きみのいる夏

 食事の後は、ふたりで食器を洗った。

「ミチさん、洗うの、うまいですね。いつもしているんですか」

「いや。いつもはお手伝いがいるし、洗浄機もあるし。海の家ではやるけど」

「海の家って、別に家があるんですか」

「そうなんだけど、秘密。誰も知らない」

 道継が得意そうな顔をした。

「誰も知らないんですか。どうして?」

「見たい?」

「はい。どこですか、それは」

「あとで、教えるから。ところで、トビーはゲームはする?」

「はい」

「何が好き?」

「エペとか」

「強い?」

「最近はしていないけど、2000ハンマー取ったことあります」

「いいね」

 道継がシャワーに入った後でやろうという話になり、トビーは居間に移動して、白いソファに座った。

 道継がリモコンをわたした。

「大きなテレビですね。テレビは久しぶりです。今、何やっているんだろ。ニュースは何番ですか」

 道継がシャワーから出てくると、居間にトビーがいなかった。家中、探してもいない。そして、玄関には、靴がない。

 居間に戻ると、テーブルのリモコンの上に、小さなメモが残っていた。

「いろいろありがとうございました。急用ができたので、帰ります。長谷川」

*

 その夜遅く、広美が紙袋を手に戻ってきた。

 デリカ部の従業員が倒れたということがニュースになってしまったので、その後始末に、時間がかかったのだった。

 彼女も、今夜はトビーが泊るものだとばかり思っていたのだが、スーパーを出る前に、彼から「辞職届け」が送られてきたので、妙なことだとは思っていた。

「長谷川くんは何時頃、出ていったの?」

「おれがシャワーにはいった頃だから、九時過ぎ」

「きっとニュースを見たのだわ」

「チャンネルを聞いていたから、ニュースは見たと思う」

「ニュースにうちの惣菜売り場のことが出たから、申し訳ないと思ったのかもしれない。デリケートな子みたいだし。どんな子だった、彼」

「見た感じだと、真面目で、ちょっとシャイな、普通の大学生に見えたけど。クビにするのかい」

「しないわよ。でも、向うが辞めたいというのなら、止めはしないけれど」

「冷たくない?」

「そういうもんよ」

 広美はそう言って、店のロゴがはいった紙袋を見せた。

「長谷川くんのロッカーにあったもの。服と財布と帽子。明日、届けてくれない?」

「いいけど。明日、出かける用事があるから、その前に届ける。住所はどこ」

「悪いわね」

 広美が申し訳なさそうな顔をして、住所をわたした。

「いや、いいよ」

 道継は表情を変えずに答えたが、トビーがどんなところで暮らしているのかと思うと、心が弾んだ。

*

 翌朝、八時過ぎ、道継は車を運転して、中野へ向かった。

 中野駅に近い住宅街に、その木造アパートはひっそりと建っていた。築四十年はとうに過ぎているだろう。外壁は日に焼けて色あせ、二階へ続く鉄階段は、踏むたびにぎしりと鳴りそうだった。廊下は外廊下で、その二階のいちばん奥が、トビーの借りている部屋のようだった。

 その時、トビーが階段を下りてきた。白いシャツに、灰色のワイドスラックス。歩くたびに、布地がゆるやかに揺れている。

「トビー」

 道継が手を上げ、もう一方の手に持った袋を見せた。

「ミチさん」

 トビーが駆け寄ってきた。

「わざわざ届けてくれたんですか。今から、店に取りに行こうと思っていたところです」

「昨夜は、財布がなくて、どうやって帰ったの?」

「友達に連絡して、迎えに来てもらいました」

「ああ、そんな友達がいるのか。急に帰るから、驚いたじゃないか」

「すみません」

「ニュースで、スーパーのことを見たのかい」

「はい。社長に合わせる顔がないと思って」

「小心者だね。あれは問題ないんだから」

 道継は袋から帽子を取り出して、トビーにかぶせた。

「これがないと、だめだろ」

「このくらいの太陽なら、大丈夫ですよ」

「今から店に行くところだったのかい」

「それと、面接があるんです。オンラインで仕事を探しました」

「早いね」

「夏休みが勝負ですから、のんびりしていられないんです」

「どこ?」

「今度は食べ物とは関係ないところです。これから行くのは、靴屋です」

「場所は?」

「新宿です」

「そこまで、送って行こうか」

「いいんですか」

「いいよ。面接は何時?」

「十時半です」

「じゃあ、ブランチでもどう? 朝、まだ食べていないんだろ」

「昨夜、高級すき焼きを食べたから、まだ腹は空いていなくて」

「コーヒーだけでも、どうだい」

「うれしいですけど。でも、早く行って、店や店の周りを見てみたいです。その靴屋、高級らしいですけど、ぼく、入ったこともないので」

「了解」