大学に入学してから三年が経つ春。進学とともに上京し、多忙な日々を過ごしていたが三年もすれば東京の暮らしにも慣れた。友達も特別多いわけではないができて、勉強もそれなりについていけている。恋人はいないものの、それなりに充実した毎日を過ごしている。今日は俺が所属する映画研究会の新入生の歓迎会。人数は少ないがサークルの人達はみんな優しく、特に部長はとにかく陽気なおかけでサークルの雰囲気は賑やかである。歓迎会では、新入生ともある程度喋れてなんとかこれからやっていけそうだと安堵した。話が盛り上がりお酒も進む……と言いたいところだが、今日は一杯だけに留めておくと決めていた。それは、ほぼ初対面の新入生の前で情けない酔っぱらいの先輩の姿なんて見せられないと思ったからだ。自分の酒の弱さくらい十分なくらいには理解している。
「(……疲れた)」
弱いのは自覚していた。自覚していたが、既に顔全体を真っ赤にしてよろよろな自分の歩き方に恥ずかしさを覚える。春になり日が落ちるのも冬に比べて遅くなったのはいえ時刻は22時を超えていた。さすがに辺りはもう暗くなっている。いつも通っている道でも暗いと言うだけで全く違う道のように見える。街全体が眠りにつこうとしている中、コンビニだけは二十四時間、白い明かりで辺りを照らしてその光だけが目にはっきりと映った。
「おい、そこのお兄ちゃん。ひとり?俺と飲み直さない?」
明かりだけが映っていた目に突然四十代くらいのおじさんが白い光とともに映し出される。何も言えずにわかに見つめ続けると遠慮なく俺に近づいてきて手首を乱雑に掴まれる。
「なんか言えよ。どうせひとりだろ?最近の大学生はノリ悪いな〜」
掴まれた手首にだんだんと力が込められて、全身が脱力しかける。酒くさいし、無駄に力が強い。イヤな酔っぱらいだ……。
「……行きません」
やっと出た一言。だがおじさんには届いていたいようだった。一杯しか飲んでいないのに身体がだるく、いつも通り動かなくて抵抗しようにもできない。うざい。どっかいけ……。心の中で何度も叫ぶ。その時だった。
「おい、そいつ。俺のなんだけど。なんか用?」
無理やり強く掴まれていた手を別の手が勢いよく振り払う。
「は?」
「彼氏なんで。触らないでもらっていい?」
低い声がそういうとおじさんは舌打ちして路地の奥へと消えていった。足跡が遠ざかっていくにつれて、お酒のむせ返るようなエタノールの気化臭だけが残る。あの、声をかけようとした瞬間やっと彼が振り向き顔を認識できる。
「大丈夫か?帰り同じだったろ。送ってくよ」
そう言って彼は何事も無かったかのように俺の手首を離した。そして、少しして力がまた抜ける。さっきのような不快感はない。瞬きを数回挟んで見る。――綾城瑞樹。確か、同じ大学のひとつ上の先輩。
「歩ける?」
声が近い。「歩けます」そう返事をするように頭を縦に振ったがやけに安心した結果、ふらついて肩をさりげなく支えられる。コンビニの白い光と該当の薄暗い光がさっきよりも明るく感じる。瑞樹の輪郭が光に照らされて、浮き彫りになる。街灯の下で優しい言葉をかけられると、逃げ場がなくなってしまう。
「無理すんなよ。顔真っ赤だし」
「ありがとう……ございます……」
そのまま、途中まで送ってもらい家に帰った。酔い醒ましに水を飲むがまだ顔が赤いのは直らない。ついさっきの先輩の声が頭の奥に響く。
――「俺のなんだけど。なんか用?」「彼氏なんで」
瑞樹から発せられた妙に淡々としていた言葉を思い出すたび、不思議な安心感と落ち着かない身体の熱に頭がくらくらしてまだ酔っているみたいな感覚になる。
「男でも、こんなことあるんだ」
そんなことをふと口にする。……先輩にお礼しないと。
でも、どうお礼しよう……。この謎にハイテンションな気持ちは全部お酒と変に絡んできたおじさんのせいだ。絶対。もう寝よう。明日も朝から講義だし。またもや頭の中で呟いてベッドに倒れ、目を閉じる。
大槻地大学の先輩、綾城瑞樹は、カクテル研究会の部長。部内ではひそかに"マスター"と呼ばれているそうだ。その呼び名にふさわしいほどクールで、似合いすぎているのがずるい。その低い声も、無駄のない所作も。氷の音に紛れて交わされる短い言葉も。淡々としていてどこか冷たく見えるのにグラスを洗いながらさりげなく水を差し出せてしまうのは、決まってこの人だった。……と、ここまでは全部瑞樹の友人であり、映画研究会の部長·波多野先輩に聞いた話だ。
おじさんに向けたれた冷たくて鋭い事前を思い出す。あんな顔をする人だとは話を聞いている半中だと、想像できなかった。あの目はいつも大学で見る目とはまた違う冷たさを持っていた。
「(……疲れた)」
弱いのは自覚していた。自覚していたが、既に顔全体を真っ赤にしてよろよろな自分の歩き方に恥ずかしさを覚える。春になり日が落ちるのも冬に比べて遅くなったのはいえ時刻は22時を超えていた。さすがに辺りはもう暗くなっている。いつも通っている道でも暗いと言うだけで全く違う道のように見える。街全体が眠りにつこうとしている中、コンビニだけは二十四時間、白い明かりで辺りを照らしてその光だけが目にはっきりと映った。
「おい、そこのお兄ちゃん。ひとり?俺と飲み直さない?」
明かりだけが映っていた目に突然四十代くらいのおじさんが白い光とともに映し出される。何も言えずにわかに見つめ続けると遠慮なく俺に近づいてきて手首を乱雑に掴まれる。
「なんか言えよ。どうせひとりだろ?最近の大学生はノリ悪いな〜」
掴まれた手首にだんだんと力が込められて、全身が脱力しかける。酒くさいし、無駄に力が強い。イヤな酔っぱらいだ……。
「……行きません」
やっと出た一言。だがおじさんには届いていたいようだった。一杯しか飲んでいないのに身体がだるく、いつも通り動かなくて抵抗しようにもできない。うざい。どっかいけ……。心の中で何度も叫ぶ。その時だった。
「おい、そいつ。俺のなんだけど。なんか用?」
無理やり強く掴まれていた手を別の手が勢いよく振り払う。
「は?」
「彼氏なんで。触らないでもらっていい?」
低い声がそういうとおじさんは舌打ちして路地の奥へと消えていった。足跡が遠ざかっていくにつれて、お酒のむせ返るようなエタノールの気化臭だけが残る。あの、声をかけようとした瞬間やっと彼が振り向き顔を認識できる。
「大丈夫か?帰り同じだったろ。送ってくよ」
そう言って彼は何事も無かったかのように俺の手首を離した。そして、少しして力がまた抜ける。さっきのような不快感はない。瞬きを数回挟んで見る。――綾城瑞樹。確か、同じ大学のひとつ上の先輩。
「歩ける?」
声が近い。「歩けます」そう返事をするように頭を縦に振ったがやけに安心した結果、ふらついて肩をさりげなく支えられる。コンビニの白い光と該当の薄暗い光がさっきよりも明るく感じる。瑞樹の輪郭が光に照らされて、浮き彫りになる。街灯の下で優しい言葉をかけられると、逃げ場がなくなってしまう。
「無理すんなよ。顔真っ赤だし」
「ありがとう……ございます……」
そのまま、途中まで送ってもらい家に帰った。酔い醒ましに水を飲むがまだ顔が赤いのは直らない。ついさっきの先輩の声が頭の奥に響く。
――「俺のなんだけど。なんか用?」「彼氏なんで」
瑞樹から発せられた妙に淡々としていた言葉を思い出すたび、不思議な安心感と落ち着かない身体の熱に頭がくらくらしてまだ酔っているみたいな感覚になる。
「男でも、こんなことあるんだ」
そんなことをふと口にする。……先輩にお礼しないと。
でも、どうお礼しよう……。この謎にハイテンションな気持ちは全部お酒と変に絡んできたおじさんのせいだ。絶対。もう寝よう。明日も朝から講義だし。またもや頭の中で呟いてベッドに倒れ、目を閉じる。
大槻地大学の先輩、綾城瑞樹は、カクテル研究会の部長。部内ではひそかに"マスター"と呼ばれているそうだ。その呼び名にふさわしいほどクールで、似合いすぎているのがずるい。その低い声も、無駄のない所作も。氷の音に紛れて交わされる短い言葉も。淡々としていてどこか冷たく見えるのにグラスを洗いながらさりげなく水を差し出せてしまうのは、決まってこの人だった。……と、ここまでは全部瑞樹の友人であり、映画研究会の部長·波多野先輩に聞いた話だ。
おじさんに向けたれた冷たくて鋭い事前を思い出す。あんな顔をする人だとは話を聞いている半中だと、想像できなかった。あの目はいつも大学で見る目とはまた違う冷たさを持っていた。

