静まり返った夜道を歩いていると、奥から二つの影が薄暗い街頭の光によって伸びる。赤い顔をしてもっと顔の赤い男を見下ろしている中年のおじさんが目に入る。ネクタイを緩めながら男に呂律の回らない言葉をぶつけられて何も言えずに立ち尽くしている。それは、確かに見たことあるやつだった。――滝譲。漢字で書くと二文字になる短い名前の映画研究会の三年。気づけばゆっくりと、しかし容赦ない足取りでふたりとの距離を縮めた。目をつぶって小さく抵抗しようとしている譲を横目に重ねられている力んだ腕を掴む。
「おい。そいつ、俺のなんだけど。なんか用?」
咄嗟に出た言葉だった。俺の。だけど、譲が知らないおじさんに手を掴まれている姿を見たら、やけに頭の芯が熱くなった。続けて「彼氏」などと見え透いた嘘をつくと、おじさんは観念して暗闇に消えた。恐る恐る滝の顔を覗く。震えた瞳でこちらを見て途端に全身の力が抜けたみたいに息を吐く。「大丈夫か?」なんて、俺のとか、彼氏とか言っておいて言葉をかけることはできない。下心が丸見えすぎる。そう、俺はずっとこいつがほっとけなかった。映画のエンドロールは、絶え間なく流れ続ける。カクテルだってそうだ。マゼラーでグラスをゆっくり混ぜれば流れにまかせて揺れ続ける。滝譲は、俺にとってそんな存在だった。
譲を初めて見たのは、二年前の春。俺がまだ二年だった頃のこと。大学に入学してカクテル研究会に入部してから一年が経った。部員の少ないカク研は、入部への催促に必死になっていた。それは、どこのサークルもそうだった。まだ入学したてで右も左も分からない生まれたばかりの子鹿のように歩く譲は、次々と声をかけられ小さくお辞儀をしながら人混みをかき分けていった。ただ、それだけ。別に何も思わなかった。
次に見たのは、サークルの合同飲み会。映研に所属する波多野とは高校からの友人でこのときも絡みがあり、サークル同士で飲み会うことも少なくなかった。酒が飲めない代わりにソフトドリンクで波多野と乾杯をする。波多野の横、机の隅に譲がいた。俺と同じソフトドリンク。ジンジャーエールで控えめに乾杯する譲の姿。それを一秒、二秒とだけぼんやり眺める。
それから二年が経ち、俺が二十一歳になる年での飲み会。また映研との合同飲み会が行われた。滝は、二年前と同じ酒屋の同じ席に座っていた。机の端でジンジャーエールを頼む。
「なあ、波多野。滝譲もう酒飲めるんじゃねえの」
「うん。この前二十歳なったから」
飲める年齢になったのにも関わらず、譲はジンジャーエールを頼んでいた。それをただ、手元のジョッキを弄びながら眺める。カク研に所属しているからと言って浴びるように酒を飲むわけではない。現に俺も今日は一杯で留めるつもりだ。譲が何を飲もうが自由。だけど変わらない譲の姿がやけにおかしく感じてつい口元が緩む。
「おーい滝!お前それジンジャーエール?酒飲まねえのかよ」
静かだった机の端に耳障りな声が響く。映研の先輩のひとりがもうすでに出来上がった顔で滝の肩に腕を回して抱く。その片手にはなみなみに琥珀色の飲み物が注がれたハイボールのジョッキ。
「お前もう飲めるよな?飲まねえとかつまんないから」
「……すみません。俺、酒はあんまり……」
譲は縮こまり、小さな体をさらに小さくして困ったように眉を下げていた。断りきれずに差し出されたジョッキとジンジャーエールのグラスを見比べて何度も視線を交差させている。
チッ、っと。自分の口から小さく舌打ちが出そうになるのをレモンサワーと一緒に飲み干した。いらつく。今の時代にアルハラとか。強引な誘いにすらあいつは断れない。いや、断れないのをみんな知ってわざと譲を遊び道具みたいに使うのだ。それが、自分でも疑問に思うくらいには胸の中がざわめく。
「ああ、駄目ですよ先輩。滝にそれ飲ませたら明日の先輩の撮影ボイコットされます」
飄々とした声が間を割り込む。いつの間にか俺の隣にいたはずの波多野がふたりの間に滑り込み先輩の右手からハイボールの入ったジョッキを奪っていた。
「波多野、せっかくの飲み会なんだからそんな固いこと言うなよ」
「硬いんじゃなくて事実ですよ。代わりにそれは俺が」
ひょいっと奪ったハイボールを一気に煽った。見事な飲みっぷりに周囲の連中から「おぉ!」と歓声が上がる。譲に絡んでいた先輩も「しゃあねえな。波多野のツラに免じて見逃してやるよ」と満足げに席を離れ別の席へとターゲットを変えていた。
一瞬の鮮やかな早業だった。こいつはずっと先輩と絡むのが上手いから。譲は細い指でジンジャーエールのグラスを包みながら口をつける。
「波多野先輩。ありがとうございました」
「いいって。次はちゃんと断れよ」
波多野が譲の頭を軽く叩いてから俺の隣に座る。手元のグラスは冷えきっているのに、胸の奥だけがひどく熱くて焦げつくような不快感が広がっていく。波多野が譲を守ったのも映研の後輩だからだろう。そんなことは、分かっている。譲が波多野を頼るのも同じサークルの先輩だから。あのふたりの間にある誰も入りこめないような空気感があるのが無性に気になった。三年前と変わらないまま、ただの「映研の滝譲」として俺の知らない場所で守られているあいつの姿が嫌でも目に浮かんできて。さっきよりもずっと、いらついた。
あの飲み会から、数週間が経った。大学のキャンパス内で、譲の姿を見かけることが増えた。いや、増えたのではない。俺が無意識に人混みの中からあいつの姿を探すようになってしまっただけだ。ある日は、自分の体よりも大きな三脚や機材のケースを抱え、ふらふらと中庭を歩いていた。手伝おうと一歩踏み出そうになったところで「滝、それ俺も持つよ」と映研の仲間が駆け寄るのが見えた。譲は申し訳なさそうにしながらだけど安心したように笑って機材を渡している。……やっぱり、俺の出る幕などなんてどこにもない。
また別の日の、大講義室。数十人が受講する一般教養の講義中、譲は何度か首を振ったりこめかみを押さえたりして明らかに様子がおかしかった。チャイムが鳴り、一斉に学生たちが教室を出ていく。俺も荷物をまとめて廊下へ出た。帰ろう。そう思っていたのに。廊下の隅、自動販売機の横の壁に譲がもたれかかっていた。顔色が悪い。額が薄く汗ばんでいて、呼吸が浅い。どう見ても限界な顔だった。学生たちは気づくこともなく通り過ぎていく。気づけば俺は自動販売機で冷えたミネラルウォーターを買い、相手の目の前に立っていた。
「あんた、大丈夫?」
「綾城先輩?……えっと、大丈夫、です。ちょっと寝不足なだけなので……」
「顔真っ青だけど」
「大丈夫、ですから」
譲は無理に口元を歪めて笑おうとした。ずっと変わらないその頑なな態度に胸の奥が痛む。
「大丈夫って言うやつほど大丈夫じゃないんだよ」
少し強い口調になってしまった。譲がびくりと肩を揺らす。その姿を見て俺は何も言えず、冷たいペットボトルを譲の手に押し付ける。驚いたようにボトルを見つめる譲を残し、それ以上引き止める理由はなくて俺は背を向けて歩き出した。
「お前さ、滝のこと好き?」
翌週の講義終わり。学食への移動中隣を歩いていた波多野があまりにも唐突に飄々とした声で訊く。
「……は?」
「いや、なんとなく。前の飲み会のときもなんか気にかけてたし、この前、滝に水あげてただろ?滝が「カク研の先輩がすっごい心配してくれた」って嬉しそうに言ってたし」
思わず聞き返す。波多野の目は、いつものお調子者のそれではなくすべてを見透かす冷徹さを孕んでいるように見える。
「変なこと言うな、体調悪そうにしてたから声かけただけだから」
「ふーん?でもお前見ず知らずの他人が体調悪そうにしててもわざわざ水買って声かけるようなタイプじゃないじゃん」
完全に違う。俺はそんなに他人に興味を持てる人間じゃない。「それにさ」と波多野が足を止め俺の顔をじっくり覗き込みながら続ける。
「お前、滝のこと見てるとき、いつもめっちゃ怖い顔してるよ。……いや、というか切ない顔?」
言い返そうとした。そんなわけない。ただの勘違い。だとか笑い飛ばそうとした。けれど、否定の声が出ない。否定できるような材料が俺の頭の中にはどこを探してもひとつ見つからない。黙り込んだ俺を見て、波多野はいつものふっと軽い笑みに戻る。
「まあ。俺の大事な後輩泣かせたらいくらお前でも、絶対ひねり潰すからな。大切にしろよ」
冗談ぽくも聞こえるのにどこか冷たい警告。
あれから半年以上が経ち、大学四年生の春。飲み会終わり、譲が酔っぱらいに絡まれるところに遭遇して、見え透いた嘘でその場を切り抜けた。あれを自分が譲を助けただなんて言えない。俺はずっとこいつがほっとけなかったのだ。結局まともな会話なんてろくにできないまま、まだ震えている譲をタクシーに押し込んで俺はひとりでアパートへと帰る。静まり返った自室のドアを閉めた瞬間、冷や汗が吹き出す。鞄を床に放りだしベッドに倒れ込む。天井の薄暗い常夜灯を見つめていると、視界の裏にさっきの譲の顔が張り付いて離れない。
「波多野のやつ、なんて言ってたっけ……」
脳裏に過ったのは半年以上前に聞かされた言葉。あのとき、波多野から「お前、滝のこと好き?」と聞かれて、俺は否定する材料を何も持っていなかった。そして今夜、おじさんに絡まれる譲を見た瞬間、思考回路が全て焼き切られた。
口元を手で覆う。手のひらが熱い。映画の撮影機材を重たそうに運んでいた姿。講義終わりに、真っ青な顔で壁にもたれかかっていた姿。そして、泣きそうな顔で誰かも分からない男に腕を掴まれていた姿。守りたかった。俺以外の誰にも、譲を触れさせたくなかった。ただ、俺自身の、あまりにも黒くて重い独占欲があの瞬間に限界を迎えて溢れ出ただけ。
「……は、」
腕で目元を覆い隠す。認めるしかなかった。俺は滝譲が、好きなんだ。二年前の春からずっと。ただの後輩として、グラスの底を回るカクテルを遠くから眺めているだけでいいと思っていた。だけど、「俺の」と言ってしまったあの瞬間から俺のエンドロールは、あいつを求めて動き出してしまっていた。
「おい。そいつ、俺のなんだけど。なんか用?」
咄嗟に出た言葉だった。俺の。だけど、譲が知らないおじさんに手を掴まれている姿を見たら、やけに頭の芯が熱くなった。続けて「彼氏」などと見え透いた嘘をつくと、おじさんは観念して暗闇に消えた。恐る恐る滝の顔を覗く。震えた瞳でこちらを見て途端に全身の力が抜けたみたいに息を吐く。「大丈夫か?」なんて、俺のとか、彼氏とか言っておいて言葉をかけることはできない。下心が丸見えすぎる。そう、俺はずっとこいつがほっとけなかった。映画のエンドロールは、絶え間なく流れ続ける。カクテルだってそうだ。マゼラーでグラスをゆっくり混ぜれば流れにまかせて揺れ続ける。滝譲は、俺にとってそんな存在だった。
譲を初めて見たのは、二年前の春。俺がまだ二年だった頃のこと。大学に入学してカクテル研究会に入部してから一年が経った。部員の少ないカク研は、入部への催促に必死になっていた。それは、どこのサークルもそうだった。まだ入学したてで右も左も分からない生まれたばかりの子鹿のように歩く譲は、次々と声をかけられ小さくお辞儀をしながら人混みをかき分けていった。ただ、それだけ。別に何も思わなかった。
次に見たのは、サークルの合同飲み会。映研に所属する波多野とは高校からの友人でこのときも絡みがあり、サークル同士で飲み会うことも少なくなかった。酒が飲めない代わりにソフトドリンクで波多野と乾杯をする。波多野の横、机の隅に譲がいた。俺と同じソフトドリンク。ジンジャーエールで控えめに乾杯する譲の姿。それを一秒、二秒とだけぼんやり眺める。
それから二年が経ち、俺が二十一歳になる年での飲み会。また映研との合同飲み会が行われた。滝は、二年前と同じ酒屋の同じ席に座っていた。机の端でジンジャーエールを頼む。
「なあ、波多野。滝譲もう酒飲めるんじゃねえの」
「うん。この前二十歳なったから」
飲める年齢になったのにも関わらず、譲はジンジャーエールを頼んでいた。それをただ、手元のジョッキを弄びながら眺める。カク研に所属しているからと言って浴びるように酒を飲むわけではない。現に俺も今日は一杯で留めるつもりだ。譲が何を飲もうが自由。だけど変わらない譲の姿がやけにおかしく感じてつい口元が緩む。
「おーい滝!お前それジンジャーエール?酒飲まねえのかよ」
静かだった机の端に耳障りな声が響く。映研の先輩のひとりがもうすでに出来上がった顔で滝の肩に腕を回して抱く。その片手にはなみなみに琥珀色の飲み物が注がれたハイボールのジョッキ。
「お前もう飲めるよな?飲まねえとかつまんないから」
「……すみません。俺、酒はあんまり……」
譲は縮こまり、小さな体をさらに小さくして困ったように眉を下げていた。断りきれずに差し出されたジョッキとジンジャーエールのグラスを見比べて何度も視線を交差させている。
チッ、っと。自分の口から小さく舌打ちが出そうになるのをレモンサワーと一緒に飲み干した。いらつく。今の時代にアルハラとか。強引な誘いにすらあいつは断れない。いや、断れないのをみんな知ってわざと譲を遊び道具みたいに使うのだ。それが、自分でも疑問に思うくらいには胸の中がざわめく。
「ああ、駄目ですよ先輩。滝にそれ飲ませたら明日の先輩の撮影ボイコットされます」
飄々とした声が間を割り込む。いつの間にか俺の隣にいたはずの波多野がふたりの間に滑り込み先輩の右手からハイボールの入ったジョッキを奪っていた。
「波多野、せっかくの飲み会なんだからそんな固いこと言うなよ」
「硬いんじゃなくて事実ですよ。代わりにそれは俺が」
ひょいっと奪ったハイボールを一気に煽った。見事な飲みっぷりに周囲の連中から「おぉ!」と歓声が上がる。譲に絡んでいた先輩も「しゃあねえな。波多野のツラに免じて見逃してやるよ」と満足げに席を離れ別の席へとターゲットを変えていた。
一瞬の鮮やかな早業だった。こいつはずっと先輩と絡むのが上手いから。譲は細い指でジンジャーエールのグラスを包みながら口をつける。
「波多野先輩。ありがとうございました」
「いいって。次はちゃんと断れよ」
波多野が譲の頭を軽く叩いてから俺の隣に座る。手元のグラスは冷えきっているのに、胸の奥だけがひどく熱くて焦げつくような不快感が広がっていく。波多野が譲を守ったのも映研の後輩だからだろう。そんなことは、分かっている。譲が波多野を頼るのも同じサークルの先輩だから。あのふたりの間にある誰も入りこめないような空気感があるのが無性に気になった。三年前と変わらないまま、ただの「映研の滝譲」として俺の知らない場所で守られているあいつの姿が嫌でも目に浮かんできて。さっきよりもずっと、いらついた。
あの飲み会から、数週間が経った。大学のキャンパス内で、譲の姿を見かけることが増えた。いや、増えたのではない。俺が無意識に人混みの中からあいつの姿を探すようになってしまっただけだ。ある日は、自分の体よりも大きな三脚や機材のケースを抱え、ふらふらと中庭を歩いていた。手伝おうと一歩踏み出そうになったところで「滝、それ俺も持つよ」と映研の仲間が駆け寄るのが見えた。譲は申し訳なさそうにしながらだけど安心したように笑って機材を渡している。……やっぱり、俺の出る幕などなんてどこにもない。
また別の日の、大講義室。数十人が受講する一般教養の講義中、譲は何度か首を振ったりこめかみを押さえたりして明らかに様子がおかしかった。チャイムが鳴り、一斉に学生たちが教室を出ていく。俺も荷物をまとめて廊下へ出た。帰ろう。そう思っていたのに。廊下の隅、自動販売機の横の壁に譲がもたれかかっていた。顔色が悪い。額が薄く汗ばんでいて、呼吸が浅い。どう見ても限界な顔だった。学生たちは気づくこともなく通り過ぎていく。気づけば俺は自動販売機で冷えたミネラルウォーターを買い、相手の目の前に立っていた。
「あんた、大丈夫?」
「綾城先輩?……えっと、大丈夫、です。ちょっと寝不足なだけなので……」
「顔真っ青だけど」
「大丈夫、ですから」
譲は無理に口元を歪めて笑おうとした。ずっと変わらないその頑なな態度に胸の奥が痛む。
「大丈夫って言うやつほど大丈夫じゃないんだよ」
少し強い口調になってしまった。譲がびくりと肩を揺らす。その姿を見て俺は何も言えず、冷たいペットボトルを譲の手に押し付ける。驚いたようにボトルを見つめる譲を残し、それ以上引き止める理由はなくて俺は背を向けて歩き出した。
「お前さ、滝のこと好き?」
翌週の講義終わり。学食への移動中隣を歩いていた波多野があまりにも唐突に飄々とした声で訊く。
「……は?」
「いや、なんとなく。前の飲み会のときもなんか気にかけてたし、この前、滝に水あげてただろ?滝が「カク研の先輩がすっごい心配してくれた」って嬉しそうに言ってたし」
思わず聞き返す。波多野の目は、いつものお調子者のそれではなくすべてを見透かす冷徹さを孕んでいるように見える。
「変なこと言うな、体調悪そうにしてたから声かけただけだから」
「ふーん?でもお前見ず知らずの他人が体調悪そうにしててもわざわざ水買って声かけるようなタイプじゃないじゃん」
完全に違う。俺はそんなに他人に興味を持てる人間じゃない。「それにさ」と波多野が足を止め俺の顔をじっくり覗き込みながら続ける。
「お前、滝のこと見てるとき、いつもめっちゃ怖い顔してるよ。……いや、というか切ない顔?」
言い返そうとした。そんなわけない。ただの勘違い。だとか笑い飛ばそうとした。けれど、否定の声が出ない。否定できるような材料が俺の頭の中にはどこを探してもひとつ見つからない。黙り込んだ俺を見て、波多野はいつものふっと軽い笑みに戻る。
「まあ。俺の大事な後輩泣かせたらいくらお前でも、絶対ひねり潰すからな。大切にしろよ」
冗談ぽくも聞こえるのにどこか冷たい警告。
あれから半年以上が経ち、大学四年生の春。飲み会終わり、譲が酔っぱらいに絡まれるところに遭遇して、見え透いた嘘でその場を切り抜けた。あれを自分が譲を助けただなんて言えない。俺はずっとこいつがほっとけなかったのだ。結局まともな会話なんてろくにできないまま、まだ震えている譲をタクシーに押し込んで俺はひとりでアパートへと帰る。静まり返った自室のドアを閉めた瞬間、冷や汗が吹き出す。鞄を床に放りだしベッドに倒れ込む。天井の薄暗い常夜灯を見つめていると、視界の裏にさっきの譲の顔が張り付いて離れない。
「波多野のやつ、なんて言ってたっけ……」
脳裏に過ったのは半年以上前に聞かされた言葉。あのとき、波多野から「お前、滝のこと好き?」と聞かれて、俺は否定する材料を何も持っていなかった。そして今夜、おじさんに絡まれる譲を見た瞬間、思考回路が全て焼き切られた。
口元を手で覆う。手のひらが熱い。映画の撮影機材を重たそうに運んでいた姿。講義終わりに、真っ青な顔で壁にもたれかかっていた姿。そして、泣きそうな顔で誰かも分からない男に腕を掴まれていた姿。守りたかった。俺以外の誰にも、譲を触れさせたくなかった。ただ、俺自身の、あまりにも黒くて重い独占欲があの瞬間に限界を迎えて溢れ出ただけ。
「……は、」
腕で目元を覆い隠す。認めるしかなかった。俺は滝譲が、好きなんだ。二年前の春からずっと。ただの後輩として、グラスの底を回るカクテルを遠くから眺めているだけでいいと思っていた。だけど、「俺の」と言ってしまったあの瞬間から俺のエンドロールは、あいつを求めて動き出してしまっていた。

