動画サイトとかで、飼い主から離されちゃうと寂しそうに鳴いて、結局抱っこされて甘やかされている犬や猫なんかを見て、いいなぁと思っていた。
分離不安症、なんて注釈もつけられて、コメントも「可哀そうだけどかわいい」「大事にされてね」「沢山愛されて幸せだね」なんてものばっかりで、……やっぱりいいなぁと思った。
僕だって甘やかしてほしい。
やることなすこと大目に見てほしいとか、好き勝手させてほしいとかじゃなくて、ただただ本当に、ぎゅっと抱っこして、じっと甘えさせてほしいだけ。
もちろん僕には何とか不安症とかいう病名なんてついていなくて、当然のことながら飼い主なんていないし、そんな欲望を友達にも言ったことなんてない。
そういう雑談をする間柄の友達がいない、というわけじゃない。
いつだったかふと「甘えたいんだよね」と漏らしたら、男どもには「そういうプレイか」とからかわれて、女子たちには「ちょっと女々しい」と笑われた。僕の欲望は一般受けはしなかったらしい。
だから今日も、高校の外階段の踊り場で、スマホで猫の動画を見ているわけです。
「……いいなぁ……」
画面の中の猫ちゃんは、飼い主の首元にぺったりと寄り添って、もう離れたくない!みたいな感じで溶けている。
海外のお姉さんが、そんな猫ちゃんを愛おしそうに抱きしめている、よくあるショート動画。
「甘えてぇ……」
「お姉さんに?」
「――ッ!?」
突然背後から降ってきた声に飛びのけば、そんな僕の反応に、見知らぬ男子が驚いたような顔をしていた。
右手にパンとジュースが入った袋を提げていて、お昼でも食べに来たような装備だった。
「なっ、なに……!」
「あ、違う?猫にってこと?」
「はっ……!?」
馴れ馴れしくも僕のスマホの画面を覗き込もうとしてくるその人に、咄嗟にスマホを隠す。
――いや別に、えっちな動画を見てたわけじゃないから隠す必要もないんだけれど、今の僕にとってはだいぶセンシティブな部類に入る動画だった。
っていうか、ネクタイの色的に、この人三年生だ……!
「すっ、すみません……、退けます!」
「え、なんでよ、そっちが先にいたんでしょ」
「えっでも先輩お昼食べるんですよね!」
がさ、と自分のビニール袋を見下ろした先輩が、きょとんとしたままに僕を見る。
「俺が飯食うのとおたくが退けるの、なんの関係があんの?」
「なんの……」
――……それは……まぁ、ないかもしれない……けど……。
先輩はそのまま、はて?みたいな不思議そうな顔をして、そばの階段に腰を下ろした。
立ち尽くす僕を気にすることもなく、がさがさと袋からコロッケパンと炭酸飲料、サンドイッチ、おにぎりを取り出す。
矢印に沿ってサンドイッチの包装を開けつつ、僕の方を見上げてくる眼差し。
「……あっ、俺の方が邪魔!?」
「え!?いや全然!別にここ僕の場所じゃないんで!?」
「あ、そ……?じゃあいいか……、猫の動画好きなん?」
サンドイッチの角にかじりつきながら始まってしまった雑談に、僕も何故か神妙な顔で頷く。
先輩の手がぽんぽんと隣を叩くもんで、おずおずとそこへ腰かけた。
「猫……とか、犬とか、観ますね」
「んーおえおおうみうお」
「うっわごめんなさい口の中飲み込んでから喋ってください」
「んっふ」
緩く笑った先輩が、しばしもぐもぐと咀嚼をしたのちに、サンドイッチを飲み下す。三角の袋にはサンドイッチの片割れしか残っていなくて、それも今まさに食われそうになっていた。
「俺もよく観るよ、って。動物系癒されるよな」
「あー……っすね、はい」
「え、違った?やっぱお姉さんのほう見てんの?」
ばくりと次のサンドイッチを口にしながら、先輩が性懲りもなく僕のスマホを覗き込もうとしてくる。思わずサッと画面を隠したのはもう反射で、昼飯で頬を膨らませた先輩は眉をひとつ動かしただけ。
「そういうんじゃないです」
「んーん?」
「いや別に……犬とか猫は甘えられていいなぁってだけっすね」
「んー」
唸りながら首をひねる先輩が、プシ、と炭酸のペットボトルを開ける。何故言ってしまったのか――に関しては、まぁどうせ今後この先輩と係わることもないだろうと思ったから。
意味もなく、喉を鳴らして炭酸を飲む横顔を眺める。
「――……んん、じゃあ、ん、っていうかお前なんていうの」
「え、……笹山です……」
「ん、じゃあさ、笹山はさ、お姉さんに甘えたいんだ」
「おねっ……いや別にそういう、お姉さんとかじゃないですね」
「えっ、……熟女派……?」
「ち、違います!僕はただ誰かに甘えたいだけで……ッ!」
余計な一言が飛び出してしまい、ぐっと口をつぐんだ。
不思議そうに下唇を突き出す先輩は、やはり矢印に沿っておにぎりの包装を開けている。
それきり何を言うでもなく、ビニールの音をさせながら海苔を三角形に沿わせていて、ばつりとそこへ噛みついて、咀嚼をしながら僕を見る。
「……なんですか」
からかうならからかえばいいのに、笑うなら笑えばいいのに、僕に「飲み込んでから喋れ」と言われたのを律儀に守っているのか、もぐもぐとしながら僕を見る先輩。
けれどゴクンと飲み込んで、すぐにおにぎりをもう一口。
海苔に巻かれた三角形は二口でこの世から消えた。
「…………」
「…………」
ぷす、と炭酸飲料のキャップを回す音。
おにぎりにその甘ったるいジュースは合うんでしょうか、とは、僕の現実逃避である。
ごく、ごく、と喉を鳴らすのを、――……僕はなぜ大人しく待っているのか……。
「……、……マズかったら怒ってくれていいんだけどさ」
「あっえ、はい」
「なんかこう……親の愛がとか……そういう……ご家庭的な事情アリ……?」
「いや、ないですね……?」
気まずそうにする先輩に、真面目な顔で返す僕。
何を黙って考えていたのかと思ったら、ネグレクトとか愛情不足とか、そういった地雷を踏んだ可能性を考えていたのか。
僕の答えを聞いた先輩が、安心したように何度か頷いた。
「あっうんそっかそっか、いやぁ俺やっちまったかと思ったな!え、じゃあなになに、甘えたいってどういうの?」
「どういう……ど、いや、え、気持ち悪くないですか……?」
「なんで……?」
炭酸を指先にぶら下げながら心底不思議そうにする先輩は、……正直僕にとっては初めての反応だった。
とはいえそもそも人に「甘えたい」を言ったことがないから、サンプルの母数が足りないことは……まぁ今はさておき……、ううんと口元を尖らせる。
「……こう……自分よりおっきい存在に……よしよしされたいことありません……?」
「……え、やっぱり幼少期に父親の愛情が的な……?」
「ちげぇって……あっ」
反射的にため口が発車してしまい、バッと口元を手のひらで覆う。
先輩はそんなことを気にする素振りもなく、ビニール袋から次のパンを取り出すだけ……てかめっちゃ食うなこの人……?
「てかあれじゃん、動画見るくらいなら誰かに頼めば?俺してあげる?」
「……は?」
「いいよほら、ドウゾ」
あっけにとられる僕を尻目に、パカ、と僕に向かって両手を広げる先輩。
初対面の僕を懐に入れようとする先輩もおかしいが、開かれた両腕を見て"こんなチャンス滅多にない"と思っている僕も、なかなかだったと思う。
――マジで?という顔で先輩を見やれば、無言の肯定が返ってくるだけ。
「……じゃあ、あの……膝に、乗りたいんですが……」
「おん、ドウゾ」
ええ……?
……混乱のまま、いそいそと先輩の足の間に移る。横向きに膝――というか腿に座れば、抱え込まれる僕の胴体。
そのまま頭をくい、と引き寄せられて、先輩の首元に頬を預けさせられた。
決して華奢なわけでもない僕に寄りかかられて、微動だにしないがっしりした体格と、ぽん、ぽん、と肩を叩く振動と、目の前でコロッケパンを食い始める口元。
「…………」
……え、なにこれめっちゃイイ……。
緊張でやや張っていた背中から、力が抜けていくのがわかった。
何がイイって、パン食ってんのがいい。過度に僕に構うでもなく、ほどよく放っておいてくれるというそのスタンス。
けれど、僕の身体と先輩の腹に挟まれている方の腕の行き場がなくて、もぞもぞとしていたら頭上から降ってくる声。
「俺の背中に回していいよ?」
「あ……はい」
お言葉に甘えて先輩の胴体に腕を回せば、なんともぴったりしっくりばっちりとくる密着度。
……え、これマジめっちゃイイ……。
「……先輩めっちゃサイコーっす……」
「フッ……身体で落としちまったか……」
しょうもない先輩の軽口すら、今となっては評価に値する。僕を甘やかしてくれる人は正義。大正義だ。
何故僕は初対面の三年生の先輩に密着しているのか、という常識すら霞む。正義だから。
「可愛いな笹山」
「あざす……。……いや可愛くはなくないっすか?」
「え、可愛いだろ……」
からかいか本心か、先輩の意図が掴めず、何を返せばいいのかもわからず、それきり沈黙してしまった僕と。
女子のように可憐でもない一年生男子を抱いて、コロッケパンを完食する先輩。
午後のチャイムが鳴るまで、僕はそのまま名前も知らない先輩に、無言で甘やかされていた……いや意味わかんないけどね……?
