きみのいる夏

 テーブルには、粥、卵焼き、漬物、塩昆布、焼いた鮭の小鉢や皿が並んでいる。

「腹が空いているだろ」

「これ、全部、睦木さんが」

「そうだけど、こんなの簡単だよ。それと、ムツキでなくて、ミチでいいよ」

「はい」

「鮭をほぐして入れると、おいしいよ」

「はい」

 トビーはれんげでおかゆをすくうと、そのまま口へ運んだ。

「あっ」

 目を丸くして、手で口に風を送った。その仕草があまりにも愛らしく、道継は声を立てて笑ってしまった。

 トビーの頬がみるみる赤くなり、恥ずかしそうに下を向いた。

「ごめん。少し冷ましてから、出せばよかった」

「いや。とてもおいしいです。こんな豪華な粥は食べたことがないです」

「よかった」

「ぼく、誰かに、粥を作ってもらった記憶がないです」

「お母さんはいないの?」

「いますけど、そういうタイプではなくて」

「魚、おれが、ほぐそうか」

「まさか、そんなことまで。自分でできます」

 トビーは上目遣いで道継を見た後、もう一口食べて、微笑んだ。

「おいしいです。作るの、大変でしたか」

「こんなの、簡単だよ」

「ありがとう。あのう、みにくい姿ばかり見せて、すみません」

「みにくいところなんて、ひとつもないよ。それより」

 道継は、少しもみにくくなんかない、それどころかかわいい、と言いたかった。

「えっ」

「いや、余計なことは、心配しなくていいから」

「それにしても、すごい家ですね。さすがに社長の家です」

「こんなの、たいしたことないから」

「ぼくのとこなんか、ここの風呂場より狭いです」

「どこに住んでいるの?」

「中野のアパートです」

「ひとり?」

「はい」

「あっ、そうだ。そうだ、母から連絡があって、明日は来なくてもいいと言ってた」

「クビですか」

「そうじゃなくて、少し休養しろという意味だと思うよ。休むと困るの?」

「それは困りますよ」

「ごめん。そうだよな」

「ぼく、金が必要なんで」

「お金、少しなら、貸すけど」

「そういうのは、困ります」

「東京は、ひとり」

「そうです」

「田舎はどこ?」

「田舎とかはないです」

「生まれは」

「ハワイ」

「えー。それにしては、白いね」

「両親がサーファーなんで。十歳からは、札幌ですけど」

「サーファーって、波乗り?」

「そうです」

「へー、どこ。ハワイ?」

「今は、インドネシアのバリの南で、サーフィンを教えています」

「北海道ではないの?」

「札幌は伯父がいて、ぼくだけです」

「そうなんだ。トビーはインドネシアには行かないの?」

「行きたいです。十歳年下の弟もいるけど、でも、ぼくには大学もあるから」

「大学生なのか、どこ」

「修永大学の一年」

「ああ、おれ、三年」

「どこですか」

「A大学の法学部。トビーはどこ」

「経済学部。法学部って、すごいじゃないですか。弁護士になるんですか」

「いいや。弁護士には向いていないし、大体、弁護士になれのなんか、一部だよ。サーフィンで生活か。いいな。そういうのに、憧れる。好きなことをして、生活するのって、みんなの憧れだよな」

「でも、生活してみると、なかなか大変みたいです。インドネシアの方が生活費は安いけど、コロナの時には、客はゼロだったし」

「それはあるね。トビーは時々はそっちに行くの?」

「行ったことないんです」

「どうして」

「高いですから、余裕がないです。だから、夏にバイトで稼いで、春休みに行こうと思っているんです」

「どうして、春?」

「二月のあたまは、航空券が安いから。夏はすごく高いんですよ。ぼく、ふだんは飲食店でバイトしていたんですけど、ムツキさんのところはよそよりたくさんくれるんです」

「そうか。トビーはちゃんと食べているの?」

「カップラーメン、食べ過ぎました」

「そういうの、だめだよ。今夜、ちゃんとしたのを作るから」

「大丈夫です」

「食べ物、何が好き?」

「……肉」

「じゃ、夕食、食べて、そうだ、泊っていけよ。どうせひとりなんだろ」

「そこまでお世話にはなれません」

「すき焼きなんか、作るぜ。もらいものの、高級和牛があるよ。うちもふたり暮らしだし、母は肉はほとんど食べないから、残しても困るんだ。食べてくれると助かる」

「はい。それなら、ぜひ」

*

 道継は箱についていた説明書を読んだ。

「長ねぎ、焼き豆腐、しらたき、春菊、白菜、しいたけ、えのき、しめじ、こんなに入れる?」

「いや。長ねぎも、豆腐、しらたき、しいたけくらいでいいんじゃないですか」

「そうだよね」

 道継が冷蔵庫の中を覗いた。

「コンビニでしらたきを買ってくるけど、何かほしいものはある?」

「ないです」

「好きなおかしは」

「じゃがりこ」

 まだ子供だな。道継は笑いそうになった。

「了解」

 そう言って、道継は早足で玄関を出ていった。いつもなら買い物は面倒で、しらたきくらいならなくてもいいと思うはずなのだが、今日はなぜか、コンビニに行くのが楽しかった。

*

 道継が桐箱の蓋を開けると、霜降りのすき焼き肉が一枚一枚ていねいに重ねられていた。

「すごい。たれまでついている」

 トビーがまるで宝物を見つけた子どものように目を輝かせた。その表情がいとおしくて、道継は思わず頬を緩めた。

「トビーはサーフィンとかするの?」

「いや。もうしません」

「嫌いなの?」

「好きです。でも」

「好きなら、どうしてしないんだよ。おれも、サーフィン好きで、時々、海に行くよ」

「ぼく」

 トビーが視線を落としてから、道継を見た。

「ぼく、太陽アレルギーなんです。強い太陽だと、肌が紫色になって、震えてしまうんです」

「へぇっ」

 思わず吹き出した道継に、トビーがむくれたように唇を尖らせ、笑いごとではないよ、という顔をした。

「あ、ごめん」

 トビーの表情を見ていると、自然と笑みがこぼれるのだった。