きみのいる夏


 行き先は大六海水浴場だった。砂は白というより、淡い黄土色をしている。

 トビーは車から降りると、靴を脱いで走り出した。

「待て」

 道継が追いかけ、顔、手、足に日焼け止めを塗りまくった。

「大丈夫だってば」

 トビーは波打ち際まで行き、足を水につけた。

「ひんやりとして、気持ちがいい」

「ハワイとは違うか」

「違う」

「どこが」

「どこだろ」

「曖昧だな。はっきりしろ」

 ふたりは顔を見合わせて、笑った。なんでもが、おもしろく見えてきた。

 膝まで海に入ったところで、トビーが驚いた顔で道継を見た。

「わっ、貝殻が見えた」

「トビーはハワイ生まれなんだろ。海を見たことがないみたいじゃないか」

「久しぶりなんです。やっぱり、海はいいな」

 目の前の海は、とても静かだった。

「ミチさん、泳ごうよ」

「よし」

 沖へ向かっても白波はほとんど立たず、水面は青というより、エメラルド色を溶かしたような透明な緑だった。

 浜辺では、小さな子どもたちが浮き輪を抱えて遊び、大人たちはテントの日陰で寝転んでいる。

 道継がトビーのほうを見たら、彼が泣いているように見えた。波のせいなのか、本当に泣いているのか、わからない。やはり、もう八年近くも離れて暮らしている家族が恋しいのだろうか。

「そろそろ引き上げよう」

 道継が合図をすると、彼が近づいてきた。

「まだ泳ぎたい。ぼく、泳ぎは得意なんだ」

「でも、顔が赤いぞ」

「ほんとですか」

 道継がトビーの腕を引っ張り、パラソルの下へ連れていった。

「ちょっと顔を見せろ」

 道継が角度を変えながら、トビーの顔を点検した。

「大丈夫だって」

「いや、これは家に帰って冷やしたほうがいい」

 車に戻り、トビーがサイドミラーに顔を映すと、予想以上に真っ赤になっていて、怯えた顔をした。

「ぼく、寒い」

 車の中でトビーが震えだした。

 道継はスマホで調べ、近くの医院へ直行した。

 着いた時には、顔や首が真っ赤に腫れ、腕や肩に発疹が広がっていた。

 老医師は「炎症が強いので、ステロイドを一本打っておきましょう」と言ったが、道継は断った。ステロイド注射には副作用があるからだ。

 道継は家に戻ると、顔、手、足を氷で冷やした。

「寝ていろ。動くなよ」

 トビーを寝かせると、氷、飲み物、果物、それにローションを買いに出た。

「冷たい」

 トビーが目を覚ますと、道継が顔に何かを塗りつけていた。

「なに、これ」

 道継が手鏡を渡した。

「うわー。真っ白で、歌舞伎役者みたいだ」

「これはカラミンローションといって、日焼けにはこれがいいんだ。これをつけて、三、四日すればよくなる」

「三、四日ですか」

「我慢しろ」

「ぼく、またクビじゃないですか。夏休みに入って、半分もたっていないのに、クビ、三回目です。記録だ」

「死ぬより、いいだろ」

「アレルギーで死にますか」

「ひどくなったら、死ぬさ」

「まだ死にたくはない」

「それなら、言うことを聞くことだな」

「はい」

*

 翌日の夕方、トビーは気分がかなりよくなったので、道継の仕事場を見に行った。

 コンピュータの画面には、トビーの写真が並んでいた。

 泳いでいるところ。笑っている顔。寝ているところ。そして、カラミンローションをつけた顔。

 その時、道継がコーヒーを手に戻ってきた。

「起きたか。気分はどうだ」

「これ、全部、ぼくじゃないですか」

「そうだよ。気に入ったかい」

「どうするんですか」

「新しいAIドラマの主人公の顔を考えているんだ」

 道継が見せたのは、トビーとそっくりなようで、どこか違う人物だった。

「彼は異世界ファンタジーの主人公で、アルデスというんだ。見てごらん」

「中華風じゃなかったんですか」

「考えが変わったんだ」

 画面の中のトビーの金髪が、銀色の長髪になった。

 眉を太くし、鼻を少し尖らせ、唇を厚くする。

「笑い方はトビーと同じだ」

「ぼくは、こんなふうに笑うんですか」

「そうだよ。ほら」

 道継が鏡を見せた。

「いやだな」

「何が。かわいいじゃないか」

「アルデスはどんな性格で、どんなことをするんですか」

「バトルものにしたいんだ。彼はとても優しい性格で、でも、何に対して戦うのか、まだ決めていない。さっき思いついたばかりだから」

「どんなことをするか決めていない、というところは、ぼくにそっくりです」

「どれ」

 道継が立ち上がり、彼の顔に触れた。

「もう一度、ローションを塗っておこう。そこの椅子に座って」

「はい」

「どんなことをするか、決めている人なんか、少ないさ」

「ミチさんもですか」

「そうだよ。今、いろいろ試しているところだ。早くやることが見つかったら、ラッキーだと言えるけど、逆につまらないとも言えるんじゃないか」

「ミチさんは、家の仕事を継ぐんじゃないのですか」

「それが、みんなの願いだけど。祖父の名前は大道で、ぼくが生まれた時から、跡を継がせるつもりで『道継』という名前をつけたんだ。でも、おれは店を継ぐつもりはない」

「できるんですか、そんなこと」

「できるかどうか、やってみないとわからない。母親は感じているけど、何も言わない」

「そうですよね。仕事が見つからないのも大変だけど、その逆もあるんですね」

「まぁな。誰かを喜ばせるのも大切だけど、結局は自分の人生を自分らしく生きることが、一番大切なんじゃないかと思うんだ。まだ、よくはわからないけどな」

「そうですね。そのアルデスの衣装、ぼくに描かせてもらえますか。試しに描いてみますから、気に入るかどうか見てください」

「いいね。そういうのは得意ではないから、すごく助かる」

「うれしいです。がんばります」

「でも、まずは、アレルギーを治すことが先決だよ」

「はい」

 そう言いながら、トビーは紙に慣れた手つきでアルデスの顔を描き、ギリシャ神話風の衣装をデッサンし始めた。

「バトルものだから、鎧を着せましょうか」

「いいね、それ」

 トビーが夢中になって鉛筆を走らせているのを見て、道継は腕を組みながら、微笑んでいた。