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「ちょっと、バックヤード汚すぎる! 今日の午前、きっちりマネが来るんだから早く片付けて。これじゃ絶対言われるから」
「やば、今日か。午前って何時?」
名古屋にある栄店のバックヤードに入った瞬間に飛び込んだのは、私に関する話題だった。会話をしていた二人の顔が凍り付く。空気が読めなくて申しわけがないが、きっちり約束の時間十一時で、扉を開いた瞬間に発された言葉だったから不可抗力だ。
「おはようございます」
千里は〝せんり〟と読むが、同期が〝ちり〟と読み間違えたこときっかけで、裏できっちりマネと呼ばれていることは知っている。
「せ、千里マネージャー! おはようございます! 東京からお疲れ様です」
店長の吉田さんが、今度は〝千里マネージャー〟と呼んだ。
「本日はよろしくお願いします。十一時台にご予約は?」
「いえ、入っていません!」
「それでは先に店舗チェックから始めますね」
「はい、よろしくお願いします……!」
私は肩にかけていたトートバッグからミニバインダーとボールペンを取り出すと、店内に戻る。
「今のうちにバックヤード見えるところ整理しておくよ!」
裏から吉田さんの元気な声が聞こえる。お客様が店内にいないからいいものの……。まあ彼女のそういうところは慕われる要因なのだろう。咎めるほどのこともない。私はそう考えて、店内をぐるりと見渡した。
宝石箱の隠れ家をイメージした店内は、天井は低めに抑えられ、アイボリーの壁に柔らかい間接照明が優しく照らしている。
中央には正方形のガラスショーケースがあり、中にはリング、ネックレス、ピアスなどアクセサリーがひとつずつ丁寧に飾られている。
アクセサリーショップというより、こぢんまりとしたカフェという印象が強い。ショーケースの奥にはソファ席のテーブルが五つ並んでいる。各席の近くには、美術品のようにアクセサリーが飾られていて、世界観が綿密に作りこまれた設計だ。
私が勤めている会社は、アクセサリーブランド・Eclate。百貨店ではなく路面店への出店をこだわった『宝石箱の隠れ家』。世界でたった一人のためだけ、とオーダーメイドを売りにしているが、高級アクセサリーショップよりいくらか手が届きやすい価格帯だ。各店舗にデザイナーがいて特別なオリジナルを作る、というブランド戦略はうまくいっており、主にブライダルリングや自分へのご褒美として支持されている。国内大手アクセサリーブランドと並ぶ店舗数で、全国に三十店舗ほど展開がある。
私は三ヵ月前から、店舗統括マネージャーに就任し、二週に一度はこうして各エリアを回っている。今回は中部エリアの日で、栄店の視察とエリア会議の後に宿泊。翌日は岡崎店と名古屋駅店とまわり、東京に戻るのが今回のスケジュールになっている。
各店舗のディスプレイや在庫を確認しつつ、業績や各エリアの施策を店長たちと打ち合わせをする、というのが主な目的だ。
店内を一通り確認してから店先に出た。栄店は淡いグリーンの壁を植物や花のモニュメントが覆っている。各店舗違う外観は物語性があり、通りすがりの人の目を惹く。壁に取り付けられた小窓から店内は見えず、代わりにアクセサリーがアート風に飾られている遊び心があるのだが……ボールペンを持つ手が止まる。
このウィンドウディスプレイに飾るものは全店舗で共通しているはずだが、私の知らないデザインのリングが飾られていた。
「あ、それ、うちのイチオシなんです」
バッグヤードに戻ってすぐに確認すると、吉田さんにさらりと返される。
「ウィンドウディスプレイは規定で決まっています。今は3wayペンダントを押し出しているはずですが……」
「それはそうなんですけど、指定のものより、こっちの独創的なリングの方がお客さん受けもいいんですよ。だってうちの売りってオーダーメイドですよ? 足を止めてくれた方にこんなのも作れるんですよって話にも入りやすいですし。栄店はこれが合ってるんです」
「これ、ストーリーもしっかりあるんですよ! 男性は鍵モチーフにしていて――」
吉田さんの隣にいたアクセサリーデザイナーが身を乗り出して語り始めた。彼のデザインも語るストーリーも確かに面白い。だけど……。
「アートデザインは全国共通です。額縁や小物もこのペンダントに合わせて制作しています」
「小野木さんはいいじゃんいいじゃんって言ってくれてましたけどね」
「外観は実際に来店する方だけではなく、未来に向けたブランディング広告でもあるのです。顔となるアイテムを置かなくては」
吉田さんは深くため息をつき、隣のデザイナーと視線を合わせてから頷いた。
「小野木さんに確認してもらえませんか? 小野木さんも同じ意見なら、変更しますから。私から小野木さんにディスプレイの意図もメールしておきます」
私に何を言っても無駄だと判断したのだろう。
吉田さんは私より勤続年数が長く、五年間店長を務めている。
「わかりました。社に戻り検討します」
返答にひとまず満足したのだろう。「店舗にそろそろ戻るので」と吉田さんはバックヤードを出ていった。デザイナーもちらりと私の顔を見てから店舗に戻っていく。
私が彼らにどう思われているかはわかっている。
――現場のことなんて何も知らないくせに。
新卒入社後、半年ほど研修で店舗スタッフは経験したものの、ずっと本社の事業戦略本部で働いている。売上やWEBマーケティングなど、数字が出る仕事とは相性がよく成果も出ていたが……店舗の経験がない私が店舗統括マネージャーになれたことがおかしいのだと自分でも思う。
前任で私の上司である小野木さんは店長、エリアマネージャー、店舗統括マネージャーと現場からの昇進だから信頼も厚い。
小野木さんには「現場経験がないほうが、斬新な意見も出る。大丈夫」と軽く言われたけれど、今のところ現場との溝は広がるばかりな気がしてならない。
と、嘆いたところで。
今の私の仕事は店舗統括マネージャーであり、現場経験不足なのは間違いなく事実なのである。
バインダーに記入した数字を打ち込む手が止まる。……データ入力はホテルか帰宅してからでもいいか。私はノートパソコンを閉じると、店舗に一歩踏み入れた。
お客様が一組、デザイナーによってカフェスペースに案内されているところだった。どうやらデザインカウンセリングを希望しているようで、ソファに座ったお客様の前にデザイナーが座る。
私はメインディスプレイ前に立っている吉田さんの隣に立った。
「吉田さん」
「うわっ、びっくりした。いつのまに」
「私、ここから見てもいいでしょうか。彼のデザイン」
「それは構いませんけど……」
「ありがとうございます」
「あの……そんなじっと見つめないでくださいね。お客様が委縮してしまうので」
「すみません」
「じゃあ、ドリンクを聞いてきてもらえますか」
吉田さんはメニュー表を私に差し出した。
接客は大の苦手だが……やるしかない。
小野木さんに言われている。
できなくてもいい。その場で無理に解決しなくてもいい。
私に必要なことは、まず知ること。裏向きになっているカードをすべてめくる。すべて表にしてから考える。
「千里マネージャー。手が震えてますけど」
注文を受けたティーセット二つはかなりの重さがある。飲食店のアルバイト経験もないので、トレイが小刻みに震えてしまう。
「問題ありません。普段重いものを持たないので、こうなっていますが緊張しているわけではありません」
「笑顔、気をつけてくださいね」
「承知しました」
ディスプレイの鏡にうつる自分の笑顔はガチガチだったが、ひとまず吉田店長の及第点ではあったようで、栄店に滞在中お客様の接客を補助させてもらえた。
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業務のなかで苦手なものトップに位置するのは、大人数の飲み会だ。どの席に座るか、から始まって、適切なタイミングで相槌を打ち、笑う。たまには話題もふらないといけないだろう。1:1の会話ですら得意でない私にとって、最上級のコミュニケーションが試される場なのでる。
『飲み会で人を知ることで、店舗の人員配置に役立つよ』『会社の金だからうまいもの食べてきていいよ!』と小野木さんが懇親会の予定を入れてしまったものの、大変気が重い。やっぱり店舗統括マネージャーというのは、誰からも慕われていてリーダシップがあり、誰とでも話せるような――小野木さんのような――人がするべきだと思うが……。私はどう考えても、真逆の人間である。
しかし、半年後にオープンする岐阜店のオープニングメンバーや店長になりうる人の候補を立てるように、と戦略本部からミッションを課されているので、参加するしかないのだ。会話がうまくできる自信はまったくないが、人となりを観察することくらいはできるだろう。
エリアメンバーが手配してくれたのは、名古屋駅にあるイタリアン。貸し切った二十名ほどの懇親会。せめて席があるコース料理なら隅から様子をうかがえたが、バイキングで立食スタイルになると……。難易度がさらにあがり、乾杯のあとの私は壁の近くにひっそりと立つことになった。
「千里さん来るなら、もっと名古屋名物のがよかったですかね。手羽先とか」
そんな私に、名古屋駅店のひとりが声をかけてくれる。気遣いに感謝しながら応える。
「いえ、イタリアン好きです。それに名物は帰りにまとめて食べることにしてるんです」
「それならよかったです。名古屋名物もたくさんおいしいものあるので、食べて帰ってくださいね!」
彼女は「料理とってきます!」と明るい笑顔を残して去って行った。
確か彼女は個人成績もよく、社内のデザインコンテストでも賞を取っていた。私以外にも積極的に声をかけて誰にでも明るく話している。店長候補として挙げる一人に入れておこう。と思っていると、肩を叩かれた。
「仁子、お疲れ~!」
私を仁子と呼ぶのは、中部エリアでは矢田さんしかいない。私の同期で、岡崎店の店長をしている。
「お疲れ様です」
「ほんとにマネなったんだね? 仁子がマネになったって聞いてびっくりしたんだよ!」
「私が一番びっくりしています」
「ま、同期の中で一番成績いいのは仁子だからね。抜擢されるのもわかるよ。ほら、こんな隅っこにいないでご飯取りに行こう!」
彼女は同期の贔屓を引いても、店長にふさわしいと思う。こんな私にもいつも気さくに話しかけてくれるし、こまかいところまで目を配れる。矢田さんのおかげで皿の上においしそうな料理が集められた。ありがたく海鮮のマリネから食べていると、
「明日、岡崎店も来るよね」
矢田さんが小声で尋ねてきた。
「はい」
「……あのさ。岡崎店ってぶっちゃけやばいかな」
矢田さんのストレートな問いに、どう答えるか一瞬悩む。私はパブリカを飲み込んでから、言葉を返した。
「やばいわけではないですが……改善はしないといけない状況ではあるでしょうね」
率直に言って岡崎店は、営業成績が振るわない状況が続いている。Eclate唯一の郊外店で、地方都市への試みを含んでいるが、今のところ数字的にはよくない。
「閉店、とかはないよね」
「今のところはありません」
とはいえ、このまま数字が低迷したままでは、いずれ検討には入ることになるだろう。
「岐阜の出店計画、聞いちゃったんだよね……」
「岐阜出店と岡崎店は関係ありませんよ。こちらでも岡崎の数字は気にしていますが、すぐすぐ閉店はありえません」
「それならよかった。みんないい子だから、閉店は避けたくって」
「万一閉店でもしっかりサポートしますよ。名古屋や栄へ異動は可能ですし、解雇ということはありません」
スタッフを心配しているであろう矢田さんを安心させるべく言葉を選んだが、矢田さんは表情を曇らせたままうーんと呟く。
「今日、岡崎のスタッフほとんど来てないでしょ」
「確かにそうですね」
私は会場を見渡し、頭の中に各店舗のスタッフの名前を思い浮かべた。名古屋や栄店のスタッフがほとんど参加してくれているなかで、岡崎店は矢田さんと、もうひとり新人のスタッフが来ているだけだ。
「岡崎店は遠いですから、仕方ないですよ」
「まあね。実はうちのデザイナー二人は主婦なんだ。もし岡崎店が閉店になったら、名古屋や栄へ異動することはできないと思う。子持ちの主婦にとって、通勤時間三十分変わるだけでかなりでかいからね……今でもだいぶギリギリの時間みたいだから」
「なるほど……」
岡崎店のメインデザイナーに子供がいるかどうかは知らなかった。通勤時間が三十分かわるのは、私にとってはさほど大きなことではない。まわりに子持ちの友人もいないのであまり想像がつかなかった。
それでは、先ほど岐阜の店舗にどうかと考えたスタッフはどうだろうか。店長向きか、数字はどうかしか頭になく、各々の事情にまで目を向けていなかったことに気づく。プライベートのことだけでもないだろう。
しかし、岡崎店がここまで危機的感情を抱いていたとは知らなかった。
「そうでしたか……矢田さん。岡崎店は車文化と聞きますが、矢田さんはマイカー通勤ですか?」
「うん、岡崎店は駅から歩けないし」
「明日お店をスタッフに任せて、私に午前をいただくことはできますか?」
「明日のメンバーなら、午前なら大丈夫」
「ありがとうございます。それでは明日岡崎駅集合でお願いします。マイカーでお願いします」
「わかった」
矢田さんと約束を取り付けた私は頭を下げて、その場を離れた。
私には、各店舗をすぐに盛り上げる施策も思いつかないし、各スタッフがどの店やどんな職に向いているかはわからない。個人の感情を察することもできない。そもそも店長向きとは何かもわからない。個人的には数字で判断してくれる店長を希望するが、私以外の人に当てはまるわけではない。私にできることは少ない。これは理屈でもネガティブな考えではなく事実なのだ。
私ができることは、すべてのカードを表向きにすること。情報を明らかにすること。
Webマーケティングや店舗戦略と同じだ。まずはすべての数字を明らかにして並べて比較検討する。
本日のミッションは「全員と会話をしてみる」に変更。うまく会話できるかは微妙なところだが、彼らの気持ちをはかることはできなくとも、知ることならできるだろう。
頭のなかに本日の名簿を思い浮かべ、ひとりずつマーカーを引いていく。
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岡崎駅は、名古屋駅から電車で一本三十分のところにある。愛知県の中央・西三河にあり、徳川家康誕生の地しても有名だ。中心市街地は昔ながらの商店街や城下町の名残が残る一方、郊外の新しい商業施設が同居している住みやすい地方都市である。
待ち合わせ前に岡崎駅に降り立ち、私は駅周辺を一通り歩いてみた。東海地方で乗降客数は上位に入る駅ではあるが、商業施設が集まっているわけではない。
徒歩十分圏内を歩いてから、矢田さんが待つロータリーへ向かった。矢田さんが手を振るのを発見し、コンパクトカーの助手席に乗り込む。
「店に行く前に行きたいところがあるんだよね? どこに行くの?」
「岡崎で有名なショッピングモールをいくつかまわってみたいです」
「ああ、やっぱり。戦略本部はモール店舗を検討してるんだよね」
矢田さんは納得したようにうなずいて車を発進させた。
地方都市では集客のある大型ショッピングモールの中に展開するのがよいのではないか。しかしそれでは路面店で隠れ家というブランドコンセプトから外れてしまう、と意見が二分している。
「さきほど駅まわりを確認しましたが、駅周辺への出店よりは今の場所の方がいいとは思いました」
Eclate岡崎店は、岡崎駅から車で五分ほどの場所にある。西三河は自動車産業が盛んな土地柄もあるのか車文化だ。電車やバス移動ではなくどこにでも車で出かけるため、無料駐車場がある店が重宝される。駅近よりも無料駐車場にこだわった出店計画だった。
「うん。私もそう思う」
「駅まわりはブランディングにはいいんですがね……」
矢田さんの車はショッピングモールに入った。駐車場が店舗よりも広いことに驚かされたが土日はここが満車になるのだと言う。
「やはり集客はモールですね」
店舗数も多く、ここに集まれば一日過ごすことができるだろう。逆に言えば他に行く必要がない。ぶらぶらと街を歩きながら店舗を回るスタイルでないのなら、路面店は圧倒的に不利である。
しかし店舗は明るく開放的で、照明を落とした隠れ家のイメージとは真逆だった。
「総合的に考えると、今の店舗が一番いい気がするでしょ」
「はい。ただ、ブランディング広告としては意味をなしていませんね。近くに店が密集していませんし、車で通り過ぎるだけではアクセサリーショップとは気づかれません」
人通りのある場所に世界観のある建物を置くのはEclateの戦略の一つ。都市部ではそれが活かせていたが、地方都市だと難しい。通勤通学で駅を利用する人は、隠れ家のディスプレイを楽しむまではいかない。
「うん……」
矢田さんの表情が暗くなるが、元気づける一言が浮かばないのが申し訳ない。小野木さんならこういうときにうまく声をかけられるのだろう。
二つのモールをまわって、私たちはモールの中のカフェに入った。
「お付き合いいただきありがとうございました。ここですぐに改善案が出せないのは申し訳ありませんが、今後に活かせそうです。本部でも検討させていただきます」
頭を下げると、矢田さんは目を見開いてこちらを見ていた。
「すみません」
もう一度謝ると、矢田さんは手を振ってから笑う。
「あ、違うの、ごめんごめん。責めてるわけじゃないの。現場を見ただけで、改善ビタッと言えるわけなんてないし」
そう言ったあとに、矢田さんも頭を下げる。
「謝るのはこっちの方なんだ……ていうのも、正直仁子がマネージャーになって焦ってたとこあるんだ」
矢田さんはきまずそうに私を見あげた。
「仁子ってすごく合理的で数字重視でしょ。感情論を訴えて同情してくれるタイプじゃないし……岡崎店は真っ先に切り捨てられるんじゃないかって思ったの」
「気にしないでください。小野木さんから私になったのでは、店舗のみなさんが不安に思うのはよく理解できます。もっと早く気づくべきでした」
「だから仁子が現地にきて、こうやってお店のこと考えてくれるとは正直思ってなくて、ごめん。でも嬉しい」
「仕事で店に行くのは決まっていますから」
「それはね。でも駅やモールに行くのは義務じゃない。当たり前のことじゃないよ」
矢田さんに微笑みかけられると、何と答えていいか難しい。数字以外のこと、仕事への向きあい方で褒められるのはまったく慣れていない。
「私にはまだ店舗やスタッフについ決定するほどの能力がないので、持ち帰って小野木さんに相談しないといけないだけです。店舗統括マネージャーの器はありませんから」
「そうかな? 仁子は思い込みや感情で行動しないし、自分にも厳しいこと思い出した。だから、今は向いてるかもって思う」
向いているとは思えないが、感情で行動しないことは保証できた。矢田さんはぱちんと手を合わす。
「変に構えてごめん。――というか、仁子ちょっと変わった? なんかあった?」
「私が、ですか。変わってないと思いますが……」
「仁子って、もっと数字命って感じで、もっと生き急いでいるって言うか、目標に向かって一直線ていうか」
「そういえば小野木さんにもマグロと言われました」
「あ、そうそうそれ、そういう感じ」
矢田さんは声を出して笑ってから訊ねてくる。
「ちょっと余裕ができたって感じがする」
「自分の不得意分野なので、目的が達成できてないともいえるのですが」
「そうかな〜? なにか趣味とか始めた、とか?」
「趣味ですか……」
趣味を考えてみるが何も思いつかない。仕事が恋人だと言う人がいるが、私もそれが当てはまる気がする。休日も時間があるときは仕事をしているが苦ではないし、他に熱中するものがあるわけではない。
「新しく始めたこととか」
「ああでも、そうですね。最近、新幹線で食べるご飯が趣味かもしれません」
「新幹線でご飯って?」
小野木さんから教えてもらったお土産フルコースを自分も始めたところ、毎回凝って選んでしまう話をすると、矢田さんはおかしそうに笑った。
「え~すごい、いいね、それ。私も今度本社出張のときやってみよっかな」
「今までご当地グルメというものを特別気にしたことがなかったのですが……一度意識してしまうと、気になる食べ物が溢れすぎていることに気づきました。ひとつの店に行くよりも、一気にたくさんの種類が食べられますし、移動中の時間を活用するだけなので、効率もいいです。店に行かなくてもいいところが私には魅力的で……」
「めちゃくちゃはまってるじゃん。でも、確かにね~、名駅に期間限定出店してるのもあったりするし……あっ!」
矢田さんが目をまんまるにして、私の肩を叩いた。
「それだよ、それ! それ、やってみたいかも。一気にたくさんの人が集まるところに出店するのとか、どう? 店は持っていけないけどデザイナーだけ行くの。モールで出来るなら出張サービスでもいいし、アクセサリーに関係するイベントとか」
「イベント出店ということですか……いいかもしれません」
一度糸口が見つかればアイデアは出てくるものだ。ブライダルイベントとも相性はいいだろうし、デザイナーを持っているEclateは動きやすく印象に残りやすい。
「根本的な解決にはならないかもしれないけど、やれることやってみたいかも」
「わかりました。前向きに戦略本部で意見を出してみることにします」
ただ新幹線ごはんの話をしていただけだが、思わぬヒントになったらしい。ようやく矢田さんの表情もほぐれた気がする、多分。
「ありがとね、考えてくれて」
「私は何もしていません」
「現地にきて、岡崎店のことを知ってくれて、それだけで嬉しいよ」
「それは矢田さんが私の話を聞いてくれるからですけどね」
彼女は同期な分、私への心理的な垣根が低いが、他店舗の店長から見れば現場を経験したことがない数字重視のマネージャーだ。その印象を変えるコミュニケーション能力は持ち合わせていない。
私にできることは少ない。
今、私にできることは、知ることだけだ。
カフェを出たあと「ちょっと待ってて」と矢田さんはその場を離れた。三分と掛からず戻ってきて、その手には紙袋がある。
「これよかったら、岡崎のお土産。さっきの話聞いてたら岡崎のお土産ももらってほしくなっちゃって」
「ありがとうございます」
「新幹線ご飯には不向きな気もするけど……このあと名駅店もチェックあるんでしょ。だから生ものにできなくて。家でよかったら食べて」
「ありがとうございます。岡崎グルメ、おいしくいただきます」
受け取った紙袋には嬉しい重みがあった。



