エンドロールは最後まで

次の日。いつも通り大学へ向かう。昨日は雲ひとつない晴れだったと言うのに、今日は分厚い雲が空一面を多い雨が傘をポツポツとつつく。春だからだろう。ここ最近ずっと晴れと雨を繰り返す不安定な天気が続いている。透明のビニール傘から遠くに傘をさして自分とは別方向に歩く瑞樹の姿が見えた。

「(昨日"またな"って言われたし声かけるべきか……?)」

あの、とあの文字を言おうとした瞬間。

「みーずき!」

明るくて、少し高い声。そしてピンクのカーディガンと白のブラウスを合わせたいかにも春らしいコーデを身にまとった彼女の姿が目に映る。名前を呼ばれ、振り返った瑞樹はいつもと同じように笑っている。だけど、その隣にいる彼女に向ける表情は、少しだけ柔らかく見えた。俺は途端に意味もなく顔を傘で伏せる。ビニール傘だから、何も隠れないのに。

「お、滝じゃん」
「ゆずるんやっほ〜!」

次に消えた雨に負けない大きな声。慌てて振り返ると映研の先輩たちだった。突然の事だったのであ、え、と言葉を繋ぎながら挨拶する。

「あそこにいるのって……綾城?」
「しかも隣にいるのって……」

瑞樹の名前。また、この前みたいに変に反応しそうになるのを抑える。目線を向けてみると瑞樹と彼女の距離は傘と傘が触れそうほどであった。

「まーどうせ彼女じゃない?綾城、後輩にも同級生にも大人気だし」
「そうなんですか」

軽い調子で言われたその一言で胸がざわめく。出た声は自分でも驚くくらい、平坦としていた。少し戸惑いながら笑って言う先輩たちの声を、どこか遠くで聞いているみたいだった。また視線が自然とそっちへ向く。瑞樹が何話す度に彼女が楽しそうに笑う。その距離も、空気も、やけに出来上がって見えて。
彼女、か。胸の奥に鈍いものが落ちる。何故か取っとくしてしまっている自分がいて顔が引き攣る。

「滝?行かねえの?」
「あ、行きます!」

呼ばれて、無理やり視線を剥がす。足を動かしながらもさっきの光景が頭から離れない。……案の定講義の内容はほとんど入ってこなかった。何度もノートに線を書いては消す。意味のない行動を繰り返していた。ふと彼女の顔が浮かぶ。明るくて、距離が近くて、一緒にいるのが当たり前みたいな。そんな雰囲気。

「(そっか……)」

終わりを告げるチャイムに紛れて小さく息を吐く。妙に納得してしまっている自分が少しだけ嫌だった。講義が終わっても気持ちは晴れないまま。雨は相変わらず降り続けていて、空もどんよりしている。今日は授業だけだしもう帰るか。

「滝」

立ち上がろうとして椅子を引くと耳に入った聞き慣れた声に心臓が跳ねる。振り向くとそこに居たのは瑞樹だった。同じ講義を取っていたのか。

「昨日ぶり」

いつもの、何事もなかったかのような笑顔。その表情に安堵している自分が感情は複雑なままだった。椅子を引きながら瑞樹の方へ上手く目線を合わせる。

「……あの人と一緒じゃないんですね」

気づけば、そんな言葉が出ていた。目が合った瑞樹の顔が一瞬だけきょとんとする。

「あの人?」
「いや……!なんでもないです!」

被せるみたいに慌ててそう答えた。また、瑞樹に嘘をついてしまった。瑞樹はそんなに気にかけていないのかそのまま続ける。

「滝、今日暇?」

なんて、いつもの調子で訊いてくる。だけど今はその一言が嬉しかった。はい。言葉にせずとも頭を振って瑞樹の問いに返事をした。昨日の夜みたいに瑞樹の背中を追いかけるように歩く。降り続ける雨の音で声が聞き取りずらい。少しして会話が途切れる。すると、瑞樹の携帯からピロリン、と通知が鳴る。

「綾城先輩」

呼吸をし直して声をかけたが通知音にかき消されて瑞樹には届かなかった。俺の声はそのまま地面に打ち付けられる雨のように水溜まりの上へと落ちた。瑞樹は携帯の画面を見るなり柔らかい笑顔を見せた。(……気がする)きっと、確認なんてしなくてもあの人、なのだろう。こんな嫌な想像までしてしまう。あんな笑顔俺と連絡を取るときもしてくれるのだろうか。携帯をしまうと同時に瑞樹の口が開く。

「今日、また家行ってもいい?」
「……はい」
「うん。ありがと」

でも、俺への態度は数日前とも、昨日とも変わらず今日もいつも通りだった。家に着き玄関のドアを閉めた音がやけに大きく部屋中に響いた。

「どうぞ」

それだけ言って部屋に先に入る。次に後ろから続く足音。何も変わらない。昨日と同じなのに妙に意識してしまっている。棚からコップを二つ取って冷蔵庫を開ける。

「なんか飲みますか?」
「なんでもいい」

軽い声。コップにお茶を注ぐ音が静かに流れる。リビングに戻ると瑞樹はもうソファに腰を預けていた。瑞樹の顔を見ずに差し出すとわずかに指先が触れる。

「さんきゅ」

受け取る声も何もおかしくない。俺もソファに腰かけテレビをつける。適当にチャンネルを回すと音だけが部屋を埋めていた。会話は、ない。映画なら何も話さなくてもおかしくないけれど、この沈黙は変に居心地が悪かった。リモコンでチャンネルを変え続けているとふいに瑞樹の声が部屋に落ち、反射的にびくりと肩が揺れる。

「急に押しかけてごめん」
「いえ、それは大丈夫です」

これ以上広がらないように曖昧に返す。また、沈黙。テレビの笑い声だけが浮いている。……昨日と違う。瑞樹が飲んだコップを片付けようと立ち上がる。そしてちらっと横へ視線を向ける。携帯を取り出し誰かと連絡をしているみたいだった。また、少しだけ口元が緩む。その表情を見た瞬間、胸の奥が痛む感覚がした。

「(……あの人?)」

勝手に、脳内がそう考えてしまう。視線を逸らして足を急かし食洗機へコップを戻す。言いたいことがの喉まで込み上がってきてでも出せずに飲み込む。「滝」と向こうから名前を呼ばれる。その声に反応してリビングのソファへとまた足を向けた。

「今日さー……なんか変」
「そうですか」

少し間を置いてから核心に触れる言葉。その言葉に息が詰まり短く返す。

「そうですか。じゃねえだろ」
「すみません」
「……別に滝に謝って欲しい訳じゃないって。何かあった?」

瑞樹の声はトーンは低いのに、強くない。聞いているだけでどこか落ち着くようなそんな声。真っ直ぐな問いに答えたいのに息を吸おうともどうしようもなく言葉が喉を通らない。

「別に、無いです」

間違えた。絶対に違う。分かっているのに。この感情に名前をつけるのを強く拒むみたいに別のことしか声に出ない。瑞樹の声は聞こえず代わりに息を吐く音だけが耳に届いた。

「そう」

軽くて冷たい声。自分でも矛盾していると分かっているがなんでそれで終わらせるのか、ただ理不尽に「やめるなよ」と思ってしまう。沈黙がふたたび落ちる。さっきより、少しだけ重たい。テレビの音が遠く感じて時間だけがゆっくり過ぎる。

「……じゃ、俺帰るわ」

不意に立ち上がる気配。途端に隣が寂しくなる。思わずえ、と小さく声が出た。何か言わなきゃ。と思うのに言葉が喉を通らない。玄関までの短い距離がやけに長く感じる。靴を履く音、ドアに手をかける音が次々と聞こえる。

「おやすみなさい」
「じゃあな。滝」

ドアが開く。外の空気が少しだけ中にも流れ込む。振り返らないまま出ていく背中を見つめることしか出来なかった。ドアが閉まる音がすると、静寂が部屋を満たしていった。あからさまだったのか。昨日は、あんなに自然に隣にいたのに。

「(……はあ)」

小さく息を吐く。胸の奥がもやもやする。原因は分かっている。でも、認めたくなくてひたすらに目を逸らす。

「馬鹿、みたいだ」

ぽつりと、こぼれる。リビングに戻ってソファに力なく座る。なんなら、倒れ込む感覚に近いだろう。さっきまで二人分あったはずの空気がやけに広く感じた。助けてもらっただけの先輩と後輩。なんでもない関係のはずなのにこんなに意識してしまっているのはおかしいことなのか。静かな空間に雨の音が耳に残る。こんな日は無性に心が温まる恋愛映画が見たくなってしまう。