流れ、変わっていく。たとえ、この優しい時間がずっと続いてほしいと思ったとしても。
