第二話 日光湯葉と覆面調査
東武線の鬼怒川温泉駅からタクシーに揺られ約十分。
創業百年を超える老舗旅館『ひのわ』が姿を現した。
立派な門構えに、手入れの行き届いた日本庭園。
玄関先では仲居さんたちが一列に並び、到着した宿泊客を迎えている。
大型連休を過ぎた平日だというのに大型バスから大勢の客が降りてくる。
私もキャリーケースを引きながら車を降りた。
今回は鬼怒川の老舗旅館からの依頼だ。
私は一般客として一泊し、従業員の接客態度から食事、客室、温泉、といった全てのサービスを細かく確認する。
旅館側でこの事を知っているのは支配人と女将のみ。
スタッフは誰一人、私の正体を知らない。
いわゆる覆面調査というやつだ。
だからこそ、その旅館の”素顔”が見えてくる。
「いらっしゃいませ。本日はお越しいただきありがとうございます」
仲居さんが深々と頭を下げる。
(第一印象は、申し分なし)
笑顔は自然。声量もちょうどいい。アイコンタクトも取れている。着物の着こなしも問題ない。
心の中で静かに採点する。
旅館の中に入るとロビーもまた圧巻だった。開放感のある吹き抜け。煌びやかなシャンデリア。
古き良き時代の豪華で華やかな館内に自然とテンションが上がる。
(非日常感が味わえて素敵だな)
宿帳への記入を済ませると、先ほどの中居さんが近づいてくる。
「お部屋までご案内いたします。お荷物お持ちいたしますね」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
速すぎず遅すぎず、廊下を歩く間も、館内の説明を交えながら絶妙な距離を保って歩いている。
(教育はかなり行き届いている感じ)
エレベーターを降りると、窓の外には鬼怒川の渓谷が広がっていた。
「こちらがお部屋でございます」
案内されたのは、露天風呂付きの和洋室。
奥の障子を開けた瞬間、思わず息をのむ。
「わぁ……」
源泉掛け流しの檜風呂。これを独り占めできるなんて最高だ。
仲居さんは館内設備や食事時間を簡潔に説明すると、一礼して部屋を出ていった。
「さてと」
スマホのメモ機能を開く。
さすが老舗だけあって、思った以上に教育が行き届いてる。
目立つ問題はなかった。確かに問題はないのだけど……。
ポチポチと所感を打ち込むと、いそいそとワンピース脱ぎ、下ろしていた髪をゴムでお団子にまとめる。
向かうは露天風呂。
檜風呂からは湯気が立ち上り、ほのかに木の香りが漂ってきた。
掛け湯をし、そっと湯に足を入れる。
「熱っ! あ……でも気持ちいい」
少し熱めの湯が、出張続きで張っていた足をゆっくりとほぐしていく。
目を閉じると、聞こえるのは川のせせらぎだけ。
(やっぱり温泉っていい)
今日は仕事。でもこの瞬間だけは一人の客として癒やされたい。
そう思いながら空を見上げると、青空に鳶が優雅に旋回ていた。
